『ハナ差で運命は変わったか・続編』(宇土秀顕)

 先週の宝塚記念で2016年上半期のG1競走がすべて終了しました。キャリア僅か6戦のモーニンによる古馬G1制覇(フェブラリーS)、ストレイトガールによる7歳牝馬初のG1制覇(ヴィクトリアマイル)、皐月賞馬ロゴタイプの3年ぶりの復活勝利(安田記念)など、今年も話題が多かった上半期のG1シリーズでしたが、なかでも印象に残ったのは、やはり、ハナ差の大接戦となった日本ダービーです。
 改めてレースを振り返ると、逃げたマイネルハニーが前半1000mを通過してから大幅にスローダウン。結果的には、これがゴール前の大接戦の遠因になったと見ていますが、それはともかく、私の握っていた馬券では声の出る場面すらなし。悲しいかな、直線の攻防もそれなりに冷静に眺めることになりました。しかし、それでも残り100mでのマカヒキとサトノダイヤモンドの攻防には自然と体が前のめりに……。テレビ映像で観戦していただけなので、これ以上、あれこれと語ることは控えますが、東京競馬場から80キロ離れたこの美浦の事務所でも、若駒2頭の名勝負を存分に堪能できたダービーでした。

 ところで、ダービーにおけるハナ差の決着はこれで史上9回目。ちなみに、2012年5月のこのコラム(当時はリレーコラム)では、『ハナ差で運命は変わったか』と題して、ダービーでハナ差の勝負を演じた2頭のその後を振り返っています。当時は7例だったハナ差の決着。ダービー後の成績に関しては、どちらかと言えば敗れた方が優秀であるということを、この時に紹介しています。
 なお、そのコラムをアップした直後に行われたダービーもまた、ディープブリランテとフェノーメノによるハナ差の決着でした。史上8組目となったこの2頭のその後はどうだったのか……。まだ記憶に新しいところですが、一応振り返ってみると、ディープブリランテはダービーの2カ月後に英のキングジョージ6世&クイーンエリザベスSに遠征して8着。同年の秋には屈腱炎が判明し、結局、この一戦だけで引退となりました。一方のフェノーメノは4、5歳時に春の天皇賞2連覇の快挙を達成し、8組目もまた、ハナ差で及ばなかった敗者に軍配が上がる結果となっています。

【日本ダービーでのハナ差の決着】

年度 ①②着 ダービー以降の主な成績
S15 ①イエリユウ
②ミナミ
4勝
詳細不明(通算3勝)
S33 ①ダイゴホマレ
②カツラシユウホウ
1勝 OP①着
6勝 阪神大①着、鳴尾記①着、菊花賞②着、天皇春②着  
S36 ①ハクシヨウ
②メジロオー
未出走で引退
2勝 OP①①着、菊花賞②着
S49 ①コーネルランサー
②インターグッド
未出走で引退
未勝利 OP特別②着
S54 ①カツラノハイセイコ
②リンドプルバン
3勝 天皇春①着、目黒記①着、マイラC①着、有馬記②着
2勝 鳴尾記念①着、高松宮杯①着
S56 ①カツトップエース
②サンエイソロン
未出走で引退
2勝 京都新聞杯①着、大阪杯①着、菊花賞②着
H12 ①アグネスフライト
②エアシャカール
未勝利 神戸新聞杯②着、京都記念②着
1勝 菊花賞①着
H24 ①ディープブリランテ 
②フェノーメノ
未勝利
4勝 天皇賞春①①着、セントライト記念①着、日経賞①着
H28 ①マカヒキ
②サトノダイヤモンド

 さて、史上9組目となった今年の2頭。ハナ差で勝利を掴んだマカヒキには何やら縁起の悪い話になりましたが、勿論、過去のデータはあくまでも過去のデータ。マカヒキとサトノダイヤモンドに関しては、この流れが覆ることになるかもしれませんし、また、今までの流れを踏襲する結果になるかもしれません。何れにしても、現時点では〝神のみぞ知る〟この2頭のこれからの競走生活。数年後のダービーで10度目のハナ差の決着があった時、〝続々編〟として振り返ってみるかもしれません。

美浦編集局 宇土秀顕

宇土秀顕(編集担当)
昭和37年10月16日生、東京都出身、茨城県稲敷市在住、A型。昭和61年入社。
 内勤の裏方業務が中心なので、週刊誌や当日版紙面に登場することは少ない。趣味は山歩きとメダカの飼育。
 念願の近江ガチャコンに乗って滋賀県の新八日市駅へ。大正11年建造の木造駅舎は期待に違わぬ風情がありました。ただ、車両に大きく描かれた鉄道むすめの〝豊郷あかね〟ちゃんは、歴史ある駅舎にあまりにもミスマッチ。ちなみに数年前の槍ヶ岳の帰りにも、松本電鉄の〝淵東なぎさ〟ちゃんに遭遇。こんなことで日本の将来は大丈夫なのか、少し心配になってきます。ちなみに、私の許容範囲はJR氷見線のハットリくんと土佐くろしお鉄道の黄色と黒のシマシマくらい。後者は実物を見た訳ではありませんが……。