こんにちは、栗東の坂井です。

 10月になりました。衣替えの季節であり、テレビやラジオの番組編成が変わるのもこの時期。私的には酒税の変更も大きなトピックではありますが、世間的には4月ほど変わり目を意識する時期ではないかもしれません。ことJRAにおいては2月と3月の間が変わり目で、2月末に調教師が引退し、3月1日に騎手がデビューしたり、調教師が開業したりします。

▲ゼッケン表。これで馬を見分ける

 10月にも一大(?)イベントがあります。調教ゼッケンが更新されるのです。JRAの施設における調教時、競走馬は調教用ゼッケンを着用することがルール。ゼッケンは年齢別に2歳(緑地)、3歳(黒地)、古馬(東=黄地、西=白地)の3種類があり、GⅠ馬は紫地に金色の刺繍で番号と馬名、GⅠを勝った数だけ星印がつく特製です。調教取材班は、これらの調教ゼッケンの数字を元に馬を判別するわけですが、この数字が変わるのが10月なのです。
 ゼッケンは10月スタートで1年間固定。10月になると、9月末の時点での現役馬が2歳と3歳以上の2種類に分けられ、五十音順に数字が振り直されます。10月になった翌週の火曜日から新規のゼッケンに変わるのが通例で、つまり今年は昨日から新たなゼッケンになりました。
 とはいえ、10月になったからといって調教を見るうえでの作業が変わることはありません。双眼鏡をのぞき、ストップウォッチを押し、気になることがあればメモをして…、このタイミングで増える作業と言えば、古いゼッケン表につけたメモを新しいゼッケン表に書き写すくらいでしょうか(2歳は数字が大きく変わるので、これがなかなか大きな手間ではありますが)。

▲89年のゼッケン表(裏表紙)。

 そんなゼッケン番号がまとめられた冊子。私の手元にあるなかでもっとも古いのは、入社するよりもっと昔の1989年のゼッケン表。退職された藤井嘉夫さんから「お前、こんなん好きやろ」と譲り受けたものです(なぜ藤井さんがコレを残していたのかはよくわかりませんが)。久しぶりに引き出しから引っ張りだしたので、ここでちょっとご紹介したいと思います。

 表紙は今と同じで厩舎服(厩舎毎の勝負服のようなもの)の一覧。ただ、当たり前ですが載っている厩舎は今とは大きく違います。今もあるのは橋田満厩舎だけ。新旧の厩舎服を比べると、一門の系譜のようなものもなんとなく見えてきます。

 

▲アラブ系ゼッケンは「赤地に白文字」

 中を見てみましょう。表紙の裏にはゼッケンに関する注意事項が書かれています。4歳(現3歳)が黒字に白文字、古馬が白地に黒文字なのは今の栗東におけるゼッケンと同じ運用。今と違うのはアラブ系種のゼッケンがあること。アラブ系競走は中央では1995年に廃止されましたから、1989年のこの当時には当然アラブ系の馬も多くいました。その馬たちは、赤地に白文字というゼッケンが使われていたようです。

 

▲アラブの名馬アキヒロホマレの名が

 「アラブ系5歳以上抽選馬」のページを開くと、201番にアキヒロホマレの名がありました。通算18勝を挙げたアラブの名馬で、89年は年明けの銀杯を制し、11月のアラブ王冠ではなんと70キロの斤量を背負って2馬身半差の勝利を収めました。この時の2着ヤマサフロルアが51キロで、その斤量差は19キロ。サラブレッドでも平地で60キロを背負う機会が少なくなった今の時代の感覚からすると、想像を絶する斤量です。

 サラ系のページも見てみましょう。89年といえば平成元年。ということはあのアイドルホースが…

▲243番。稀代のアイドルホース

 いました。サラ系5歳以上馬の243番オグリキャップ。昭和最後の有馬記念でタマモクロスを下した翌年のものです。すぐ下の247番にはオサイチブレベストの名も。ページをめくるたびにタイムスリップしたような感覚になります。

 仕事道具として付き合う身には当たり前にあるものですが、その用を終えても、ゼッケン表は時代を映す資料となるのだと感じさせられます。自分がじかに接していなかった時代のものに触れると、いち競馬ファンに戻ることもできます。その意味ではこれらは「競馬グッズ」。今回更新されたものも、あと3週もすれば「無敗の三冠馬の名がふたつも載ったゼッケン表」になるかもしれません。今度は大事にとっておこうかな。

栗東編集局 坂井直樹

坂井直樹(調教・編集担当)
昭和56年10月31日生 福岡県出身 O型
2004年入社。入社した年のダービー馬はキングカメハメハ。2歳には後の無敗の三冠馬ディープインパクトがいました。あの当時のゼッケン表も大事にとっておけば……と悔やんでも後の祭りですね。