函館の2開催が無事に終了、今週から北海道シリーズの舞台は札幌競馬場へと移動します。今やすっかり函館→札幌の開催順で定着しているこの北海道シリーズですが、 1996年までは札幌開催が先に行われており、さらに遡ると、1990年に芝コースが新設されるまで、札幌競馬のすべての競走はダートで行われていました。現在、北海道開催の 最大の呼び物といえば札幌記念ですが、当時、その役割を担っていたのが函館記念。一方の札幌記念はというと、シリーズ前半で行われるダート2000mの重賞でした。


昭和58年7月30.31日号の表紙を飾る
オーバーレインボー
 

 

▼60.5キロを背負っての連覇
 現在のようにダート路線が確立されていたわけではなく、芝の一線級の参戦も少なくなかったその札幌記念。ダート戦として施行されていた時代のこのレースを連覇した馬 は2頭いますが、そのうちの1頭マーチスは昭和43年の皐月賞馬。そして、昭和57、58年と連覇を達成したオーバーレインボーも、当時は菊花賞トライアルだった京都新聞杯 優勝など芝で活躍していた馬でした。今回、引っ張り出してきた週刊ケイバブック昭和58年7月30.31日号の表紙は、60.5キロの酷量を背負って連覇のゴールを決めるそのオー バーレインボーの勇姿。しかし、オーバーレインボーの中央での勝利はこれが最後となり、翌年には地方競馬(岩手)へと移籍して行きます。

▼昔の名前で出てました
 思いがけず、自分がそのオーバーレインボーの姿を見たのは社会人になる前年の昭和60年の晩秋のこと。ロッキータイガーがジャパンCで大健闘したその日、現在は廃止さ れてしまった公営新潟競馬最大のレース、新潟グランプリを新潟競馬場でライブ観戦。その日の夜のうちに秋田まで移動して一泊し、大曲、盛岡経由で翌日には水沢へ。そこ で待ち受けていたのが、“吹雪の中の水沢競馬”でした。
 メインの目的はあくまでも前日の新潟グランプリだったため、この日、どんなメンバーのどんなレースが行われるのかも分らぬままに、寒さでかじかむ手で広げたメンバー 表。その中に見つけた名前があのオーバーレインボーだったのです。当時から馬券下手の自分は、確かこの時も結構なやられ方をしたのですが、そんなことよりも何よりも、 オーバーレインボーがここにいる。中央競馬なら開催中止になってしまうであろう吹雪の中で黙々と走っているオーバーレインボー。降りしきる雪に霞むその姿をスタンドか ら見た時に、“虹の彼方に”というこの馬の名がもの悲しげに心に響いてきたことを覚えています。
 ただ、吹雪の中の姿は強烈に脳裏に焼きついているのですが、それ以外の記憶は実にあやふや(笑)。覚えているのは、このレースでは勝ち切れずに2着止まりだったこと くらい。調べてみると、地方移籍直後に快進撃を続けたオーバーレインボーですが、8歳(当時の表記では9歳)を迎えた2年目のこの年は勢いにも翳りが見られ、この日の 2着が久しぶりの好走。その後は見どころを作れぬレースが続き、9歳となった翌年の7月が現役最終戦となったようでした。

 今回は古い週刊誌の紹介というより、単なる自分の思い出話になってしまいました。で、最後に少しだけ雑誌の中身を見てみると、自分もすっかり忘れていた事実がそこに ……。当時の北海道開催、こんな番組でした。今では考えられません(笑)。


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当時の新聞縮刷版。なぜ1面に6Rが???


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なぜならこんな番組だからです

美浦編集局 宇土秀顕