トレーニングセンターで生の調教を見てみたい。そう思うファンは少なくないだろう。でも、実際にはJRAが募集する「G1調教見学ツアー」などに当たらない限りほぼチャンスはない。しかも、当たったとしても水曜日の夜明け前に栗東トレセンまで自力でたどり着かないといけない。車であれば名神高速の栗東インターから約15分で着くし、乗峯栄一センセイは豊中から早朝当日輸送を敢行している。そうでなければ始発電車とタクシーだが、それでも冬時間(馬場開場午前7時)でないと集合時間には間に合わない。そういうわけで敷居は非常に高い。最近はネットの地図で精細な航空写真が見られるので、馬場の形態や広さがある程度想像しやすくはなっているが、もちろんそこに馬が走っているわけでもない。

 6月初めに「栗東市の観光物産協会が栗東トレーニングセンターを一望できる望遠鏡を新たに設置した」との報道があったので、休みの日に行ってみた。場所は「金勝山(こんぜやま)」の通称で知られる竜王山の、金勝寺馬頭観音堂の駐車場。トレセンから車で信楽方面に向かい、山道を上る。2~1.5車線の県道で、急勾配のワインディング路が続くが、約10分で峠にある「道の駅「こんぜの里りっとう」に着く。大きな看板が出ているので間違いようがない。ひと休みして地図なりカーナビなりを確認しておきましょう。そこを出てすぐ右に分岐した細い道をたどって「金勝寺(こんしょうじ)」を目指す。1車線の林道で、それまでより更に勾配がきつく、カーブも細かくなるが、舗装は荒れていないし路肩にも余裕があるので、乗用車なら特に危険を感じることもないだろう。途中の分岐で折り返すように左に曲がるところさえ間違わなければ(金勝寺の標識あり)、15分もかからず金勝寺の駐車場に至る。天平5(733)年に開かれた金勝寺は古刹や仏像に興味のある人は必見だが、時間がなければ素通りしても差し支えない。ちなみに拝観料は500円で、個人的には軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)像が大迫力の鄙には稀な名作(重文)。それを見るだけでも値打ちがある。あ、脱線しました。林道に戻って更に上っていくと、5分ほどで右手に展望が開け、間もなく「馬頭観音堂前駐車場」に着く(私は道の駅に車を置いて徒歩で上ったので車の所要時間は推測です)。

 駐車場は展望台を兼ねており、琵琶湖を遠景に湖南一帯が見渡せる場所にベンチが並べられている。そこでいやがおうでも目に入るのが1本すっくと立つ望遠鏡。観光地によくあるコインを入れる巨大双眼鏡ですわ。Nikon製で30倍、対物レンズ径80mm、視野角1.7度。35mmカメラ換算なら1500mmレンズ相当かな。100円で1分30秒見られる。やや左手、北の方に目をやれば肉眼でもトレセンはすぐに分かる。狛坂磨崖仏などが見られるかなりマニアックなハイキングコースの起点でもあるので、競馬と無縁の人が望遠鏡を覗くと何あの巨大トラック!?と驚く可能性はある。この日は曇りがちだったので靄がかかったように見え、望遠鏡を通すと若干ゆらゆらと不鮮明な像になるが、ちょうど馬場にハロー掛けをしている大型車両が確認できた。わずかに右に視点を移すと、視野いっぱいに調教スタンドが収まる。大きく見えるといってもその程度なので、朝の調教時間中に訪れて追い切りを見ることができたとしても、馬の特定まではとても不可能。しかも、この手の望遠鏡で動くものを追うにはかなりの腕を要することになる。とはいえ、グリーンチャンネルの調教ビデオを見慣れていれば、あの外先行・内追走の深緑色3頭併せは角居厩舎ではないか?あの青い服は池江寿厩舎ちゃうの?と推測できる程度にはよく見えると思う。恐らくマシュマロなら個体を特定できるのではないだろうか。

 正直なところ、どうしても馬がトレセンを走っているところが見たいという人を除くと、遠方からこれだけのために車を走らせて訪れる観光資源にはなりえないと思う。何かのついでに通りがかったとか、運よくトレセン見学ができたとか、春秋の「馬に親しむ日」の乗馬苑開放の際に、せっかくだから帰る前にどこか寄っていくかなという場合に限って行く価値はある。栗東という地名は競馬ファンならだれでも知っているが、JRの栗東駅で降りても競馬のけの字もない。トレセンにまで近づいてもフェンス越しに乗馬苑で馬の気配が感じられるかどうか。そういった現状なので、山の上からの望遠鏡も、閉じられたトレセンが外から見られるようになったという点では意味がある。

 ここからは余談。週末、土日の調教は競馬が控えているので、通常の調教時間よりも早い時間に馬場が開く。今は阪神・中京開催時なら4時、京都は5時。大井のナイターの数分の1程度の照明設備はあるものの、夏場以外はほとんど真っ暗な中で調教が行われることになる。そういう時に不思議だったのが、採時の合間に調教スタンドから望む金勝山の山頂付近に謎の光が見えること。同僚・同業者にあれ何やろ?と尋ねても誰も知る由もなく、ある調教師に至っては、あれは鈴鹿山脈じゃないかい?と。ともかく、2コの光が見えるので車のヘッドライトであることは間違いない。そう推測がついたが、寒い朝の4時から誰が何のためにそんなところに行くのであろうか。ずっと謎だったわけです。栗東在住20数年、初めて金勝山の上まで登って分かった。あのライトは馬頭観音堂前駐車場に止めた車からの光だったということが。山上から見たら、夜明け前の闇に巨大トラックが浮かび、そこを次々に馬が走っていくわけで、これはちょっとしたファンタジーともいえる景色。ただ、山にはイノシシ、サル、キツネ、タヌキといった野生動物も多いので、暗いうちに林道を上ることはおすすめできない。谷底に転落する危険もあるし、イノシシなどは麓の田畑を荒らすので害獣扱いだが、それでも車で跳ねたら嫌でしょ。ちなみに、道の駅からの徒歩ルートなら、山上から景色を見て金勝寺を拝観しての時間込みで往復3時間弱。上り道の序盤は車道と石段の2つのルートがあるが、車道をおすすめします。石段ルートは推定20m降りて80mは登るので、息は上がるし太ももは固まるしで、ホンマ、心が折れそうになる。

栗東編集局 水野隆弘