無敗であることの印象について(和田章郎)

 今更ながら東京オリンピック・パラリンピックが開催されるはずだった今年は、新型コロナウイルスが世界中を襲った一年でもありました。その影響はオリンピック・パラリンピックの延期にとどまらず、いたるところに影を落とすことになりました。
 我々市井の人間にとっても、緊急事態宣言が発出されるなどして、普通の生活レベルでも様々に影響を受けました。

 その2020年、JRAでは期せずして牡馬、牝馬ともに無敗の三冠馬が誕生しました。
 これまた今更ながら、コントレイルとデアリングタクトです。

 この〝無敗馬〟なんですが、デビューから無敗のままで引退した馬、を指すとすると、まだ現役馬である上記2頭は、あくまでも「今のところ」ということになります。と言うのも、両陣営が3週間後、11月29日のジャパンCへの参戦を表明していて、つまり、2010年のオークス(同着)のようなことがない限り、どちらかが無敗を返上することになる現実が待っているからです。いや、もしかすると、両者とも、かもしれません。それぞれが初めて違う世代の馬と対戦することになるわけですから。

 それはひとまず置いておくとして、この〝デビューから無敗のまま引退した馬〟なのですが、海外では19世紀末に現れたキンチェムの54戦54勝なんてとんでもない数字があります。ごく最近もオーストラリアでブラックキャビアが25戦25勝。ほぼ同時期にはイギリスのフランケルが14戦14勝。この2頭の対戦は、話題には上がりましたが、残念ながら実現しませんでした。

 翻ってJRAに目を向けると、まずは戦前のことになりますけれど11戦11勝のクリフジでしょうか。戦後になっての二冠馬トキノミノル(10戦10勝)は『幻の馬』という映画で知られていますし、〝幻〟を冠するなら1976年~77年に8戦8勝を記録したマルゼンスキーも外せないでしょう。現在のルールならクラシックに出走できていた馬ですから、それが叶わなかった、という意味では〝幻の~〟と呼ばれて無理はありません。
 そしてこの3頭については、キャリアの最後が悲運に見舞われた、という点で共通するようにも思われます。
 クリフジが熱発で休養に入った後に引退することになるのは、太平洋戦争の戦況悪化も影響したものと思われますし、トキノミノルはダービーを制した数日後に破傷風を発症し、レースから3週間も経たないうちに死んでしまいます。マルゼンスキーも抱え続けていた脚元の不安が悪化したための引退と伝わります。
 海外の無敗馬達もそうなのですが、やっぱり無敗馬は〝不敗神話〟よろしく、伝説化しやすいのでしょうか。

 ただ一方で、これはまったく個人的な感覚で恐縮ですが、無敗馬の場合、一頭の馬のストーリーとして深く何かを…そうですね、突き詰めた真理、みたいなものと言っていいのかどうかですが、までをも考えさせられるような印象を受けない。決して空虚に感じられるとかではないのですが、しかし「ああでもないこうでもない」と思索にふけることができるか、というと、自分の中ではどうも違っている。

 冒頭の話に戻ります。
 緊急事態宣言下のステイホーム期間中の話題で、8月の当コラムでも個人的な楽しみについて触れましたが、その際に扱わなかったネタのひとつに、様々な〝名言集〟みたいなものを、インターネット上の各種サイトに過ぎませんが、読む機会が増えました。

 時節柄、もっぱら勇気づけられるような内容が多かったと感じられましたが、何しろ各界の、それぞれに偉業を成した皆さんの言葉です。胸に差さるものが多い一方、「ちょっとその感覚にはついていけないなあ」と思わされるものも少なくありませんでした。特異な才能を発揮された人であればあるほど、そういう傾向が強い印象もありました。

 でも、その〝特異な才能〟と呼ぶのも畏れ多いのかな、くらいに思える物理学者のアインシュタインの言葉には、「なるほどそうか」と膝を打つものがありました。
 いわくー
 『挫折を経験したことがないものは、何も新しいことに挑戦したことが無い、ということだ』

 「失敗を恐れるな」とか「ピンチはチャンスだ」みたいな意味もあるのかなと思いますけど、そういった単純なことだけではない何かを感じてしまったのです。

 もともと自分は、競馬に限ったことではなく、〝無敗〟であることに、どこか疑わしい何かを感じてしまうところがあるのです。天の邪鬼的な発想で、そこには何か理由があるのではないか、とか、本当のところの真実はどうなのか、といった思いを拭えない。
 そこへ「新しいことに挑戦したことがない」の一節。
 なるほど…と。

 3歳牡馬で、その年に有馬記念を含めた四冠を達成したのは過去に3頭いますが、すべての馬が有馬記念を前に無敗だったわけではありません。
 最初の無敗の三冠馬シンボリルドルフはその3頭の中の一頭ですが、菊花賞から中1週で臨んだジャパンCで3着に敗れていました。これはまさに〝新しいことへの挑戦〟だったでしょう。初の古馬相手になるレースが、海外からの遠征馬10頭が出走してきた国際レース。それを迎え撃つ日本馬にも先輩三冠馬ミスターシービーがいて、その好敵手カツラギエースがいて、という面々が揃っていたのですから。そこで逃げたカツラギエースを掴まえ切れず、次の有馬でリベンジしました。
 2頭目の無敗の三冠馬ディープインパクトは、ルドルフと違って菊花賞の後、ジャパンCをスキップし、満を持した有馬記念。そこでジャパンC2着から駒を進めてきたハーツクライの後塵を浴びることになって2着に終わり、3歳4冠を逃すことになります。しかし、この敗戦が翌年春、ディープのキャリアの中でも、個人的に最高のパフォーマンスだったのでは?と思える3連勝(秋のJCも強かったですが)につながるわけです。いわゆる〝挫折〟というのは、決して悪いことではない、ということになりませんか?

 近年のJRAでは、3歳馬限定の話ですが、〝無敗馬同士の対決〟はちょこちょこ耳にするキャッチコピーではあります。ステップレースの多様化で、クラシックへ向かう選択肢が増えたからこそ、なのでしょう。直近ではそれこそコントレイルとサリオスが3戦3勝同士で皐月賞で対決しましたが、無敗馬同士はどこかで決着をつける時が来る。
 その究極の形、と言っていいでしょう。3頭目となる無敗の牡馬三冠馬コントレイルと、史上初の無敗の三冠牝馬デアリングタクトの対決です。それも舞台はジャパンC。このコロナ禍を懸命に戦ってきた競馬ファンにとっては、最高のプレゼントになるんじゃないでしょうか?

 「無敗であることよりも、敗れて傷ついた方に魅力を感じてしまう」というのは、これはもう完全に個人的な感覚ですので、一笑にふしていただいて構いません。でも、今年のジャパンCが注目なのは掛け値なし、です。
 いやもう、本当に久しぶりのワクワク感。
 どちらが勝つにしろ負けるにしろ、とにかく結果がどうであれ、必ず〝次〟の物語につながるはず。
 どうか全人馬が無事にその日を迎えてほしい。そう願うばかりです。

美浦編集局 和田章郎

和田章郎(編集担当)
昭和36年生 福岡県出身 AB型
1986年入社。編集部勤務ながら現場優先、実践主義。競馬こそ究極のエンターテインメントと捉え、他の文化、スポーツ全般にも造詣を深めずして真に競馬を理解することはできない、がモットー。時代の変わり目をしっかり見極めるべく、健康第一を心掛けておりまする。