まるで魔法をかけられたかのようだった。2年ぶりの海外からの挑戦者、ウェイトゥパリスは慣れない環境に戸惑ったのか、枠入りにてこずり、待たされることおよそ5分。一般レースでもそうだが、ファンファーレが鳴って枠入りが始まると見ている我々も臨戦態勢に入る。そこからタイムラグがあると緊張が持続せず、どうしてもイライラしてしまう。まして今回は競馬ファン注目の世紀の一戦だ。何をやっているんだ、と思わず呟いてしまう。だが、いざレースが始まり感動のゴールになった後はそんなことがあった事をすっかり忘れ去っていた。私がスタート前の出来事を思い出したのは翌日になってレース回顧する記事を目にした時だった。アーモンドアイが駆け抜けた2分23秒0の間に否定的な感情は消え失せていた。いや、違う。彼女が走り出す前にあった苛立ち、怒り、不安、疑念、憎しみといった類の感情が勇気、喜び、安心、信頼、愛などにすべて置き換えられていたのだ。その日は夕方から夜になっても陶酔感に満たされていた。

 私は訝しんでいた。太古の昔から英雄達の活躍のストーリーにはどこかでピンチに陥る場面がある。卑近な例でいえばテレビドラマでも最後のCMに入る前に絶体絶命というシーンがある。そんな時、所詮、これは誰かが書いた物語だ、最後には主人公が勝つに決まっているのだから余計な場面は必要ないと感じることがあった。だが、アーモンドアイの競走生活を振り返る中であの有馬記念の敗戦をスキップすることはできない。私も以前のコラムで触れたが、昨年のJRA賞を彼女は一部門でさえも獲得することができなかった。デビュー以来の輝かしいキャリアの中で初めてと言っていい大きな挫折。更にその後は新型コロナウイルスの影響でドバイ遠征が無駄に終わってしまった。物言わぬ馬の心情は計りしれないが、人間であれば立ち直れないほどショックがあったとしても不思議はない。現に同じように遠征した同厩舎のカレンブーケドールは春を全休するほど体調を崩したのだから。だが、彼女は違っていた。帰国後、いち早く復帰してヴィクトリアマイルを圧勝。そして芝GⅠ8勝の大記録を達成した後、最後の大仕事をなし遂げたのだ。ただ、あのジャパンカップの勝利にはそれまでの敗戦から得た経験が遺憾なく生かされたと思う。直前の追い切りではいつでも併走馬を抜かせる手応えながらゴールまで我慢。実際、レースでもルメール騎手は抜群のスタートを決めながら徹底して好位のインで我慢し、最後まで追い出しを待っていた。あれだけ強い馬でも細心の注意を払っていたのだから勝って当然だろう。挫折があってそれを乗り越えて更に大きく飛躍する。ピンチを凌いだからこそ大きな喜びが得られる。よくあるストーリーは人間が勝手に考え出したものではなく事実をなぞっただけだったのだ。最後はめでたく大団円、おめでとう。

 ここまできて私はある事実を思い出した。およそ3年前に今回と同じようなタイトルでコラムを書いていたのだ。それはラストランを飾ったキタサンブラックについて取り上げた時だった。アーモンドアイがシンザン記念を勝ったのは1月8日だから既に伝説の序章は始まっていたにもかかわらず、しかも自分の担当厩舎という一番、身近にいながら最後には海外を含めた獲得賞金でブラックを超えるような名馬の存在に気付かなかった不明は恥じるしかないが、それでいいのかもしれない。来年はアーモンドに敗れたコントレイルとデアリングタクトがバトンを引き継ぐのだろうが、あるいは本当の主役はもっと他にいるのかも。そして今は不滅の大記録と思われるアーモンド以上の馬が現れるかもしれないのだ。彼女が与えてくれた夢や希望を持っていれば引退を悲しむ必要はないし、休んでいる暇もない。最後にこれだけの馬を育ててくれたノーザンファームの関係者、天栄の木實谷場長、岡崎主任、そして管理していた国枝調教師、根岸調教助手、そして何より、アーモンドアイ自身に対してお礼を言いたい。こんな素晴らしいドラマを見せてくれてありがとうと。桜花賞以来、久々に200円以上になった単勝配当は最後まで彼女を信じていたファンに対する大きな恩返しだった。

美浦編集局 田村明宏

田村明宏(厩舎取材担当)
昭和46年6月28日生 北海道出身 О型
11月29日の夜はなかなか眠ることができず、翌日の朝まで待てずに日付が変わる頃に弊誌の電子版を購入。カラーグラフの見出しを見て思わず膝を打った。「地にまみれて得た力を見よ!」これこそがこの1年を振り返るのにぴったりの言葉だ。未見の方は是非、ご一読を。現役生活を振り返って国枝師はよく言われた休み明け2戦目での凡走説を否定。レース後の消耗度は年齢を重ねて体質強化されて解消していたし、暑い時期を除けばそれほどではなかったと。だから最後のジャパンカップは天皇賞より良化していたし、目標のレースの前にひと叩きするというローテーションなら過去にも、もっとパフォーマンスを上げていたかも、と語ってくれた。そんな想像も楽しいものだ。

担当の根岸助手とアーモンドアイ。美浦を退厩する前日の12月2日に撮影。