〝ひこいっちゃんころばし〟……。何のことかさっぱり見当がつかないと思います。勿論、私もそうでした。  漢字で書いてみると〝彦一ちゃん転ばし〟。

 そう、〝彦一さん〟なる人物を〝転ばせた〟という意味で、実はこれ地名。いや、厳密には地名というより、ごく限られた地点をピンポイントで指す〝場所の名前〟です。例えばそれは、山道を歩いていると出くわす、〝カモシカの立場〟だとか、〝飛騨泣き〟といった類のもの。行程上の目安となったり、時には、そこを通過する人々に注意喚起を促す、先人の大切な教えでもあるのです。

 西沢の上流にある七ツ釜五段の滝。

 この〝ひこいっちゃんころばし〟と出合ったのは、山梨県の西沢渓谷というところ。埼玉県と境を接し、地理的には〝奥秩父〟の山域になる景勝地です。山歩きというほどではありませんが、渓谷観光の目玉である〝七ツ釜五段の滝〟まで、笛吹川の源流・西沢沿いを往復10kmほどの散策。往路は飛沫がかかるくらい川面すれすれに左岸を辿り、帰りはその清流を50mほど眼下に見下ろす水平道を歩きます。私のような高所恐怖症の人間は少々ビビりながら(笑)。

▼馬が牽いていたトロッコ
 ところで断崖の中腹に切り拓かれた幅3~5mのこの水平道、そこにはかつて、三塩軌道という物資運搬のトロッコが通っていたとのこと。道路網の整備によりトロッコは昭和43年に廃止され、現在はその軌道跡を観光用の散策路として活用しているというわけです。

 訪れたのは一昨年の晩秋。カサカサと落ち葉を踏みながら歩くその足元には、もう半世紀も前に役目を終え、赤茶けたまま残されている鉄のレールが……。現在のJR・塩山駅~三富村(現山梨市)間で、切り出された木材や生活物資を運んでいた三塩軌道の往時が偲ばれます。
 このトロッコですが、始点と終点の高低差を利用して、下りはブレーキを巧みに操りながらの惰力走行、そして、上りは馬が牽引していたとのこと。秋にはこんな眩しい木漏れ陽を浴びながら、トロッコを牽いた馬が、汗を流しながら仕事に励んでいたのでしょうか……。

 

秋の木漏れ陽の中でトロッコ軌道の跡を歩く。長閑な風景ではあるが、足もと左下は断崖絶壁。かつては馬がトロッコを牽きながらここを通った。

 
↑左端の僅かに平らな部分が軌道跡。おそらくこのあたりが最大の難所だったのでは……。

 
↑枯葉に埋もれて、かすかにレールが顔を覗かせる

▼転がり落ちた人と馬
 そんな長閑な光景を想像しながら歩いていると、ふと出くわしたのが、前述の〝ひこいっちゃんころばし〟の立札でした。この、あまりにもインパクトの強いネーミングに思わず歩みを止めて、解説の文字を辿ってみると……。

『昭和8年から43年まで三塩軌道では馬とトロッコを使い木材を搬出していた。その際、運材夫(木材を塩山駅まで運搬する係)をしていた彦一さんが、操作ミスで馬と一緒に沢に転落(方言で「ころばりこんだ」という)し、負傷したことから「ひこいっちゃんころばし」と呼ばれている。』

 以上が書かれていた解説の全文。前述のとおりこの遊歩道、足元は切り立った断崖で、普通の散策でさえ十分に注意が必要なところ。ここで物資満載のトロッコを牽くとなると、それはやはり命懸けの仕事だったのでは、と推測されます。つい今しがたまで自分の頭に浮かんでいた、秋の陽に輝く牧歌的な光景とは程遠いものだったことでしょう。

 ところで、この断崖から落ちた彦一さんですが、解説文には「負傷した」と記されているので、おそらく落命事故には至らなかったと推測されます。何100キロもある馬やトロッコとともに断崖を滑り落ちた場合、単独の滑落事故よりはるかに危険にさらされることになりますが、よほど屈強な身体の持ち主だったのか、あるいは、幸運の持ち主だったのか……。
 ただ、この〝ひこいっちゃんころばし〟に立ち、吸い込まれそうな谷底を覗き込んで思ったのは、おそらく、一緒に落ちた馬は助からなかっただろうということ。馬がどうなったのか、解説文ではひと言も触れられていません。まあ、人間の彦一さんですら「負傷した」のひと事で片付けられているので、それも当然。しかし、当然かもしれないけれど、一緒に落ちてしまった馬のことが何となく気になる……。
 そして昨秋──。なんとなく気になりながら丸1年を過ごした末に、この滑落事故の詳細が分からぬものかと尋ねてみました。こちらが恐縮してしまうくらい、丁寧に対応していただいたのが笛吹市にある山梨県立博物館。
 最初にメールで問い合わせたのですが、ちょうどこの時に開催されていたのが『甲斐の黒駒』という企画展。あの黒駒に手招きされては、足を運ばぬ道理がありません。碓井峠を越えて信州望月の地を訪れてからまだ2週でしたが、またも早朝から車を飛ばしたのでした。今度は何だろうか? 小仏越え? 談合坂越え? それとも笹子越え? まあ、すべてトンネルをくぐっただけですが……。

▼真相は闇の中
 さて、結論から言ってしまうと、彦一さんとともに滑落した馬の消息は分からずじまいでした。ただ、前述したように私のメールが届いた直後に、博物館の方がわざわざ山梨市観光課、山梨市役所三富支所に問い合わせていただいたようで、その滑落事故が起きたのは、おそらく三塩軌道が西沢まで開通した昭和8年頃ではないだろうかとのことでした。ただ、これも推測の域は出ないようですが。
 なお、三塩軌道について、県立博物館所蔵の資料では『三富村誌』が一番詳しい資料だとも教えていただきました。そこに、滑落事故(彦一さんの事故を特定したものではないが)に関する記述があります。引用させて頂くと……。

「トロッコを操作したのは〝トロ屋〟と呼ばれる男たちで、荷物の上に乗って〝ほった〟と呼ばれるブレーキを紐を巧みに操って山を下るのであり、極めて危険な仕事であり、死傷者も少なくなかったという。当時機関士をしていた磯田貞雄氏も広瀬部落の者が三人位死亡したことを記憶しておられるという」

 
観光用に復元された三塩軌道のトロッコ

 彦一さんはたまたま無事でしたが、やはり、切り立った断崖を通るこの三塩軌道では運材夫の落命事故が何度かあったようです。繰り返しになりますが、人間が命を落としたことでさえ僅かな記述が残るのみですから、一頭の馬の消息が深い闇の中に消えてしまうのも無理からぬこと。名の知れた競走馬であれば、骨折や捻挫でも広く報じられるこの競馬サークル。そうでなくても、出生、引退、死亡等の記録は、多くの場合きちんと調べがつくのが常識。改めて、自分が身を置くこの場所は、少々特殊な世界なのだと認識した次第です。

 なお、山梨県立博物館刊行の『人と動物の昭和誌』には、この三塩軌道と時代をほぼ同じくして、同じ山梨県の早川町というところで、やはり、馬によるトロッコ軌道が運行されていたと記されています。こちらは県の南西、天を突く南アルプスが眼前に迫る山間部。このトロッコ軌道もまた、狭い山あいを縫うように運行されていたようです。

 2027年開業予定のリニア新幹線は、ちょうどトロッコ軌道があった早川地区を横切り、南アルプスのど真ん中を全長25キロのトンネルで一気に貫くという壮大な計画。3000m級の高い壁もお構いなしに、天然水を恵んでくれる山の神様もお構いなしに、有無を言わさず一直線に貫きます。現代の技術の粋を集め、東京・名古屋間をたったの40分で結ぶリニア新幹線。それは果たして、馬が牽いていたトロッコの何倍くらいのスピードになるんでしょうか? これもまた、さっぱり見当がつきません。

美浦編集局 宇土秀顕

宇土秀顕(編集担当)
昭和37年10月16日生、東京都出身、茨城県在住、A型。昭和61年入社。
内勤の裏方業務が中心なので、週刊誌や当日版紙面に登場することは少ない。〝超ロングリリーフ〟となった当日版の予想からも現在は外れている(人手が減れば復帰の可能性あり)。『リレーコラム』から『週刊トレセン通信』となり、内勤編集員という立場で執筆者に残ることは肩身が狭いが、競馬の世界、馬の世界を他所から覗きに来た人に、「けっこう面白いトコですよ」と手招きするような、そんなコラムが書けたらと考えている。ちなみに、東京生まれのくせに都会が嫌い、人ごみも嫌い、そして、人付き合いもあまり得意ではない。狭いところが大の苦手、高いところもちょっと苦手。なのに趣味は山歩き。
 今回の西沢渓谷は瑞がき山登山の前日に立ち寄ったのですが、錦秋の渓谷は期待をはるかに上回る絶景。特に、七ツ釜五段の滝は一見の価値がありますよ。