夏の2歳ステークス3連戦(水野隆弘)

 猛暑の中で続いた夏競馬もあと2週を残すのみ。今年は札幌が東西主場と同時に終わるので、夏の締めくくりとなる2歳ステークスも今週から来週にかけて新潟、札幌、小倉と3場で立て続けに行われることになる。

 暮れの朝日杯フューチュリティS(旧朝日杯3歳S)や阪神ジュベナイルフィリーズ(旧阪神3歳S)に比べると、これら夏の2歳ステークスの歴史は比較的浅い。札幌は今年で47回を迎えるが、1966年の第1回から1982年までは北海道3歳Sの名称で行われ、1966年から1968年は左回り砂1200m、1969年~1974年は左回りダート1200、1975年に右回り1200mとなり、芝1200mに変更されたのが札幌競馬場に芝コースを新設するため函館で代替開催された1989年から。現在の芝1800mに落ち着いたのは北海道シリーズの施行順が函館→札幌となった1997年からとなる。ちなみに施行順の入れ替わりで時期が早まった函館2歳Sは、かつて晩秋に行われてシャダイソフィア、エルプス、ダイナアクトレスらを送り出したころに比べると、勝ち馬も出走馬全体も小粒になった感が否めない。これはこれで仕方のないことではある。

 新潟2歳S(旧新潟3歳S)が重賞となったのは1981年。それまでは1968年から芝1200mのオープンとして行われ、途中1970年と1972年に芝1400m、1973年に芝1600mにピンポイントで距離が変更されている。1981年から中山で代替開催が行われた1996年までは芝1200m、1997年から1999年までは芝1400mで行われ、新潟競馬場改造に伴う中山での2000年は芝1200m、翌年の新装左回り新潟での1400mを経て、ようやく2002年から現在の左回り芝1600mに固定している。改めて書き出してみると条件の変更が頻繁で、個人的に勝ち馬の印象が薄いのも筆者の記憶力低下のせいばかりでもないとは思う。

 その点、条件がほぼ変わらずに続いているのが小倉2歳S(旧小倉3歳S)。1961年に芝1100mで小倉3歳特別として行われたのが前身。1964年に芝1200mに変更、その翌年に小倉3歳Sと名前が替わり、1969年に一度だけ暮れの開催の芝1600mで行われたが、1981年から重賞となると1982年と1998年に京都芝1200mで施行されたほかはずっと夏の開催最終日の芝1200mに固定している。

 2001年から年齢呼称の変更に伴い、それまでの「3歳ステークス」に代わって「2歳ステークス」と呼ばれるようになってからは、2001年の新潟2歳S(勝ち馬バランスオブゲーム)が1400mで行われた以外、これら3つの2歳ステークスは距離の違いによってそれぞれの性格が浮かび上がってきた。札幌は「最後の3歳S」として行われた2000年の勝ち馬がジャングルポケットだったことに象徴されるように、クラシックを狙う馬の早期の目標となっている。勝ち馬で後にG1を制したのは2005年のアドマイヤムーンと2008年のロジユニヴァース。勝たなかった組にも大物は多く、2003年9着のスズカマンボは後に春の天皇賞を制し、2005年6着のマツリダゴッホは有馬記念に勝った。ここ2年は2010年2着のアヴェンチュラが翌年の秋華賞に勝ち、昨年2着のゴールドシップがこの春の皐月賞馬となった。今年の場合は2歳戦が2週早くスタートした一方で北海道シリーズの開催期間が短くなっているので、その影響がどう出るか、翌年のクラシックまでを視野に収めて、出走馬のその後もフォローしておきたい。

 新潟2歳Sは2004年の出走馬が粒ぞろいで、勝ち馬マイネルレコルトが朝日杯FSに、2着馬ショウナンパントルが阪神JFに勝っただけでなく、その後、3着スムースバリトンは東スポ杯2歳Sに、4着フェリシアはフェアリーSに、5着アイルラヴァゲインは3年後のオーシャンSに勝って現在まで活躍を続け、6着インティライミは日本ダービー2着のほか重賞3勝を挙げた。このようにハイレベルだった新潟2歳S2004年組の不運は、ディープインパクトと同世代だったことに尽きるのかも知れない。それはともかく、2008年の勝ち馬セイウンワンダーは朝日杯FSに勝ち、2005年の4着馬グレイスティアラはダートに転じて全日本2歳優駿に勝った。過去10年の出走馬から4頭の2歳チャンピオンが出ていることがこのレースの特徴。

 小倉2歳Sは1200mということもあって、その後、距離が延びたりほかが成長してくるのにともなって伸び悩む例が少なくない。特に近年はその傾向が強いが、ちょっと遡れば捨てたもんじゃないんですよ。2001年に15番人気で勝ったタムロチェリーは阪神JFも7番人気で勝った。2002年2着のブルーコンコルドはのちに南部杯3連覇などダートのタイトルコレクターとなり、2003年の勝ち馬メイショウボーラーは朝日杯FSこそクビ差逃したが、4歳になってフェブラリーSに勝った。2006年のアストンマーチャンは翌年秋にはスプリンターズSに勝っている。早世していなければ同期のウオッカやダイワスカーレットと並ぶ実績を短距離で残していたかも知れない。昨年の勝ち馬エピセアロームもクラシックでの大敗から立ち直って、先週の北九州記念では6番人気で3着に食い込んだ。スプリンターとしての資質を伸ばすようにすれば、小倉2歳S組に秘められた意外に大きなポテンシャルが生きてくるようだ。

 サンデーサイレンス以降、2歳戦はクラシックへの助走という性格が強まり、ディープインパクト産駒が軌道に乗ったことで今後もその流れに変化はないだろう。2歳のうちに1800mや2000mで折り合いをはじめ競馬を教えていくのも大切なことには違いない。その一方で、スピード任せ、力任せの2歳競馬で早熟さや素の体力的なものを測るのも、種牡馬選択、繁殖牝馬選択といった競馬の先のことのみならず、優れたスプリンターやマイラーの発掘には重要だと思う。夏の終わりの2歳Sから秋にかけて、2歳戦が白熱することに期待したい。

栗東編集局 水野隆弘