古代の御牧のひとつだった信州・望月牧の跡。その地を訪れたのは2年前の秋のこと。馬を囲うための野馬除(のまよけ)の遺構だけが、在りし日の御牧の姿を僅かに偲ばせる……。当時、このコラムでそう紹介しました。静かな静かな里の秋だった野馬除の跡地に関していえば、確かにその通り。しかし、この旧望月町を含めた佐久平の地には、今も馬との強いつながりを持つ文化が根づいています。それが、“望月駒の里の草競馬”。

 北は浦河から南は鹿児島・串木野まで、各地で地元の娯楽、あるいは伝統行事として継承されている草競馬ですが、この長野県内には、春の大町観光草競馬(大町市)、夏の高ボッチ高原草競馬(塩尻市)、秋の初めの安曇野観光草競馬(安曇野市)、そして最後を締めるこの望月の草競馬(佐久市)と、主だったものだけで4つの草競馬が開催されています。まさに信州は“草競馬のメッカ”といえるでしょう。ちなみに、この望月の草競馬は一時期中断されていたものが1989年(平成元年)に復活。その1989年から数えて今年が第26回にあたります。

 大町も安曇野も言わずと知れた北アルプスの玄関口。個人的には、“ウマ”ではなく“ヤマ”を目的に幾度となく訪れている土地ですが、これら草競馬のほとんどは開催が日曜日のために生観戦は不可能。ところがこの望月の草競馬だけは、毎年、文化の日の開催と決められており、その文化の日が月曜日にあたる今年が絶好のチャンス。かくして、最後の直線で声も出せなかったあの天皇賞の翌日、車を飛ばし、錦秋の碓氷峠越えに向かったのでした。

 
 
 
秋晴れの空と紅葉、そしてレース前の綺麗に整備された馬場。

 朝5時前、まだ星降る空を見上げながら茨城の自宅を出発し、関越自動車道から上信越自動車道をひたすら北上。今シーズン初冠雪の浅間山を右手に、八ヶ岳連峰を左手に見て佐久平へと車を進め、草競馬会場である望月総合グランドに到着したのは第1R発走時刻の40分前、8時20分でした。
 2年前に訪れた野馬除の跡から4キロほど南に位置するその会場。望月の中心地を眼下に見る高台は、今まさに紅葉の真っ盛り。駐車場から坂を登り切った瞬間に目に飛び込んできたのは、この日のために特設された1周400mのダートコースでした。外ラチは木製の柵、内ラチは神事よろしく笹竹にしめ縄が張られており、このコースを距離の短いポニーのレースでは1~2周、長いものだと競走馬部門の決勝で8周(春の天皇賞と同距離!)、全部で26のレースが行われる予定になっています。配布されていたプログラムによると、そのスケジュールは……。

●午前(予選) → 1Rポニー、2R競走馬、3R中間種、4R農耕馬、5R競走馬、6Rポニー、7R競走馬、8R中間種、9R競走馬、10R農耕馬、11Rポニー、12R競走馬
●午後(決勝) → 1Rポニー、2R速歩、3Rポニー、4R競走馬、5R農耕馬、6R中間種、7Rポニー、8R競走馬、9R中間種、10Rポニー、11R速歩、12R競走馬、13Rポニー、14R競走馬

 
大きいのやら小さいのやら、太いのやら細いのやらが、一緒に並ぶ。

 ポニー、競走馬、農耕馬、中間種という区分けなので厳密に馬の品種を特定することはできませんが、“競走馬”部門のレースに関していえは、出走するのは元競走馬のサラブレッドのようです。事前に大会主催者の方に少々お話を伺ったところ、県内外に、この草競馬の出走を目的として、個人で馬を所有されている方がおられるとのこと。確かにプログラムに記載されている馬主さんの住所を見ると、長野県内では地元の佐久市のほか松本市、立科町、安曇野市、大町市、軽井沢町、そして箕輪町。県外では、愛知、三重、群馬、埼玉、神奈川の各県から参加されていることが分かります。


さすがにこれは走らなかった。

 数年前には中央競馬の中山グランドジャンプを制したビッグテーストの参戦もあったようですが、残念ながら今年は不参加。競走馬部門で一頭、コクサイターボというそれらしい馬名を発見しましたが、調べてみると、2010年まで金沢で走っていた元競走馬のようでした。あとの馬についてはまったく不明。イイジャナイノ、ダメヨダメダメ(これは中間種ですが)、イマデショウ、八太郎……。元はいったいどんな名だったのか(笑)。
 それらサラブレッドを含めて、この日の参加予定馬は総勢55頭。写真にもあるように、大会本部裏にそれら参加馬が品種の区別なくズラリと繋がれている光景はまさに壮観。しかもそこに、私たちのような一般見学者が自由に立ち入ることができるのだから驚きました。こんなところが草競馬の持つ大きな魅力なのかもしれません。

 

ポニーの名誉のために言っておくと、
走る姿はかなりの迫力。決してお笑い担当だけでない。

 実際のレースの方は、予選と決勝との関連性がいまひとつ掴めず(だいたい決勝レースの方が多いことが不思議)、また、出走頭数や出走馬がプログラム通りでないケースも多々ありましたが、まあ、そこは馬券の発売もなければ賞金も懸かっていない草競馬(賞品としてミニブタは贈与される)。こちらも特に取材で訪れた訳ではないし、何よりも、草競馬ならではのこの長閑な空気の中、そんなことをいちいち気にかけるのも野暮というもの。手を伸ばせば届きそうな距離で疾走する競走馬を楽しむ、いっちょ前に前掻きしてみせるポニーの姿を楽しむ、ハクサンムーンなみに旋回しまくるポニーの姿を見てまたまた楽しむ、放馬したポニーと人間の追いかけっこを見てまたまたまた……。こうして振り返るとちっちゃなポニーが大活躍した一日でしたが、とにもかくにも、観ている我々は単純に、そして心の底からそんな光景を楽しめばいい。ただそれだけのことです。
 馬券発売がないだけに次から次へとレースが進み、気がつけば秋の日差しも傾きかける時間に。会場全体が金色の光に包まれる中、距離3200mで争われた競走馬の決勝レースは、その名の通り、栗毛の四白流星ホワイトソックスが3番手から鮮やかに抜けて快勝、今年の望月草競馬の掉尾を飾りました。それにしても目を惹いたのが、このホワイトソックスを操るジョッキーの姿。超小回りコースで見せる華麗な手綱捌きはもとより、馬上での所作ひとつひとつがあまりにも決まり過ぎている……。かつて、あのハルウララの主戦だった高知競馬の古川文貴元騎手だと聞けばそれも納得。声をかけたら爽やかな笑顔で応えてくれました。
 編集部内勤で、競馬開催日も美浦に詰める自分にとって、足の裏側から蹄の響きを感じるのは本当に久しぶりのこと。望月の駒の里で、サラブレッドやら、ポニーやら、はたまた農耕馬やらに、実にいいリフレッシュをさせてもらった秋の一日でした。
 なお、馬券の発売がない代わりに、午後に行われた2レース限定で勝ち馬当ての投票がありました。的中者には抽選で記念品が当たるとの触れ込み。勿論、これには積極的に参加しましたが、結果は敢えなくドボン。4頭立ての1着当てすら外れるようでは、18頭立ての天皇賞が取れる訳がありません……。

古川元騎手、いや、この日だけは“古川騎手”の華のある姿。一日中楽しんで、最後にこんなレースが見られて、これで入場無料では申し訳ない気分。

美浦編集局 宇土秀顕