先週末から「戦火の馬」という映画が公開されている。スピルバーグ監督でアカデミー賞で6部門にノミネートされた話題作でもあるので、既にご覧になった方も多いだろう。映画評という柄ではないが、主役の「ジョーイ」はサラブレッドという設定なので触れないわけにもいかない。競馬好き視点の感想文程度に捉えてください。ネタバレなしなのでご安心を。

 第一次大戦前夜のイギリスから、ジョーイがフランスの対ドイツ前線に送られて終戦を迎えるまでの物語。ジョーイ役を演じた馬は数頭いたと思われるが、おおむねそのルックスはメジロライアンと昨年の欧州チャンピオン・フランケルを足して2で割ったような鹿毛馬で、気が強く、頑固だが、賢い。ときに華奢なサラブレッドにはとても無理な仕事を課せられたり、イージーゴーイングなウマ一般の生活信条から外れた行動を取ったりもするが、そのようなジョーイが自らの判断力とタフさ、そして関わった多くの人々の機転や愛情によって死屍累々の西部戦線を生き延びていく。4~5年にわたったであろうエピソードを2時間半に詰め込んでいるので展開はスピーディ。「騎馬と剣」から「機械と火器」へと戦闘の方法が変化する当時の急速な文明の流れの中で、馬が取り残されていく姿を映しているともいえるだろう。あとは見てのお楽しみ。

 ところで、第一次大戦にイギリスが参戦したのは1914年8月4日。その年の秋のセントレジャーは通常のドンカスター競馬場で行われたが(勝ち馬ブラックジェスター)、翌1915年から終戦の1918年まで、ダービーはニューダービーの名で、セントレジャーはセプテンバーSの名で、それぞれ2000ギニーと同じニューマーケット競馬場で行われることになる。しかし、この4年間にイギリス競馬には3頭の三冠馬が現れた。
 まず、1915年にはポマーン(Pommern)が2000ギニーを3馬身、ダービー(ニューダービー)を2馬身、セントレジャー(セプテンバーS)を2馬身差で制した。ポマーンは第一次世界大戦の開戦前にデビューしているので、その名が敵国ドイツの地名ポメルンに由来するのは偶然だろうが、皮肉にも同名のドイツ海軍戦艦ポメルンは翌1916年6月のユトランド沖海戦で沈没している。父系としてのポマーンは既に絶えたと見られるが、血統表の奥深くに今でも希にその名を見つけることがある。最近の活躍馬ではエリザベス女王杯のリトルアマポーラの9代母レスペランスの父がそれ。ポマーンはひょっとするとジョーイと同い年かも知れない。
 1917年の三冠馬はゲイクルセーダー(Gay Crusader)で、父系は欧州で細々と近年まで生き延びたほか、ベルギーのプリンスローズ(プリンスキロやプリンスシュヴァリエ、プリンスビオらの父)の母の父、ジェベル(パーソロンの父系曽祖父)の母の父として日本にも少なからぬ影響を与えた。
 1918年に三冠を制したゲインズバラ(ゲインズボロー Gainsborough)はあまりにも有名。ゲイクルセーダーと同じバヤルド産駒で、こちらはハイペリオンを通じて現代まで世界中で大きな影響力を保っている。また、日本でも古く直仔トウルヌソル(6頭の日本ダービー馬の父)から、直系5代孫ディクタスまで、その存在を抜きに近代競馬史が語れないほどだ。

 1916年は三冠馬が出なかった。2000ギニーをクラリシムス(Clarissimus)、ダービーを牝馬のフィフィネラ(Fifinella、牝馬としては最後のダービー勝ち馬)、セントレジャーをハリーオン(Hurry On)が分け合った。ハリーオン直系としては凱旋門賞でニジンスキーを破ったササフラ(Sassafras)が名高い。ササフラの娘エリモグレースは日本で繁殖牝馬として成功し、岩手の名馬トウケイホープやウインターS勝ち馬クラウンエクシードを産んだ。種牡馬となったトウケイホープが唯一残した牡駒である1987年生まれのトウケイニセイは、1993年と1994年の2度の南部杯制覇を含め43戦39勝2着3回3着1回の成績を残し、去る3月6日に岩手県滝沢村の「馬っこパーク・いわて」で生涯を閉じた。岩手最強馬として晩年を岩手に生き、震災後の1年を見届けての大往生だったのかも知れない。

栗東編集局 水野隆弘