若手に仕事を教えていると時々もどかしくなることがある。「何でこんなことが分からないんだろう」とか「なんでこんなに伝わらないんだろう」など。
しかし、ちょっと冷静になって、若いときの自分はどうだったかと頭に浮かべてみたら、ぞっとするくらい思い出されることがいろいろあった。
会社に入ったときは右も左も分からぬ小僧だった自分は、毎日、怒られないことがないくらいデキが悪かった。人一倍時間はかかるくせに、原稿の内容はサッパリ。とても使いものになるような代物はなく、原稿用紙は訂正の赤ペンで真っ赤に染まっていた。
トレセンに行けば行ったで、あたふたと動くばかりでほとんど役に立たず、ただただ馬を眺めているばかりの日々。
教えてくれていた大先輩方も今の自分と同じで、その都度、「なんでこんなに分からんかな~」と思ったに違いない。それでも根気良く、粘り強く叱ったり、訂正したりしてくれた。
いくらデキが悪くても何日、何回も同じことをやっていれば少しずつは覚えてくる。徐々に赤色の部分が少なくなり、褒められこそしないが、細かく注意を受けることは徐々に減っていった。
そう、こうやって自分は時間をかけながら仕事を任されるようになったんだ。
あれから20数年。試行錯誤を繰り返し、あれこれ叱られたり、訂正されながらも、何とかこの仕事を続けてくることができた。そして今、更に考えるのは、自分が担当になるまで、その欄を書きつなげてきた先輩からのバトンの重みだろうか。
競馬ブックが設立されて半世紀以上にもなる。その間、先輩方が積み重ねてきた量や思いを考えると普段、簡単に書いてしまっていた原稿が急に重々しいもののような気がして、なんだか気恥ずかしくなってくる。
もっと前から考えられれば良かった。しかし、逆説的になるかもしれないけれど、こう考えられるようになったのも、ある程度キャリアを積んで、いろんな側面から客観的に自分の仕事や紙面を見られるようになったからかもしれない。
どんな仕事でもある程度の時間と試行錯誤が必要なのか。
競馬の本質ももしかしたらそこにあるのかも。
毎日毎日、しっかりデータを取って、それを保存する。そしてあれこれ考える。
考えてみれば当たり前の話だけれど、ようやくそのことの大事さが骨身にしみて分かってきたような気がしてきた。
若手がいきなりすべてを理解して、ベテランのように仕事をこなしていたら、それこそどこかおかしいのかもしれない。
キャリアを積んで、いろんな経験をしてから分かることは少なからずあるのだろう。
しかし、最も厄介なのは、競馬の場合はキャリアを積んで、いろんな経験をすればするほど怖くなる馬券の結果か。
先週もひどい有様だった。
馬場や天気のせいにせず、しっかり客観的に最後まで見抜ければいいのだけれど……。
まだまだ葛藤の日々が続きそうです。
美浦編集局 吉田幹太
吉田幹太(調教担当)
昭和45年12月30日生 宮城県出身 A型
道営から栗東勤務を経て、平成5年に美浦編集部へ転属。現在は南馬場の調教班として採時を担当、グリーンチャンネルパドック解説でお馴染み。道営のトラックマン経験を持つスタッフは、専門紙業界全体を見渡しても現在では希少。JRA全競馬場はもとより、国内の競輪場、競艇場、オートレース場の多くを踏破。のみならずアメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、フランス、イギリス、マレーシア、香港などの競馬場を渡り歩く、案外(?)国際派。