新潟への出張で心と体と懐がボロボロになった月曜日。
散歩ぐらいしかやることもなく、いつもは行かない道を歩いていたら完全に迷子になった。
方向感覚だけは人より確かだと自負していたのに、その感覚さえダメになった。グーグルのお世話になって、目的の銭湯に何とかたどり着くことはできたけれど、膝も股関節もズキズキと痛んできた。
ジェットバスで患部を集中的に当ててみたものの、効果覿面とはいかない。土日の傷が癒えるどころか、ますます悪化してしまった。
こうなったら晩飯はハンバーガーを腹いっぱい食って、気分転換するか。
店に入って注文してから、井上の防衛戦があったことを思い出した。ろくなことのなかった一日でも。最後にひとつ楽しみができた。
ひとつ前の試合の途中からスマホで観戦。この試合もかなり面白くて、最後はちょっとはらはら。すっかり気分も良くなった。
井上の試合は説明するまでもなく、最後はしっかり倒す素晴らしい試合。ダウンから始まっただけに会場の興奮はいつも以上のように感じられた。
会場が東京ドームなのだから、そもそもの歓声がいつもとは全く違ってはいたのか。
しかし、最近、世界を股にかけて活躍している日本人のアスリートは弱点があまりなく、無敵な印象さえある。
すでに引退した羽生結弦や毎日のようにニュースで見る大谷翔平。
ちょっとピンチがあっても最後は決める。まるで昭和のお年寄りが歓喜していた水戸黄門のようなラスト。
日本人が最も好きなストーリー。いや、日本人に限る必要ないかもしれない。
みんな30代前後でまさに脂がのり切っている。
ジョッキーの年齢はどうだったろうか?
ちょっと見てみたら現時点での上位3人は30代後半以上のベテラン。
しかし、その下には20代のジョッキーがベスト10に5人も入っている。
これなら順調に世代交代しつつある。日本の競馬も安泰だ。とは言い切れないところにもどかしさがある。
この春シーズンの一番の話題はルメール騎手がドバイで負傷して騎乗できなくなったことではないだろうか。
ほぼすべてのGIで一番人気になる可能性のある馬に騎乗予定だっただけに大混乱に陥った。
出走投票寸前まで公に発表されないまま出馬表が出るようなレースもいくつかあった。
そして何よりも、代わりに騎乗したジョッキーに前述の20代の若手騎手が選ばれることがなかったのは残念だった。
馬に関していえば、井上や大谷に負けないほどのスーパースター、イクイノックスが昨年まで活躍。
しかし、人は思ったほど順調に育っているとは言い難い状況のような気がする。
ルメール騎手も気がつけば40代半ば。短期免許で来日するジョッキーに期待するのもいいけれど、ぼちぼち若手騎手にももっと大きなチャンスを与えられてもいいのではないだろうか。
最初は必ずしも結果は出ないかもしれないが、人が育てば未来の大きな成功により近づくはず。
その意味ではケンタッキーダービーは非常に興奮させてくれて、本当に惜しいレースだったと思う。
おそらく、坂井騎手には日本では決して得ることのできない貴重な経験になったはずで、自信にもなっただろう。
すぐに取って代わられるような存在ではなく、海外のジョッキーとも互角に渡り合えるようなジョッキーを育てることが今後の大きな課題なのは間違いない。
ならば、今から新人ジョッキーにはデビューして海外に半年くらい滞在して騎乗することを義務付けるようなシステムがあってもいいような気がする。
野球もサッカーもそして自分が好きなラグビーでも高校生のレベルで海外での試合経験を積んで若手の育成に取り組んでいる。
他の競技でも海外に出て、揉まれることが大事な育成の過程になっているのではないか。
日本国内の競馬は勿論だが、当たり前のように海外からの依頼を受けて騎乗するようなジョッキーを目指して育成して欲しい。
日本競馬のレベルの高さは今でも海外には知れ渡っているけれど、更に上を目指すのであればジョッキーの育成は必須のような気がする。
ところで、自分としては大谷選手や井上選手のような完璧なスーパースターにそれほど興味はなくて、応援する気にもなれない。
どこか欠点がありながら、どこかでひと花咲かせる。そんな選手の方に魅力を感じてしまう。
これが競馬にも通じていて、先週のNHKマイルCのような決まり方ばかりになってしまうと……
競馬界のことを考えることだけではなく、もっと自分の感性を磨くことが先決かも知れない。
何とか来年の今頃は日々笑って過ごせるような成長した姿で予想できていることを目標に頑張ります。
美浦編集局 吉田 幹太
昭和45年12月30日生 宮城県出身 A型
道営から栗東勤務を経て、平成5年に美浦編集部へ転属。現在は南馬場の調教班として採時を担当、グリーンチャンネルパドック解説でお馴染み。道営のトラックマンの経験を持つスタッフは、専門紙業界全体を見渡しても現在では希少。JRA全競馬場はもとより、国内の競輪場、競艇場、オートレース場の多くを踏破。のみならずアメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、フランス、イギリス、マレーシア、香港などの競馬場を渡り歩く、案外(?)国際派である。