↑宝ヶ池越しに望む比叡山

 京都盆地の北の外れ。市の中心部から見ると五山の送り火の〝妙〟と〝法〟の字、いわゆる「松ヶ崎妙法」の向こう側に水を湛える宝ヶ池。もともと、江戸時代に農業用水の確保を目的に作られた人工池だそうですが、現在は池を中心に公園が整備され、市民の憩いの場になっているようです。
 その宝ヶ池公園の景観、これが実に素晴らしい……。私が訪れたのは昨年12月中旬のことでしたが、池の水面には初冬を迎え渋みを増した紅葉が映りこみ、その向こうにピラミダルな山容の比叡山が……。その比叡山から比良の山々へ向けて稜線が延びている光景は、まさに一幅の絵のようでした。

 しかし、宝ヶ池公園を訪れたのはこの景観だけが目的ではありません。実は京都府警所属の平安騎馬隊が、この公園内にある〝憩いの森〟を拠点に置いているのです。
 京都府警の公式HPによると、1921年(大正10年)から京都府警には騎馬警官が配置されていました。終戦後、生活様式の変化などによりこの騎馬警官は姿を消しましたが、1994年に平安騎馬隊として復活。現在は観光地の巡回や、葵祭、時代祭などで先導警備の任を負っているとのことです。
 この平安騎馬隊の一番の魅力は、厩舎と運動馬場を自由に見学できること(見学時間は毎日、前10時から午後4時まで)。私が訪れたその日も、母親に連れられた小さな女の子が、熱心に馬の様子を眺めている姿が印象的でした。

 ところで、その騎馬隊を編成する一頭に「大文字」という名前の馬がいます。奇しくもこの平安騎馬隊が誕生した1994年生まれなので、御年23歳の高齢馬。現在の騎馬隊の中では最長老になりますが、この馬の昔の名前がオースミジャイアン。テレビ等で度々紹介されており、ご存知の方も多いと思われますが、JRAに所属していた元競走馬です。
 そのオースミジャイアンは、稀代の名牝ダリア(キングジョージ2連覇など)を祖母に持つ良血馬。現役時は通算15戦して3勝という成績に終わりましたが、生涯でただ一度だけ、重賞にも挑戦しています。その重賞というのが、トキオエクセレントが勝った1997年の青葉賞。当時の青葉賞は3着までに日本ダービーの出走権が与えられていましたが、この「大文字」ことオースミジャイアンは桧舞台のチケットに〝あと一歩届かず〟の4着でした。しかも、3着のスリーファイトとは僅かにハナの差。更には、その4着をカシマサンサンと同着で分け合っているうえ、これらに続いた6着のリアルサイボーグも、その差はクビという大接戦でした。
 〝残り一枚の切符〟を巡る攻防としては、青葉賞史上、最も熾烈を極めたこのレース。日本ダービーに僅かハナの差で届かなかったオースミジャイアンは、青葉賞後に500万、900万と条件級で2勝をマーク。しかし、4歳時に一戦だけレースを使ったところで調教中に骨折し、1年3カ月もの長期間、戦線離脱を余儀なくされました。その後、5歳春に執念のカムバックを果たしたものの、結局、復帰後は勝利を挙げることができないまま、同年の秋に引退しています。
 ちなみに、オースミジャイアンのデビュー戦は、あのステイゴールドを抑えての2着。初勝利を挙げた2戦目の相手にも、2着ビッグサンデー(スプリングSなど重賞に3勝)、4着マチカネフクキタル(菊花賞を含め重賞3勝)といったビッグネームが……。それらの事実からも、このオースミジャイアンが高い資質を秘めた馬だったことは間違いないところ。もしも青葉賞でダービーの権利を掴んでいたら……。そんな思いが頭を巡ります。

 まあ、当のオースミジャイアンも今は「大文字」。華麗なるその出自も、また、ステイゴールドやマチカネフクキタルといった強豪に先着したことも、そして、青葉賞でハナ差に泣いたことも、今はもう、どうでもいいような顔をしてこの宝ヶ池でのんびりと日々を過ごしているようです。

 ちなみに、京都駅からだと最寄りの国際会館駅まで地下鉄で20分足らず。近くには叡電も通っていますし(この場合の下車駅は宝ヶ池)、交通の便は悪くありません。
 冒頭で紹介した宝ヶ池越しの比叡山、冠雪すればまた格別の風情があるようですし、そんな冬景色を愛でがてら、近くに住む人は一度訪れてみてはいかがでしょうか。
 ちなみに名前は「大文字」ですが、「妙法」の右でも左でもありません。向こう側にいます。お間違えのないように……。

美浦編集局 宇土秀顕

↑大文字ことオースミジャイアン

↑平安騎馬隊の運動馬場

宇土秀顕(編集担当)
昭和37年10月16日生、東京都出身、茨城県稲敷市在住、A型。昭和61年入社。
内勤の裏方業務が中心なので、週刊誌や当日版紙面に登場することは少ない。趣味は山歩きとメダカの飼育。
宝ヶ池と国際会館は若い人たちにとって〝聖地〟とされているようですが、ここは半世紀前に某特撮ヒーローが大苦戦に陥った場所でもあります。昭和30年代生まれの私にとっても〝聖地巡礼〟の旅となった今回でした。