両刃のペン(和田章郎)

 “ペンは剣よりも強し”と言います。
 これ、故事成語の類だとばかり思っていたら、戯曲の中の一節なのだそう。でもやっぱり諺のようにして定着している成句のように思えます。
 初めて耳にしたのは多分、小学生の頃。「だからしっかり勉強しましょうね」みたいなニュアンスだったのかな。なにしろ昔のことで記憶はあいまいで、担任の教師から聞かされたのか、別の誰かから聞いたのか…。
 当時は単純に、耳にした通りに“武器よりも文章や言葉の持つ力の方が強い”みたいな感じで理解していたんじゃないかと思います。あるいは、“活字は強力な武器になりうる”とか。それが少しばかり発展して、“有事が起きた際に重要になるのは腕っぷしではなく知性である”といったように理解の仕方に広がりが出てきたのは、もっと年齢を重ねてからになりますか。
 更に更に、良い悪いを含めて様々な解釈が可能であると気付いたのは、いい大人になってから。というか、白状すればごく最近のような気もするのですから、我ながら呆れてしまいます。
 良い方の例を挙げると、ペンを文官、剣を武官に置き換えると、国家間の争いを戦争ではなく外交で、といった平和的な解決法に応用できそうです。
 ところが、あにはからんや、というか皮肉なもので、インターネットが普及した現代社会では真逆に出てしまっていて、ペンは剣よりも強大な“暴力”として機能しているケースが目立ってきています。これが直接的な悪い例でしょうか。

 なんらかの意見、思想、主義主張を文章として発信しようとする際、インターネットが持つ最大の特性は、何の“制限”もかからないこと。ごく当たり前の社会状況なら、どこからの検閲もなければ圧力もかかりません。自由闊達な意見交換ができるようになり、健全で開かれたコミュニケーション空間が広がる。そのはずです。
 ところがこの“スーパーフリー”状態がひとたび暴走を始めると、無秩序で無軌道な、単なる暴力へとつながっていきます。
 徹底的な罵詈雑言、読むに耐えない誹謗中傷といった悪罵の数々。目の前に居ない人でも、それどころかまったく面識のない見ず知らずの人でも、簡単に攻撃して足を引っ張ったり貶めたりすることができるようになっていますね。
 まさに「ペンは剣よりも強し」なのですが、この「ペン」という武器。使い方を誤れば自らを傷つける、実に“両刃の剣”に思えます。

 この9月にブエノスアイレスで開催されたIOC総会で、2020年オリンピック・パラリンピック招致の最終プレゼンが行われました。そこでの安倍首相のスピーチ。例の「汚染水は完全に制御できている」といった意味のコメントがありました。これについて「首相は嘘つきだ」と書かれたモノをいろいろなところで目にしましたが、相手が一国の首相ですから、そりゃあインパクトがあってセンセーショナルです。しかし首相という政府要人でなくとも、たとえ市井の一庶民であっても、“嘘つき”呼ばわりされては黙っていられないでしょう。その際、それ相応の反撃が予想されるのです。
 「何の根拠があって人のことを嘘つき呼ばわりするのか」と。「その指摘をするだけの“客観的”な情報はあるのか。それは“自分自身で入手した”ものか」と。「明確な根拠なく糾弾した行為に責任が持てるのか」と。
 一般週刊誌などでよく起きている係争、つまり名誉毀損で法廷で争う事態にまで発展しかねません。無論、安倍首相の場合はいちいち相手にはしないでしょうけれど。とにかく自分が振り上げた剣が、そのまま自分に振りかかってくる可能性があるのです。

 これらの争いの根っこには、深謀遠慮、周囲に十分配慮しながら書かれたやさしい文章より、過激で反動的な表現の方が人の目に止まりやすい、ということがあります。雑誌、タブロイド紙は部数が伸びるでしょうし、ネット上ではアクセス数が増えます。要するに注目を集めやすいわけで、この手法を用いている評論家、コラムニスト、有識者と呼ばれる人は少なくありません。
 そして興味深いのは、それらの人の多くが逆襲に合った際に、ヒステリックに反応する傾向にあることです。“毒舌”とか、“舌鋒鋭い”といったキャッチフレーズで、“剣よりも強いペン”を使用する。そういうキャラを立てている以上は、批判や反論が出ないはずはなく、悠然と構えて受け流すくらいの意識があってよさそうなのですが、なかなかそうはいかないようなのです。
 で、その状況になって始まるのが“論争”。仮にそこで冷静な、中身のある“論争”が繰り広げられるのならともかく、基本が「歯に衣着せぬ」方達のペンによる応酬ですからね。あっちがこう言えばこっちはより強烈な表現でこう言い返す。それに対してあっちは更に過激な表現で…。応酬と書きましたが、現実はそれぞれが一方的に言い分を言い放つだけ。やりとりを見ている側としては、ただただ不快。これが高い見識を持って、ある意味、オピニオンリーダー的に機能しているかのように映る方達によって繰り広げられているのです。
 このあたりを見ていると、剣よりも強い武器になったペンは、どうやら使い方ひとつで単なる“暴力”という下劣で愚劣なところに堕ちやすい、ということになりそうです。ネットが普及して“ネットリテラシー”なんて言葉が登場しましたが、そんな綺麗事では抑え切れない“最終兵器”なのかもしれません。
 誰もが簡単にその危険物を使用できるようになった今だからこそ、心して「取り扱い注意」を実践しなくては。今更ながら肝に銘じて、大事に、慎重に…。

美浦編集局 和田章郎