年度代表馬、について(和田章郎)

 一昨日の1月29日月曜日、都内で〝2017年度JRA賞授賞式〟が行われました。
 このJRA賞。ご存知の通り、2歳牡馬、牝馬、3歳牡馬、牝馬、4歳以上牡馬、牝馬に、短距離、ダート、障害の9つのカテゴリーに分けられ、それぞれの部門賞受賞馬が選出。その中から一頭がJRAの〝年度代表馬〟に選ばれることになっています。
 選出方法は記者投票。

 17年度は各部門とも比較的落ち着いた決まり方をしましたが、年によっては「年度代表馬論争」が起きるケースもあります。勿論、その都度、思うところはありました。
 自分も投票者の一人であるため、滅多なことは書けないな、と思って封印してきたわけですが、思うところあってこの場を借り、あくまでも〝私見〟として「年度代表馬について」を記しておくことにします。

 〝年度代表馬〟の基本的な考え方には、いくつかのポイントがあります。
 まず最初が、
 〝はじめに年度代表馬ありき〟
 です。
 各部門賞受賞馬の中から年度代表馬が選ばれるルールですから、「順序が逆なのではないか」との指摘があるかもしれません。ひとつのヒントとなる例は後述するとして、この指摘についての答えとしては、〝年度代表馬の資格の捉え方〟があります。

 これは投票者が、どういう根拠でもってその馬に投票するのか、の問題ですから、最重要ポイントのひとつと言えます。

 その二つ目となるポイント=選出基準となる概念がこちら。
 〝数十年後に振り返った際、その馬名を見ただけで、その年のJRAの競馬を思い起こさせる馬〟
 となります。

 無論、この概念を用いたとしても、投票者によって感じ方の差があるわけなのですが、もうひとつ、三つ目の重要な視点があります。
 投票者が〝記者〟であることです。

 〝記者〟には二通りあって、JRA賞表彰規則の細則によれば、
 (1)中央競馬の記者クラブに通算3年以上加入している者(会友を含む)のうち、当該年度において年間を通じて中央競馬の取材を行った者。
 (2)東京競馬新聞協会又は日本競馬新聞協会に加盟している競馬専門紙各社が自社を代表して投票させる者(一社あたり5名とする)。
 とあります。

 私どもは(2)に該当するわけですが、要は予想屋さんだとか一般の雑誌編集者とか競馬関連のウェブサイトとか、それこそファンの皆さんも含めて除外されていて、限られた職種の人間による投票だということです。無論、馬主さんや厩舎関係者、それに準じた立場の人も除外されていることになります。
 当たり前に思えるだけに、重要なポイントに挙げることを不審に思われるかもしれませんが、実は年度代表馬論争の際に、案外抜け落ちている視点なのだと思っています。

 では、そもそもの話、一つ目のポイントのところで挙げた〝年度代表馬の資格〟とはなんでしょうか?
 できれば一年間通して活躍して欲しいのはやまやまです。そのうえでGⅠを勝った数でしょうか?〝年間最強馬〟をそこに当てはめますか?それよりもレースを通してたくさんの感動を与えてくれた馬でしょうか?或いは最も馬券の対象になってファンへのアピールが大きかった馬、でしょうか。
 それらすべてを有した馬がいれば言うことはありませんが、「JRAに多大な貢献をした」そのことを、何を持って判断しましょうか。

 これらを考える際に、冒頭の三つのポイントが重要になるわけです。
 「はじめに年度代表馬ありき」を、「数十年後に馬名を見ただけでその年の競馬を思い起こさせる馬」と想定し、それを「記者」の視点で考える。
 つまり、上記のもろもろの条件にプラスして、記者的視点で競馬を取り巻くトピックとしての歴史的事実が加われば、よりふさわしくなかろうか、ということです。

 繰り返しになりますが、これらはすべて〝私見〟に過ぎず、すべての投票者の理念であるべきだ、というものではありません。

 投票権がなかった頃の例になりますが、まず1993年度のビワハヤヒデとヤマニンゼファーが得票を分け合ったケース。
 前者はクラシック3戦と有馬記念に出走して菊花賞1着で残りがすべて2着。後者は安田記念と天皇賞(秋)のGⅠ2勝。
 年間を通して活躍し、安定した走りは前者で、GⅠの数なら後者、でした。
 そして年度代表馬には、選考委員会の決議を経てビワハヤヒデが受賞、そういう一年でした。
 この件について、ヤマニンゼファーが在籍したのと同じ厩舎のイスラボニータが、昨年、安田記念に出走した際に弊社週刊誌の方でも触れましたが、「その年に国際レースとなった安田記念を、父内国産馬であるゼファーが制して牙城を守り、かつ天皇賞(秋)のタイトルも得た年」として覚えておく手もあるのではないか、といったようなこと。
 また、これも大騒ぎになった(と記憶している)1999年度のエルコンドルパサーのケース。恐らく「凱旋門賞で日本馬が2着した」という当時の日本競馬界最大のトピックを、単なる特別賞扱いにしたくない、と考えた記者さんが多かったのではないかと推察され、「それもまた考え方のひとつ」と思えます。

 2001年のダービー、ジャパンCを勝ったジャングルポケットと、菊花賞と有馬記念を連勝したマンハッタンカフェがいたケースを例にとると、この年は、「日本ダービーが外国産馬に開放された年」でした。その年にダービーを勝った馬が、ジャパンCまで勝った。マンハッタンカフェの成績が見劣ったのではなく、ダービーを外国馬に開放した01年を、そのように記憶する馬名としてジャングルポケットの方が〝適任〟なのだろう、と。
 最近では2014年。ジェンティルドンナとジャスタウェイが、それぞれGⅠを海外国内1勝ずつの2勝を挙げていました。このケースは有馬の直接対決で前者に軍配が上がったことで、年度代表馬の栄誉もジェンティルドンナが手にしましたが、「日本馬が初めて国際クラシフィケーションで1位にランキングされた年」として、その当該馬である後者の名前で記憶してはどうか、と。2016年は「海外馬券の発売がスタートした年」では?といったような視点。
 そんなような私なりの選考基準で投票を続けています。

 上記は勿論、〝はじめに年度代表馬ありき〟からスタートして、ですが、だからこそ、そうした観点を経て〝年度代表馬〟が決まったら、逆に部門別では別の馬でも良かったりするのではないか、などと、戯言の類になるかもしれませんが、思ったりもするのです。特にスペシャリスト部門の馬が絡んでいたら。
 13年度のケースで言いますと、ロードカナロアが最優秀短距離馬として年度代表馬に選ばれながら、最優秀4歳以上牡馬はオルフェーヴルが選ばれました。同じ4歳以上で二通りの受賞馬が存在するのはどうなのか、という声が聞かれたものでしたが、私は〝アリ〟なのではないかと思ったりするのです。

 この件に関しての考え方のひとつとして、〝はじめに年度代表馬ありき〟のところで触れましたが、ボクシングの世界にちょっとしたヒントがあります。
 スポーツ全般に選手個々、国別、団体別に〝ランキング〟がありますが、ボクシングも例外ではありません。
 ただ、ボクシングの世界には〝1位〟の上に〝チャンピオン〟が存在します。
 これはつまり〝チャンピオン〟はランキングなんて人の作った概念に縛られない〝特別な存在〟である、と。
 実はこれ、ボクシング漫画『はじめの一歩』に出てくる印象的なセリフ(細部は微妙に違います)のひとつですが、〝年度代表馬〟と各部門賞受賞馬との違いを表現するのにもシックリくるのではないかと思うのです。
 年度代表馬が〝チャンピオン〟としてのロードカナロアで、最優秀すなわち〝1位〟がオルフェーヴル。対戦があったわけではないですが、着地点としてそんなに違和感はありません(今年のキタサンブラックとオジュウチョウサンのケースは土俵が違い過ぎて比較できませんから別次元の違和感がありますが、これはまた別の機会に)。

 さて、最後にもうひとつ。
 〝はじめにあるべき年度代表馬〝を、〝数十年後にその1年を思い起こす名前〟として記憶しようと〝記者〟が考えるとするなら、
 〝該当馬なし〟
 は有り得ない。
 歴史の目撃者であり代弁者であり論説者であるのが記者だとすると、〝該当馬なし〟は「記憶する必要がない年」であるかのような印象を抱いてしまうから。
 いや記者であるかどうか以前に、その1年を必死に、また懸命に走った馬達がいて、走らせた関係者の努力を、〝ない〟ことにする気にはとてもなれません。

 無論これも私見に過ぎませんが、縁あって投票者となった今も、そこのところの心情だけは失いたくないと思っています。
 しつこいようですが、あくまで私見、ですので悪しからず。
 年明け初回の当コラムで手前勝手なことばかり。大変失礼をばいたしました。

美浦編集局 和田章郎

和田章郎(編集担当)
昭和36年8月2日生 福岡県出身 AB型
1986年入社。編集部勤務ながら現場優先、実践主義。競馬こそ究極のエンターテインメントと捉え、他の文化、芸術、スポーツ全般にも造詣を深めずして真に競馬を理解することはできない、がモットー。ここにきて体調管理の重要性を改めて痛感しているところ。