▼スマイルジャックが西の“G1ジャック”を阻止
フェブラリーSの登録を日曜に控えたその週……。探しても探しても見当たらない関東馬。さて、東のダート馬はどこに行ったのやら?? 水曜に行われた川崎記念の直後 に「ランフォルセは使わないよ」との情報があり、それでほぼ決まり。本当に“オール関西”のフェブラリーSになってしまうのか、そんな思いを抱きながら迎えた2月5日 (日)の特別登録でした。
蓋を開けてみると、22頭のうち関東馬の名前は3頭でした。2頭は明らかに賞金除外圏。でも、これは想定の範囲内。しかしもう1頭、この日のメイン・東京新聞杯に出走 していたスマイルジャックの名前がそこに……。出走決定順は12番目で大威張り(というほどでもないけれど)。こうして“オール関西”のフェブラリーSは辛くも免れたわ けです。
皆さん御存知の通り、レースの方はテスタマッタの完勝で幕を閉じました。一方、紅一点ならぬ“東一点”のスマイルジャックはというと、初ダートがいきなり頂上決戦で はいかにも厳しく、後方のまま14着に完敗。しかしこの際、重要なのは“オール関西”を阻止したという事実なので、結果を問うのはやめましょう。
▼オール関西は28年で3回
ところで、関東馬、あるいは関西馬が1頭も出走しなかったG1が過去にどれだけあったのか? 調べてみると、グレード制が導入された1984年以降、阪神3歳S、および 、その阪神3歳Sが行われていた当時の朝日杯3歳Sを除いて、全部で3回発見しました(見落としがあるかも知れない)。
まず、“グレード制導入後初のケース”ということで話題になったのが、ダイタクヘリオスが大楽勝した1991年のマイルCS。この時は出馬投票日の金曜日になって、出走 を予定していた唯一の関東馬バリエンテーが右寛跛行のため回避。このアクシデントにより、出走馬15頭がすべて関西馬になりました。2度目は翌1992年、メジロパーマーが 逃げ切った宝塚記念。こちらは特別登録の時点で、既に関東馬のエントリーがゼロ。本番2週前に早々と“オール関西”が確定していたわけです。そして、3度目は同じ1992 年のジャパンC。ただ、このレースは出走馬14頭のうち、7頭が外国馬で1頭が地方馬。まあ参考外としていいでしょう。何れにせよ多くの方が想像された通り、すべてが“ 関東馬不在”のケース。逆に“関西馬不在”のG1というのはありませんでした。
▼たった1頭での戦い
さて、参考外としたジャパンCも含めても、28年間でたったの3回だった“オール関西”のG1。では、今回のフェブラリーSのように、関東馬がたった1頭で戦ったG1 というのはどれくらいあったのか……。こちらは意外と多くて、やはりグレード制導入以降の28年で22回。ちなみに、関西馬がたった1頭だったケースというのも6回を数え ます。その東22回+西6回の計28回は以下の通り。やはり、ジャパンCは参考外とすべきなのかも知れませんが、とりあえず、28回のすべてを列挙してみました。
※なにぶんにも個人の手作業による集計なので、間違いがあったらご容赦願います。
【関東馬の出走が1頭だったG1】
年度 | レース | 関東馬 | 着順 | 優勝馬 |
84年 | マイルCS | サーペンスール | 7着 | ニホンピロウイナー |
90年 | ジャパンC | ホワイトストーン | 4着 | ベタールースンアップ |
92年 | 天皇賞・春 | ノーブルターク | 10着 | メジロマックイーン |
93年 | ジャパンC | ライスシャワー | 14着 | レガシーワールド |
〃 | 阪神3牝S | ヒシアマゾン | 1着 | ── |
94年 | ジャパンC | ロイスアンドロイス | 3着 | マーベラスクラウン |
〃 | 阪神3牝S | オトメノイノリ | 9着 | ヤマニンパラダイス |
95年 | 阪神3牝S | エクセレトシャトー | 7着 | ビワハイジ |
96年 | 宝塚記念 | カネツクロス | 6着 | マヤノトップガン |
〃 | 秋華賞 | フジノヤマザクラ | 7着 | ファビラスラフイン |
97年 | エ女王杯 | パルブライト | 6着 | エリモシック |
01年 | エ女王杯 | レディパステル | 4着 | トゥザヴィクトリー |
02年 | 天皇賞・春 | マンハッタンカフェ | 1着 | ── |
06年 | 天皇賞・春 | ハイフレンドトライ | 15着 | ディープインパクト |
〃 | ダービー | ジャリスコライト | 14着 | メイショウサムソン |
〃 | ジャパンC | ユキノサンロイヤル | 11着 | ディープインパクト |
〃 | JCダート | ピットファイター | 10着 | アロンダイト |
07年 | ジャパンC | チョウサン | 11着 | アドマイヤムーン |
09年 | JCダート | ボンネビルレコード | 11着 | エスポワールシチー |
11年 | 宝塚記念 | シンゲン | 12着 | アーネストリー |
〃 | JCダート | フリソ | 13着 | トランセンド |
12年 | フェブラS | スマイルジャック | 14着 | テスタマッタ |
【関西馬の出走が1頭だったG1】
年度 | レース | 関西馬 | 着順 | 優勝馬 |
85年 | ジャパンC | ヤマノシラギク | 12着 | シンボリルドルフ |
86年 | ジャパンC | ラグビーボール | 4着 | ジュピターアイランド |
〃 | 有馬記念 | フレッシュボイス | 5着 | ダイナガリバー |
87年 | ジャパンC | トウカイローマン | 11着 | ルグロリュー |
〃 | 天皇賞・秋 | フレッシュボイス | 6着 | ニッポーテイオー |
〃 | 皐月賞 | ゴールドシチー | 2着 | サクラスターオー |
まあ、実際に走っている馬にしてみれば東も西もなく、「普段からよく見かける奴と、そうでない奴」くらいの違いなのかも知れません。ですが、観ている我々にとっては 、そのレースを印象を左右する重要なファクターのひとつ。たった1頭で関西に乗り込んで、G1を勝ち取ったヒシアマゾンやマンハッタンカフェ。その勝利に痺れるものを 感じた人も多かったことでしょう。一方、実に19頭もの関東馬を相手に孤軍奮闘、サクラスターオーには敗れたものの、大接戦の中で2着を守り抜いたのが皐月賞のゴールド シチー。これもまた、強く記憶に残る激走と言えるのではないでしょうか。
▼時代を映す東西比率
それにしても、関東馬が1頭だった22回のうち、実に21回までは1990年以降。逆に、関西馬が1頭だった6回はすべてが1980年代。時代の趨勢そのままに、綺麗に分かれた ものです。勿論、前出のヒシアマゾンやマンハッタンカフェのように“たとえ出走が1頭でも勝てばいい”と言われれば、確かにその通り。ただ、頂上決戦における東西の出 走比率というのは、そのカテゴリーにおける勢力図を反映するひとつの指標であり、これにより見えてくるものも少なくないはずです。
ちなみに昨年、関東馬の出走数が関西馬の出走数を上回ったG1は3回。桜花賞、オークス、秋華賞とすべて牝馬3冠レースでしたが、東西比率はそれぞれ、10:8、11: 7、10:8。結果的にはそれらすべてで関西馬が勝利したわけですが、関東馬がこれだけ駒を進めたということは、オープン層全体のレベルは決して低くなかったと受け止め ていいのではないでしょうか。ところが、皐月賞、ダービー、菊花賞の牡馬3冠に目を移すと、その東西比率は、4:14、3:15、2:16と全出走馬の実に8割強が関西馬。 オルフェーヴルの強さもさることながら、オープン層全体が相変わらず西高東低だったことが、この数字からも見て取れます。関東スタッフの我々からすると残念なことです が……。
さて、この2012年も間もなく本格的な春のG1シーズンへと突入します。それぞれのカテゴリーにおいて、今年は果たしてどんな勢力図が描かれていくのでしょうか。
美浦編集局 宇土秀顕