年が明けて、1月も半ばになると年末年始にあったこともひと昔の前の出来事のような気がしてしまう。

 もっとも、一般の方は違うかもしれない。競馬業界に身を置いていると年明けの日程が立て込んで、競馬の開催は勿論、いろいろとやらなければならないことが多い。あっという間に時間は過ぎるのだけれど、金杯から始まって翌週は三日開催。更には中京も始まるなど、結構、濃密な時間になるからである。

 さて、そのひと昔前、昨年の有馬記念から年明けにかけての自分の行動を振り返ると、27日、美浦で追い切りを見たあとに中山へ。有馬記念、ハッピーエンドCを観戦後に仲間内で都内に出て打ち上げ。28日、大井競馬場へ。東京大賞典の前売り馬券をしっかり購入。29日、自宅で東京大賞典を観戦後に美浦入り。30日、美浦で追い切りを見たあと、午後は取手競輪場にて競輪GPの場外車券をしこたま購入。夜は軽く呑んでから仙台に帰郷。その後、2日朝まで仙台で過ごして、その日の内に美浦へ移動。と、こんな具合で……

 本当は大晦日もオートレースの売り上げに貢献したかった。しかし、前の日に実家に帰れてしまい、実家にいると買う手段がない。つまり、気持ち的には年末は毎日ずっと博打を打っていたかった。

 ただのギャンブル依存症のようにも見えるが、今にして思うとこれにはしっかりとした動機があったように思う。

 ひとりものの中年にとっての年末は、実家に帰れば兄弟やその家族、そして親戚など、幸せに暮らしている人たちから白い目で見られるのではないだろうか。居場所がない、というほどではないのかもしれないが、何となく肩身が狭い思いはするはずである。自分にしても、早く帰郷しようと思う気持ちは年々小さくなって来たような気がする。

 かといって、いつものように東京近辺にいても、所帯を持っているひと達は勿論、独身でも幸せなひと達は他のことで忙しいようで、自分のようなひとりものの誘いには乗るどころか煙たい顔をされてしまう。

 じゃあ、映画のようなひとりでも楽しめるレジャーはどうか。これはとんでもない話。冬休み中の学生やらカップルやらでごった返していて、実家にいるよりも肩身が狭くなってしまうことは間違いない。

 そんな自分やちょっと家に居づらいお父さん方を「待ってました!」とばかりに受け入れてくれるのが、公営競技場ではないだろうか。まさに相思相愛。東京大賞典、競輪グランプリ、オートはスーパースター王座決定戦などのビッグイベントをしっかりと用意して、暖かく迎えてくれるのである。

 ひと時、自分の置かれている状況や、寂しさなどを忘れさせてくれて、生き生きとした時間を取り戻すことができる。頑張れば現金というステキなプレゼントまでくれるのだから、大人のネバーランドみたいなものかもしれない。

 しかし、終わってみると暗くて寒い駅のベンチに座って新聞を眺め、電車の中の長い時間をあれこれ反省しながら家路につかなければならない。帰ったら帰ったで冷え切って静かな部屋が待っているだけで……

 それでも自分の居場所がある。そこに行けば温かく迎えてくれるというのは、いくらかでも救いになる。そして、何もなく過ごすよりは、ほんのちょっとでも輝ける時間をもてたというのはいいことではないだろうか。少しの負けぐらいどうってことない。気持ちが楽になる方がよっぽどいいじゃないか。

 いろんなことをしっかりと振り返ることができるのもひと昔前のことと思えるからかもしれない。それに同じルーティーンで過ごさざるをえない日々と違い、少しの休養があって、考える時間があったというのも頭をスッキリさせてくれたのかもしれない。

 いずれにしても自分の置かれている状況を見直せて、競馬を含めて公営ギャンブルのあり方も考えさせられた貴重なこの正月。ちょっと危ない意見かもしれないけれど、この1年、そんな競馬と相思相愛のお客さんのために自分は頑張りたい。

 まさに決意を新たにした新年でした。

美浦編集局 吉田幹太

吉田幹太(調教担当)
昭和45年12月30日生 宮城県出身 A型
道営から栗東勤務を経て、平成5年に美浦編集部へ転属。現在は南馬場の調教班として採時を担当、グリーンチャンネルパドック解説でお馴染み。道営のトラックマンの経験を持つスタッフは、専門紙業界全体を見渡しても現在では希少。JRA全競馬場はもとより、国内の競輪場、競艇場、オートレース場の多くを踏破。のみならずアメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、フランス、イギリス、マレーシア、香港などの競馬場を渡り歩く、案外(?)国際派である。