競馬に絡む思い出といえば、レースのシーンや、大儲けしたり、逆にすっからかんになった記憶、そんなところが一般的なところでしょうが、こうして、改めて振り返ると、意外と強く印象に残っているのが開催が中止になった時の記憶。気を揉んだり、右往左往させられた挙句、あるべき競馬がなくなるのだからそれも当然かも知れません。
▼雪の中の引退式
開催が中止される原因の多くは雪と台風ですが、それ以外に自分が体験したところでは、厩務員スト、昭和天皇の崩御、馬インフルエンザ、そして2度の大震災。昭和天皇の崩御や大震災など、“競馬絡み”の範疇を超えた社会的な出来事は別にして、自分が強く印象に残るのは、まず、入社直後の昭和62年12月にあった中山競馬の降雪による中止です。第2R終了時点で開催が打ち切られた後、雪の中で行われたのがミホシンザンの引退式。実はこの引退式、当初は1週前に行われるはずだったのですが、その前の週も雪で開催が中止。結局、予定を1週延ばして行われたものでした。降りしきる雪のために芝コースには入れず、ダートコースで現役最後の勇姿を披露したミホシンザン。寒さを通り越して“痛さ”を爪先に感じながら見届けた雪の中の別れは、間違いなく自分がこれまでに見てきた名シーンのひとつ。涙雨という言葉はあるけれど、この時の雪は涙雨ならぬ、涙雪でした。
そしてもうひとつはその涙雪からずっと時代が下って、2年前の4月。福島競馬が季節外れの雪で中止(土曜の番組が月曜にスライド)になった時のこと……。
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幻となった福島3日目の新聞。1面はヴィクトワールピサが勝った皐月賞。
月曜代替のため作り直した新聞。奥の細道特別が晴れて1面に昇格。まさに、雪が明けて“奥の細道”に陽が当たった。
▼春の大雪
春の福島の特別レース名として競馬ファンにもよく知られている雪うさぎ。なんとも雅なレース名ですが、その雪うさぎ、本物のうさぎではありません。いや、正確に言うと本物のユキウサギというのも存在するらしいのですが、このレース名の由来となっている雪うさぎは別モノ。JRAのホームページから抜粋すると、「雪うさぎとは、雪解けの頃に吾妻小富士の山肌に出来るうさぎの形の雪渓のこと。昔から地元の農家の人々は、この“雪うさぎ”が見えるようになると、種まきを始めたことから“種まきうさぎ”とも呼ばれている。福島に春を告げるシンボルとして親しまれている」とあります。
さてそうなると、春に季節外れの雪が降ったら一体どうなるか? 雪が積もり、山肌全体が真っ白に戻れば、当然のことながら、その雪形は周囲の新雪に溶け込んでいったん消えてなくなるわけです。一昨年、春の福島が雪で中止になったのは、まさにその雪うさぎ賞の前日。金曜夜から降り始めた雪は翌日の福島市内を一面銀世界に変え、JRA史上初めて、4月の開催が降雪で中止という異例の事態に追い込まれました。代替日の月曜が急きょ出勤となり、本来、嬉しいわけないのですが、この時に限っては“吹雪とともに消えゆく雪うさぎ”を思い浮かべて、それも一興といった心持。競馬関係者としては甚だ不謹慎ですが(笑)。
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▼一度に訪れた雪月花
福島競馬が中止になったその土曜日の仕事帰り。見上げた夜空に輝く月もまた印象深いものでした。雪雲が通り過ぎたあとに現れたその月は、春の朧月とは違った、どこまでも澄み切った寒月の輝き。すでに桜も終わりかけの時季に、雪と寒月と花筏。季節を越えて、“雪月花”が一度に訪れたかのような週末。何か錯覚に陥った気持のまま迎えた日曜の皐月賞、そして、月曜の福島代替競馬でした。
その福島にいよいよ競馬が戻ってきます。雪うさぎ賞は2週目の10R。ちなみに、この特別が新設されたのは2003年で、歴代優勝馬では今のところ2004年のキョウワハピネス(ファルコンS勝ち)が出世頭といえそうですが、何しろあの雪の日以来、妙に愛着が沸いたこのレース。先々のスプリント戦線で主役を張るような馬が、ここから出現することを期待したいものです。 ところで「雪うさぎ」の姿が浮かぶ「吾妻小富士」と、その後方に広がる「浄土平」。そのすべてが春の福島の特別名に使われていますが、今年でいえば、雪うさぎ賞は2週目、吾妻小富士賞は開幕週、そして、浄土平特別は3週目。この3特別を1セットにして、すべて同日に行うというのも風流な番組だと思うのですが、いかがなもんでしょう?ちなみに浄土平に通じる磐梯吾妻スカイラインは現在冬季閉鎖中ですが、福島競馬の再開に合わせるかのように4月8日(日)に開通するようです。
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