血統閑談#012 河川争奪(水野隆弘)

 川というものはずっと同じところを流れているように見えて、長い年月の間にはしばしば流路を変えるようです。人間が土木技術を身に着けて治水ということを行うようになると洪水が起こる頻度は下がりましたが、そもそも河川は水の集まりですから、重力に従って流れやすいところを流れ、削りやすいところを削り、溢れやすいところで溢れていたわけです。私どもの住む滋賀県の近江盆地の湖南低地はおおむね野洲川がのたくってできた土地のようです。のたくったせいで東海道もしばしばその位置を変えざるを得なかったようです。
 そのような川のダイナミックな働きのひとつに「河川争奪」というものがあります。たとえば山の上をのんびり流れていた川Aがあるとします、そこへ流れが急で侵食力の強い川Bがどんどん谷を削ってやがて食い込み、Aの流域をBが奪ってしまうというものです。山の浸食に限らず火山の噴火でせき止められることであさっての方向に流れが向かったり、平地でも洪水の越流の拍子に流れが別の川につながったり、いろいろなケースがあるようです。
 流れというと、血統にもサイアーラインやボトムラインといった流れがあります。河川と血統では無理のあるたとえかもしれませんが、もう流れ始めてしまったのでこのまま続けます。血統の流れにも、それぞれに勢力の強弱、長い時間を経ての栄枯盛衰があります。川の変化は大災害級の出来事でなければ百年、千年のスパンでの変化が多いのでしょうが、血統は数十年、人の一生の間にも大きな変化を見ることができます。私のような年代ですと、競馬を知った当初の大種牡馬の代名詞はテスコボーイでした。多くの名馬を送り出したテスコボーイはトウショウボーイという代表産駒を送り、種牡馬となったトウショウボーイは三冠馬ミスターシービーを送り出すなど大成功しました。しかし、令和の世となった今、テスコボーイ系といえばどうでしょう。スプリンターとして成功し、種牡馬としても名スプリンターを送り出したサクラバクシンオーの名が浮かぶのではないでしょうか。サクラバクシンオーは天皇賞(秋)の勝ち馬サクラユタカオーを経てテスコボーイに遡ります。サクラユタカオーも名馬であり名種牡馬ではありましたが、トウショウボーイの系統がほぼ途絶えたあとも、こちらがビッグアーサーを筆頭に元気に父系を継続していると20~30年前に想像できた人がどれだけいるでしょうか。これはテスコボーイ系の主流争い、河川争奪に(今のところ)サクラユタカオー~サクラバクシンオーの流れが勝利したということではないでしょうか。
 この話のバリエーションとしては以下のようにいろいろな例があります。
 米国の芝の名馬サンシャインフォーエヴァーの代役としてイトコのブライアンズタイムを輸入したら大成功し、それを受けて後追いで輸入されたサンシャインフォーエヴァーはさほど成功しませんでした。代役が主役を食ってしまったのです。1980年代を欧州を代表する名馬エルグランセニョールは種牡馬としても英2000ギニー馬ロドリゴデトリアーノらを出すなど、それなりに名馬らしい成功を示しました。その全兄トライマイベストは競走馬としての実績は一流ではあってもさすがに賢弟エルグランセニョールに比べてはかわいそうといえるものでしたが、直仔でブリーダーズCマイルG1に勝ったラストタイクーンが押しも押されもせぬ世界的な大種牡馬となりました。今も残っているのは欧州とオセアニアの両方で大成功したラストタイクーンの子孫ばかりです。もっと古い例で、グレイソヴリンという馬は英ダービー馬ニンバスの半弟というだけで(だけではなかったでしょうが)種牡馬入りし、今も細いながらも多くの分岐を通じて父系を伝えています。グレイソヴリン直仔のドン、フォルティノ、ゼダーンが入った日本では、ゼダーン系のトニービンが、直父系の存続はともかく、母系に潜むなどして今も大きな影響力を保っています。グレイソヴリンやその子孫を知らない競馬ファンはいなくても、ニンバスの名を思い出せる人がどれだけいるでしょうか。血統の流れも河川と同じで、いつ本流が変わるか、こうと決めつけられないことが多いのです。
 こんなことを思ったのは、ドバイシーマクラシックG1を制してワールドベストレースホースランキングの首位に立ったイクイノックスの素晴らしいパフォーマンス、そして皐月賞G1でのソールオリエンスの衝撃的な勝ち方を見せられたからです。両者の父はキタサンブラックです。その父はブラックタイド。ディープインパクトの全兄として、メインストリームであるディープインパクトの脇を流れる存在だったのは確かでしょう。でも、20年、30年経ったあとにどうなっているかは誰にも分かりませんよね。ひょっとすると私たちは、河川争奪の現場を目の当たりにしているのかもしれません。

水野隆弘(調教・編集担当)
昭和40年10月10日生まれ、三重県津市出身
1988年入社。週刊誌の編集、調教採時、フリーハンデ担当。先週の月曜日は新装なった京都競馬場の内覧会にお邪魔しました。新スタンドの集合場所から下見所を経て三冠メモリアルロードを散策し、そこから厩舎地区まで歩きます。200mちょっとあるでしょうか。この距離は昔と変わりません。雨が降らずに良かったですが、天気が良過ぎて暑さが応えました。暑い日でも大丈夫なようにエアコンが完備された厩舎とミスト設備のついた装鞍所を見学し、レースに向かう馬が歩くのと同じ経路で地下道へ、ここでもやはり200mほど歩いて下見所へ、そしてやはり馬と同じように下見所から地下通路を戻って馬場へ向かう分岐に入るのですが、この経路が改良され、分岐地下通路がスタンド寄りに移設されたことで、下見所→馬場への道のりは旧に比べて随分短くなりました。地下通路はイヤ!1分でも1秒でも短い方がイイ!!という馬には朗報です。