第8歩目 成長日記が聞いて呆れる(唐島有輝)

 『今週から「トレセン通信」は「唐島TM成長日記」にタイトルが変わります』
 これはトレセン通信を初めて書いた時の締めのひと文である。半分はジョーク、でも残りの半分は本気だった。トラックマンとして少しでも上を目指したいと思っている。何年か経った時、最初のコラムを読んで自分がどう感じるかと楽しみにしながら。
 その第1回目のコラムから1年。この間にいろいろなことを経験させて貰ってきた。昨年夏に初めて北海道に滞在し、秋には新たに坂路担当に。ローカルでの本紙予想もするようになり、ラジオやグリーンチャンネルでのパドック解説も少しだけではあるが担当した。仕事の環境はかなり変わってきている。ただ、以前の自分と今の自分、見比べてみてどうだろう。

 悲しいくらいなにも変わってない。

 もちろん、はじめは期待を持って挑む。何か変わるんじゃないかとか、新しい見方が生まれるんじゃないかとか。でも、時間が経ってからふと冷静になって振り返って考えてみると、何ひとつ自分の中に生み出せていない。新しいチャレンジの機会をこれだけ与えて貰って、しかもお給料まで頂いて、今の仕事に対して感謝の気持ちで一杯だし、自分は本当に恵まれていると思う。ただ、それ以上に強く感じるのは申し訳なさ。自分ほどデメリットしかない「投資先」があるだろうか。

 成長日記が聞いて呆れる。

 第1歩目?第2歩目?この間に少しでも前に進んだのか?同じ場所で足踏みしてるだけじゃないか。来年で30歳だぞ。これが論語なら「子曰く吾三十にして立ち止まる」だ。そもそも仕事を自分の成長の場として捉えている時点で間違っている。自分は二の次、他人の役に立つことが第一じゃないか。

 自分に期待し過ぎただろうか。

 もう少しハードルを下げた方がいいのだろうか。

 今のままでいいわけない。

 でもこの先どうすればいいのだろうか。

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 先週の日曜深夜に行われた凱旋門賞。日本から過去最多の4頭が出走したが、最先着のタイトルホルダーが11着、ステイフーリッシュが14着、ディープボンドが18着、ドウデュースが19着という結果に終わった。直前の大雨で厳しい戦いになるだろうとは予感していたが、それにしても日本の最強ステイヤーが直線半ばでスタミナ切れを起こし、ダービー馬が途中からまったくついていけなかったところを見て多少なりともショックは受けた。
 日本馬が初めて勝利に迫ったエルコンドルパサーの2着から23年、誰もが勝利を確信したオルフェーヴルの2着から10年。特に2012年のレースを見てまず思ったのは「もう日本馬が勝つのも時間の問題だな」ということ。しかし、翌年にオルフェーヴルが2着、キズナが4着したあたりが日本馬の活躍のピークで、それ以降、日本馬は好走することすら難しい状況になっている。これをどう捉えるべきか。
 当時の馬と比べて日本馬はレベルダウンしてるのだろうか。海外との力の差はどんどん広がっているのだろうか。凱旋門賞を目標とすること自体が間違いなのだろうか。頭を切り替えるべきなのだろうか。
 私は海外競馬のことはよく知らないし、馬場の専門家でもない。だから敗因はこれだとか、こうすれば勝てるはずだとか、そういった明確な意見はない。
 ただ、ひとつ思うのは、結果が出ていないことと退化していることは決してイコールではないということだ。
 過去を教訓にしたからといってすぐに結果に表れるほど甘くない。そもそもそんな簡単なレースなら何年も躍起になって狙い続けないだろう。それだけの高みでなければ目標にする意味はない。
 今までの経験があるのだから、たとえ大敗したとしても、多少は進歩しているはずなのだ。そして今回の負けにも必ず価値はある。次への糧になるのだから。何年後かに日本馬が勝利した際、ようやく今年の4頭の頑張りが報われるのだと思う。そうなってほしいと心から願っている。

 もう少し日本競馬の夢を信じてみよう。

 もう少し日本競馬の夢に騙されてみよう。

美浦編集局 唐島有輝
1993年7月11日生まれ。2017年入社。美浦時計班坂路担当。先週末の馬券の調子、ずっと悪かったのですが、凱旋門賞で馬連と3連複を的中し、何とかプラス収支に持っていくことができました。今週は3日間開催、その直後にダブル開始と、これから忙しい日々が続きますが、なんか乗り切れそうな気がしてきました。海外競馬よ、ありがとう。ちなみに生で見てみたい海外レース第1位はケンタッキーダービーです。老後の夢です。