前回の当コラムで、競馬を始めた〝キッカケ〟のようなものに触れました。その中で、初めて競馬場に足を踏み入れた日のことも書きましたが、当日行われたイベントについて敢えて触れずにいたことがあります。今回のようなテーマを扱う際に、取り上げたいエピソードだったから。
今更ながら正確な日付は昭和59年1月15日。そのお昼休みのことでした。
当時の賞金王アンバーシャダイと、天皇賞馬メジロティターン(尾形藤吉師最後の重賞勝ち馬で、メジロマックイーンの父親です)の引退式が執り行われたのです。
2頭とも前年の有馬記念に出走してアンバーシャダイ3着、メジロティターン6着。レースは12月25日で、ほんの20日ほど。言ってみれば走ったばかりのことでした。
中山競馬場の3コーナー過ぎから内メジロ、外アンバーの併せ馬の形で徐々に加速。直線も迫力満点のフットワークで、並んだままゴールを駆け抜けました。おぼろげながらも美しい映像の記憶で、一階タタキのコース沿いの柵のところで見ていましたが、蹴り上げた芝の塊が高く舞い上がって描いた放物線も、目に焼きついています。
2頭の体がとても大きく映って見えたのは、今にして思えば種牡馬入り前の体造りだったからなのか、まあそれは何とも言えませんが、とにかく初めて見る超一流馬の姿、ですんでね。ただただ圧倒されたのだと思います。
今にして思えば、と言えば、有馬記念からそれほど日が経っていない日程で、この豪華な併せ馬が実現するなんて、という感じもします。別の厩舎の、別の馬主さんの2頭による引退式が、多くのファンの前でお披露目されたのですから。
で、今度はブックに入社後。昭和62年12月13日の日曜日に、以前ブックログの方で触れたミホシンザンの引退式が執り行われました。
雪のため2R終了後に中止、順延が決定。そのお昼休みのことでした。深々と雪が降り続く中、内馬場の馬道から現れてダートコース入りし、ファンに別れを告げたのです。勿論、体調面を考慮されての引退で、前述2頭の併せ馬のようなド迫力、というわけにはいかなかったのですが、それだけ寂しさひとしお、のお別れシーンになりました。
こういった印象的な引退式を最初に見てしまうと、どうも厄介なのは、それが自分の中での〝スタンダード〟になってしまうこと、でしょうか。
ですから、昨今すっかり定着してますけど、現役最後のレースを走ったその日の最終レース終了後、に行われる引退式。いまだに慣れないというか、違和感こそ薄まってきましたが、やっぱりしっくりこない部分が気持ちの中に燻る感じがあるのです。
その一番の原因は、やっぱり馬券的な見地からになりますか。そうでなくとも引退レースの取捨に悩まされるのに、更に〝一生に一度〟のイベントが控える直前のレース、になるわけですから。予想する際に余計なファクター(本当に余計なのかもしれませんが)、悩ましい要素が加わってしまいませんか?
それに、お別れはお別れとして、別の場で、きちんとした形で、と思うファンも居るんじゃないか、なんて気もして…。
勿論、主役である馬の現役引退後の、〝次のステージ〟を考慮した措置であることは重々理解できますし、「引退レースを観た後のお別れイベント」のコンセプトにも、なるほどね、と思います。だからこそ今では納得しているわけなんですが。
少し話が逸れてしまいました。
他にも、たくさん例を挙げることはできるのですが、ともかく最初に受けた印象が、その後に与える影響は小さくない、という話。そしてまた、そこから身に付いた感性によって、対象の映り方がどう変化していくか、ということ。
ご存知の方も多いかと思いますが、手前味噌ながら〝東京競馬場の特別室に週刊競馬ブックの読者をご招待する〟というイベントを年に2度、開催しています。
その際に、来場してくださったお客様とできるだけ話をさせてもらっているのですが、女性のお客様から多く耳にするのは、初めて競馬場に来た時の印象が〝競馬場が綺麗だった〟ということ。「それで競馬場に対する印象がガラッと変わった」とおっしゃる方が多いのです。
これは前回書いた、「競馬場は様々な価値観を内包した場所として機能して欲しい」との主張と相反するようでいて、決して相容れない感覚ではない、と思っています。
「競馬場は汚い」「悪としてのギャンブル場」という印象が定着しているのは確かにゆゆしき問題です。その誤解は取り払わなくてはなりませんし、新規ファン獲得のための努力も怠れません。
ただし、負のイメージから単に目を逸らせる手法だけで、本当の競馬の魅力が伝わることになるのでしょうか?一時だけでもごまかせればいい、という発想では問題がありませんか?
ファーストインパクトの影響というのは小さくなく、だからこそ、その印象づけに力を注ぐのは当然。ですが、重要になるのはその先。競馬そのものをどう伝え、認識を深めていただくのか、ということ(決して上から目線ではなく…)。
そのあたりのことをおざなりにしてしまっては、結局のところ大事なものを失ってしまうのではないか。相変わらずそんなような不安を払えないでおります。
美浦編集局 和田章郎
和田章郎(編集担当)
昭和36年8月2日生 福岡県出身 AB型
1986年入社。編集部勤務ながら現場優先、実践主義。競馬こそ究極のエンターテインメントと捉え、他の文化、スポーツ全般にも造詣を深めずして真に競馬を理解することはできない、をモットーに日々感性を磨くことに腐心。そして固定観念に縛られないよう、様々な要素を織り交ぜつつ競馬と向き合い、理想と予想の境界線を超えられればと奮闘中だが、なかなかままならない現状。