初モノづくしの話(和田章郎)

 昨年の9月中旬。
 ちょうど一年前になりますが、7月1日に上梓させてもらいました拙著『吹けっ!白い風』の取材をスタートしました。

 平成元年のダービー馬ウィナーズサークルを生産した栗山牧場では、昭和30年代後半、所有する繁殖牝馬の種付けのため、渡し船を使って千葉県の下総地区に向かっていた、という驚愕のエピソードを聞き、現在の稲敷市江戸崎町から、利根川沿いの稲敷郡河内町金江津にあったと伝わる渡船場までの徒歩(!)ルートを辿る、という、どこか雲を掴むような話の確認作業が最初でした。〝徒歩ルートを辿る〟となにげに書きましたが、さすがに追跡にはクルマを使いましたけど…。

 そのあたりのことを含めて、「淑子さんの番組の方で、本の内容について話を聞かせてもらえませんか」とラジオNIKKEIの佐藤泉アナウンサーから連絡を頂いたのが7月下旬のことでした。
 自分にしてみれば本当に望外のことでしたし、しかも出させてもらう番組が『鈴木淑子の地球は競馬でまわってる』だってんですから、ふたつ返事だったことは言うまでもないのですが、考えてみたら入社以降、放送関係には無縁。初めて上梓した本にちなんで、こういうことまで初体験につながるとは、有り難いことだなあ、と改めて感謝するばかりでした。

 さて、放送の方は収録の2部構成になってまして(これも有り難いことで)、ご存じの方もいらっしゃるとは思いますが、すでに第1回目はオンエア後。第2回目は来週、つまり20日(20時30分)放送、ということになってます。
 なので番組の後半でしゃべったことについては、改めて次回詳しく、にさせていただきたいと思います。

 と言うのも、せめて前半でしゃべったことだけでも、と思うのですが、どうも記憶が曖昧なのです。
 特段、緊張するとは思ってなかったですし、実際、それほどでもないと思っていたのですが、読み合わせのところでしゃべり過ぎ、いざスタートすると喉がカラカラ。また考えをまとめ切れずにいたりする自分に気づいてしまい、「ちょっとこれ、平常心ではないかな」と途中で気付いてしまったのです。
 そこから記憶が怪しくなって…。

 古くからの友人達に言わせると、競馬の仕事に就いた私が、これまで放送関係に無縁だったことが不思議だったようで、この話をしたら笑う前に呆れられてしまいました(詳細は避けますが)。

 ともあれ、古い友人達は放送は聴いていないのですが、呆れた後に笑ってくれましたし、最近のごく近しく付き合わせていただいている皆さんには、いろいろ気を使っていただたいて恐縮するばかりだったのですが、辛辣だったのはウチの山の神。
 その日の夜。収録が終わった後、美浦に戻って日が替わるくらいまで業務をこなして帰宅するなり、放送を聴いたとみえて、ちょっとだけゴニョゴニョしつつ、意を決したと思ったら、
 「あれ、なに?」
 ですから。
 {面目ないです}
 まあね、自分でもそう思ってるんですから仕方がありません。

 で、続けて、
 「さ来週はマシになってるのかねえ」
 と言うので、
 「もう録っちゃってるんだから手の施しようがないよ。なんぼか慣れた感じはあるかもしれんけど」
 「そうか…」

 とは言うものの司会の鈴木淑子さんはもちろん、パートナー役の小塚歩アナウンサーの軽妙な語りのおかげで、決して滅茶苦茶な、放送できないようなレベルではないと思いますので、興味を持たれた方、次回の放送でお耳汚しくださればと思います。
 あ、いやいや、淑子さんと小塚アナのしゃべりについて〝耳汚し〟はないですね、失礼しました。

 このように、ここ数年来、本当に初めて体験することが増えていまして、みっともないやら恥ずかしいやら。
 いやそうではなくて、どれもこれも有り難いこととして受け入れて、元気に過ごしてまいりたいと思います。

 なんだか自分のことばかりになってしまいました。また次回も、この顛末、そして取材中のエピソードなど、同様のスタンスになるかと思いますが、よろしくお付き合いください。
 ありがとうございました。

美浦編集局 和田章郎

和田章郎(編集担当)
編集部勤務ながら現場優先、実践主義。競馬こそ究極のエンターテインメントと捉え、他の文化、スポーツ全般にも造詣を深めずして真に競馬を理解することはできない、がモットー。この秋は予定の九州場所に加えて、やっぱり今一度北海道にも行かねばならず、移動距離が大変なことになりそう。体力つけないと…と思い悩む今日この頃。