ほっとした一日(吉田幹太)

 例年、この時季になると街はイルミネーションに彩られ、あの音楽があちらこちらから聞こえてくる。

 ひとりぼっちの自分には疎外感溢れる街並みで、どうしたって少しすねた気分になる。勿論、ひとりでいるのは自分のせいに他ならないのだけれども……。

 そんな訳で先日の貴重な休日には人が少なそうな時間帯を狙って電車に乗り、比較的、人が少なそうな浅草に遊びに行ってきた。

 つくばエクスプレスの駅を降りると思った通り、人影が少ない。地上に上がってからはさすがにそこそこ人がいるけれども、新宿や渋谷などとは大違い。ビジネスマンがほとんどいないのも浅草の土地柄だろう。

 六区の店をぶらぶら冷やかしながら歩いていると前から行こうと思っていた浅草演芸ホールが開場の時間に。いつの間にやら軽く行列もできていて、少し慌てながらチケット売り場に行くと「まだ席は余ってますよ」とひと安心。

 いざ、中に入ってみると開演5分前にもかかわらず、一列にひとりふたり座っているところもあれば、だれも座っていない列も結構ある。席が余っているどころかガラガラじゃないかと少し拍子抜けしてしまった。

 どうやら外の行列は2階席を待っていたよう。2階席の方が長い時間観覧するのには楽だということをあとで知り、これが結構な痛手に……。

 もうひとつ、イチゲンさんの弱みか昼の部、夜の部と分かれていても、入れ替えはなくて通しで見れるということ。出てくる噺家や芸人さんが口をそろえて「2800円はお得ですよ」というものだから、それなら一番から入ることもなかったのか~と思ってしまう。

 何せ寄席に入ったのが12時前。そしてにわかに目当てにしていた昼の部の主任が16時過ぎなのだから、4時間以上も座っていることになる。残念ながら、古いホールだけあって、席は少し狭く、前との間隔もそれほどない。列の端っこに陣取ったのはいいけれど、人が出入りするたびに立ち上がらなければならない。自分も辛いが、相手も言い出し辛いだろう。

 若手から始まって約2時間。道中、本人曰く「絶滅危惧種」だというギター漫談の芸人が出てきてみたり、紙きりの芸人さんが出てきてみたり、興味は確かに尽きないのだけれども、どうにもお尻が体を支えるのに悲鳴を上げ始めて、ひざや足の付け根もズキズキ痛くなってくる。

 まだ半分だな~と遊びに来たとは思えないため息をつきながら、仲入りを迎えてトイレに立ち、廊下をぶらぶらして席に戻ると少しは体も楽になり、噺家のレベルも少し上がってきたような気もする。

 そこから1時間半。体の軋みと椅子の軋みに絶えながら、いよいよトリの頃になるとガラガラの席も一杯になり、にわかに熱気も出てきた。

 そして昼の部の主任、トリの柳亭市馬が登場すると客席のあちらこちらから「待ってました!」の掛け声が。

 俺も待ってたぜとばかりに姿勢を正して、集中しなおしたが、何の、そんな必要もなかった。

 ひと声出しただけでこれまでの芸人さんとは違う。声の通りも、話し方も思わず聞きほれてしまうような感じだった。話も自然と耳に入ってきて、あっという間の20分近くの時だった。

 あとで中身を先輩に話すと、どうやら彼の十八番とも言える「掛取り」という話だったようだ。

 流行だけではなく、こんな古くていい話も知らなかったかと思いながら、いいものを観ることができたな~という充実感の方が大きかった。

 何かと寂しい年末ですが、少しほっとさせられた貴重な一日でした。

美浦編集局 吉田幹太

吉田幹太(調教担当)
昭和45年12月30日生 宮城県出身 A型
道営から栗東勤務を経て、平成5年に美浦編集部へ転属。現在は南馬場の調教班として採時を担当、グリーンチャンネルパドック解説でお馴染み。道営のトラックマンの経験を持つスタッフは、専門紙業界全体を見渡しても現在では希少。JRA全競馬場はもとより、国内の競輪場、競艇場、オートレース場の多くを踏破。のみならずアメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、フランス、イギリス、マレーシア、香港などの競馬場を渡り歩く、案外(?)国際派である。