みなさんこんにちは。北海道滞在中の丹羽崇彰です。
今日は北海道での思い出話をさせてください。
私が初めて北海道に来たのは、おそらく小学校5年生くらいだったと思います。
私の育った岐阜の田舎町はなぜだか分かりませんが、新冠町(と沙流郡日高町の境目)の田舎町へ山村留学するプログラムがありました。
姉妹都市の提携か何か結んでいると思っていましたが、今調べてみてもそんな様子はありませんでした。
夏休みの間の3泊4日くらいだったかな?
希望者(私が行った時で30人くらいだったと思います)がその田舎町の農家さんのお宅に2人ずつ分かれて滞在するわけです。私の地元もまぁまぁの田舎ですが、新冠のその地区は本当に山村で、隣の家やコンビニも車がないと行けないようなところです。
私のホストファミリーになってくれた農家さんはKさんというお宅でした。割と珍しい苗字なのでイニシャルにしておきます。私と坂本君(珍しい苗字ではないので実名)の2人でお邪魔しました。
Kさん宅は、おばあちゃん(推定80代)、おじちゃん(推定50~60代)、おばちゃん(推定50~60代)、お兄ちゃん(20代後半かな?)、お姉ちゃん(20代中盤、お兄ちゃんの奥様)、猫(白毛)という家族構成で、本当に私のことを暖かく迎えてくれました。
その地区はどの家もほとんどが農家さんで、Kさん宅ではお米、メロン、カボチャ、アスパラガス、とうもろこしなどを育てていました。
8月のその頃はちょうどカボチャとメロンの最盛期で、祖父母の影響で農作業が好きだった私は、収穫やら箱詰めやらがとても楽しくて、嬉々として作業していました。
坂本君はあまり興味がそそられなかったようで、農作業もそこそこにずっと漫画を読んで過ごしていた記憶があります。小学生ながらなんて情緒のない男なんだ、と思いましたね。
そのメロンは「にいかっぷメロン」というブランドで、ハイセイコーの絵が描いてある箱に入って今でも売っていると思います。Kさん宅では、毎日メロン半分をスプーンですくって食べていました。贅沢な話ですよね。ここでメロンの舌が肥えてしまって、他のメロンではあんまり感動しなくなりました。
3泊4日なんて本当にあっという間だったのですが、山村留学が楽し過ぎた私は翌年の夏、親とKさんに無理を言って学校のプログラムと関係なく単身で新冠に乗り込むことになります。
2年目、ひとり山村留学です。
母親に小牧空港(当時はセントレアがなかった)まで送ってもらいひとりで飛行機に乗り、新千歳空港にはお兄ちゃんが迎えにきてくれていました。余談ですが、飛行機では綺麗なCAさんが常に私を気にかけてくれていたので、とてもご満悦だった記憶があります。
今度は1週間くらい滞在したと思います。
早起きは苦手な年頃ですが、張り切って毎朝5時前に起きていたと思います。メロンとカボチャの作業をして、トラックに乗って出荷場まで行ったりしました。
近所の方と連れ合って襟裳岬に行ったり、静内の街までショッピングに行ったり。
おじちゃんが連れていってくれたマスの釣り堀では特大のニジマスが釣れて、それを唐揚げにしたのがうまかったなぁ…。あと襟裳岬で食べたウニ。肉にしか興味のない年頃ですが、魚介の美味しさを知ったのも北海道が初めてでした。
家の水道に山水を引いているので真夏でもめちゃくちゃ冷たかったこと、本当によく眠れて朝体が軽かったこと、知らない人に懐かない猫が夜一緒に寝てくれたこと、夜クワガタムシを採りにいったこと、今でもはっきり覚えているのはよほどKさん宅が楽しかったからでしょう。
2年目に訪れた時にはお兄ちゃんとお姉ちゃん夫婦に男の子が誕生し、家族が1人増えていました。
まだ授乳中だったので、生まれて数カ月だったと思います。私にも子供が1人いますが、赤ちゃんが小さいそんな時期に、よく受け入れてくれたなと今になって思います。私だったら断っちゃうな……。
今でも北海道を愛してやまないのは、小学生時代のこの経験があったからに違いありません。
あ、そうそう、Kさん宅のお兄ちゃんは週に3~4日ほど家を空けていて、馬関係の仕事が本職だ、と聞いていました。シンボリ牧場に連れていってもらって、馬と一緒に撮った写真が今でも実家に飾ってあります。それが私の初めての馬の記憶ですね。
先日、滞在トラックマン数人で門別競馬場に遊びにいってきました。今年で3年目、夏一番の楽しみイベントです。
その少し前、門別の板垣TMから今年はいつ門別に遊びにくるのかと聞かれました。なんでも、門別競馬場の職員さんが我々の日程を知りたがっていると……。
主催者に呼ばれるのは大体いいことではありませんが、正直、思い当たる点がありません。一応私の過去のXの投稿も見直しましたが、門別競馬で楽しくビールを飲んでいるだけでした…。
当日、板垣TMに聞くと、用があるのは私一人だけとのこと。
悪事を働いた記憶もない。
もしやと思ってその職員さんの名前を聞くと、なんとあのKさん宅のお兄ちゃんであることが判明しました。週に3~4日不在だったことの合点がいきました。当時からずっと働いていたんですね。
単身で山村留学してから20数年。私の親はお中元なんかのやり取りをしていて交流があるのですが、私は超久々。
板垣TMにお願いして門別競馬場の広報の方を紹介してもらい、その方が案内してくれることになりました。開催の真っ最中で大変恐縮でしたが、こんなチャンスを逃すわけにはいかず、ご好意に甘えることにしました。
とてもどきどきしながら、レースの合間に少しだけ再会することができました。騎手が落としたステッキを探している最中でした(笑)。
20年経っても、すぐにお兄ちゃんだと分かりました。私は当時から主に横に大きくなっていますが、お兄ちゃんは体形そのまま。
(お兄ちゃんは垂れ目で、シルベスター・スタローンそっくりです)
時間がなかったので挨拶程度しかできませんでしたが、当時のことを一気に思い出して本当に泣きそうでした。
広報の方に2人の記念写真を撮ってもらうと、ちょっと待っててと言って検量室に消えるお兄ちゃん。この歳になっておこづかいを貰ってしまいました…。
まだ乳飲み子だったあの男の子は、今では道内で立派な職業に就いているとのことでした。
この日馬券はまったく当たりませんでしたが、本当にいい1日になりました。
調べてみると、札幌からKさん宅まで車で2時間ちょっと。
近いうちに訪ねてみたいと思います。
私の北海道と競馬のルーツのお話でした。
ちなみに私の妹は、私以上に山村が気に入り、小学校6年生の丸々一年間留学していました。
太って帰ってきたのを、今思い出しました。
なんかもっと文才があったらなぁと心の底から思いますが、もうこれは仕方がない。読んでいただいてありがとうございました。
最後に、開催中にもかかわらず対応してくださった門別競馬場の広報様、そして板垣TM。深く御礼申し上げます。
栗東編集局 丹羽崇彰
丹羽崇彰(調教担当)
1989年2月1日生まれ。岐阜県出身。2013年、キズナがダービーを勝った年にケイバブックに入社。普段は栗東坂路の調教や編集作業を担当。
先週、家族と久々に会いました。東京で落ち合ったのですが、暑いのなんの……。岐阜県の多治見近くの出身で暑さには強いつもりでしたが、いつの間にか本州の夏には耐えられない体になっていました。