2年ほど前から月に1~2回ほどの頻度でラジオでパドックの解説を担当しています。1頭1頭自分が感じたことをひと言ずつコメントしていって、最後に良く見えた馬を5頭ほど挙げるというのが大体の流れです。ここでもし挙げた馬が上位に来れば、次のパドック解説を始める前に進行役の方が「前のレース、推奨馬で決まりました」というような「的中報告」をしてくださいます。めったにないですが。
ただこの「的中報告」をされると、心の中の1割くらいは「嬉しい」とか「ありがたい」などプラスの感情が湧きますが、自信に繋がるかといえばそういうわけでもなく、むしろ残りの9割は「恥ずかしい」とか「う~ん」みたいな複雑な気持ちが生じてしまいます。もちろん、番組を盛り上げる役割や、聴取者に「オッ」と思わせる効果など、大切な意味が込められているというのは頭の中では100%理解できています。それでも、心の中の「違和感」が解消されるわけではありません。この話、先輩TMとしたことはないですが、たぶん先輩方もこの気持ちは結構共感してくれるのではないかと思います。
この「違和感」は一体なぜ生じるのでしょうか。ずっと考えてきました。
その理由は、もしかしたら「パドックで感じた気配」と「レースの結果」が一本の道で繋がっていないからかもしれません。
「パドック解説」と「結果」の間には大きく分けると以下の4つの項目があります。項目①パドックで「高い評価をした」or「低い評価をした」、項目②実際その馬の状態が「良かった」or「悪かった」、項目③その馬が上位に「来た」or「来なかった」、項目④好走(凡走)の一番の理由が「状態が良かった(悪かった)から」or「それ以外(能力、展開、馬場など)」。ここで、項目②④は本当のところは人間には分からず、感覚的なもので判断するしかない、という点に注意が必要です。
「パドックの評価」と「レース結果」は以上のように、2の4乗で16通りに場合分けできます。すべて書き出してみましょう。
項目① | 項目② | 項目③ | 項目④ | 的中か否か | |
パターンA | 高い評価 | 良かった | 来た | 状態 | ◎ |
パターンB | 高い評価 | 良かった | 来た | それ以外 | ○ |
パターンC | 高い評価 | 良かった | 来なかった | 状態 | (ー) |
パターンD | 高い評価 | 良かった | 来なかった | それ以外 | △ |
パターンE | 高い評価 | 悪かった | 来た | 状態 | (ー) |
パターンF | 高い評価 | 悪かった | 来た | それ以外 | ○ |
パターンG | 高い評価 | 悪かった | 来なかった | 状態 | ×× |
パターンH | 高い評価 | 悪かった | 来なかった | それ以外 | × |
パターンI | 低い評価 | 良かった | 来た | 状態 | ×× |
パターンJ | 低い評価 | 良かった | 来た | それ以外 | × |
パターンK | 低い評価 | 良かった | 来なかった | 状態 | (ー) |
パターンL | 低い評価 | 良かった | 来なかった | それ以外 | ◇ |
パターンM | 低い評価 | 悪かった | 来た | 状態 | (ー) |
パターンN | 低い評価 | 悪かった | 来た | それ以外 | × |
パターンO | 低い評価 | 悪かった | 来なかった | 状態 | ◇ |
パターンP | 低い評価 | 悪かった | 来なかった | それ以外 | ◇ |
《印の意味:◎=的中!やって良かった!、○=的中。でもなんだか違和感が……、△=ハズレ。間違ってはなかったはずなんだけど……、◇=そもそも言及されない、×=シンプルにハズレ。反省します、××=論外、(ー)=矛盾しているので考える必要なし》
このように書き出すと自分でも少し分かりやすくなりました。パドック解説が的中と見なされるのはA、B、Fのパターンですが、解説してて素直に喜べるのはパターンAだけです。
しかしやっかいなことに、パターンAに出くわすことってほどんどありません。なぜなら、大体の勝因がそもそも馬が強かったからとか、ジョッキーがうまく乗ったからとかだからです。逆にそれらが噛み合わないと、いくら状態が良くても勝つのは難しいじゃないですか。ただでさえ馬の状態を判断するのは雲を掴むようなことで、「あの評価で本当に良かったのだろうか」と常にモヤモヤしてしまうのに、喜べるケースも滅多に訪れないのですから、パドック診断って本当に難しいし、正解のない問題の答えをずっと探しているような感覚になります。パドックを見てもよく分からない、というのがTMの本音ではないでしょうか。
でもだからと言って、「パドックが分からないものだ」と切り捨ててしまうのは”絶対に”違います。
分からなくても、自分なりの答えをとりあえず出してみることに意味があるはずだと思うからです。
例えば、女性とショッピングをしていて「こっちの服とこっちの服、どっちがいい?」って聞かれますよね。何なんですか、あの絶対に当たる気がしない質問。男からしたら別にどっちでもいいし、どの答えが求められているのかを察しなきゃいけないのも面倒で仕方がない。でもそうは言わず「(そんなこと聞くなよ……うーん)こっち!」って一応、即座に答えは出すじゃないですか。そして相手の反応を見て、明らかにハズレだと分かる。不思議ですよね。二択だから正解率は50%のはずなのに、当たったためしがないです。莫大な控除率でごっそり引かれてるのではないかと思ってしまいます。そうじゃなきゃ数学的に説明がつかないです。これぞパラドックスです。
……かなり話が逸れました。
でも、パドックも同じようなものではないでしょうか。パドックでどの馬が良かったかを聞かれて「わからない」と答えるのは、上の例で言えば「どっちでもいいよ。っていうか何も着ないのが一番似合うよ」って答えるようなものです。たしかにこれが男の本音ですが、それを回答として出すのは絶対違います。一発退場です。世の中には、本音だったとしても出しちゃいけない答えってたくさんありますよね。だからとりあえずでも自分なりの答えを出して、それが合っていたか間違っていたかをしっかりと受け止める。それを繰り返すことでしか、次の機会が訪れた時に正解に近づけないのだろうと思います。
ここまで書いてみて、「的中報告」に「違和感」を抱いていたもうひとつの理由が分かった気がしました。推奨馬って「当たった」か「ハズレた」かのふたつしかないし、それをはっきりと結果として突きつけられます。たぶん、たとえ結果が良かったとしても悪かったとしても、その結果を正面から受け止める覚悟が今までできてなかったのだと思います。「当たったけどこれは~」とか「ハズレたけどこれは~」とか言って、現実をうやむやにしておいた方が傷つかずに済むじゃないですか。「違和感」を感じることによって自分を守っていただけなのかもしれません。
だからもっと「自分はこう思ったんだ。だからドンと来い!」みたいな感じで、事実を受け止める覚悟をしっかりと持って物事に取り組みたいと思います。そうすれば、少し前の自分よりも、一歩でも正解に近づけるんじゃないかな。
ちょっぴり気持ちがすっきりしました。ありがとうございます。
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最後に一点、訂正があります。先ほど女性からの「どっちの服がいいか問題」に「当たったためしがない」と書きましたが、そもそもそのような質問をされたことがありません。経験がないのにあるようなフリをして、偉そうに語りました。訂正してお詫び申し上げます。
美浦編集局 唐島有輝
1993年7月11日生まれ。2017年入社。普段は美浦坂路担当ですが、間もなく坂路は改修工事に入ります。来週から体は南馬場、霊魂は函館の二刀流で頑張ります。とりあえず今週は皆さんと一緒にダービーウィークを楽しみたいです。ちなみに、思い出のダービー第1位はウオッカが勝った2007年です。あの衝撃は忘れられません。