そこそこに楽しい思いも、また、そこそこ大変な思いもした2013年が過ぎました。いや、実はまだ過ぎてはいません。新たな年を(おそらく)無事に迎えられることを感謝しながら、2013年のクリスマスにこのコラムを書いています。したがって、まだ「おめでとうございます」とは言えません。

 さて、振り返れば2013年のリレーコラムも私からのスタートでした。アップしたのが正月の3日。読んでみると、前年の暮れの有馬記念について触れています。大きく出遅れてしまった自分の本命ルーラーシップが、直線に向いて大外から伸びてきた時には鳥肌が立ったと……。確かにそうでした。
 そして1年後。今年もまた(アップ時にはもう昨年になっていますが)、夢舞台には痺れるようなシーンが用意されていました。後方追走から一気に進出して4角先頭、そこから突き放すこと8馬身!! オルフェーヴルのラストランは文字通りの独演会。ここまで眩しく輝いた〝花道〟というものが、過去にあったでしょうか? 着差をいえば、2003年の有馬記念でシンボリクリスエスが9馬身差のラストランを飾っていますが、型に嵌らぬ勝ちっぷり、見る側に与えた衝撃の強さという意味では、おそらく今回の方が上。「この馬、見せるレースというものを知ってるな」、そんな思いまで抱かされた3冠馬の花道でした。

 思えば史上7頭目のこの3冠馬、過去6頭の先輩と比べると、少々異例の存在だったといえるでしょう。その大きな理由は、まず、3冠を勝ち取るまでに4度も負けていたこと。すでに4敗を喫しながら3冠馬に輝いた例は、過去にこの馬とナリタブライアンしか例がありません。そして、3冠を勝ち取るまでに連敗を経験していたのも、この馬とシンザンの2頭だけ(しかもシンザンの2連敗に対し、オルフェーヴルは4連敗)。更には、二桁着順の大敗を経験しながら3冠に輝いた馬というのは、このオルフェーヴルが史上初めてでした。
 このような曲折の末に3冠馬となったオルフェーヴルですが、3冠を達成した後も、必ずしも順風が吹き続けたという訳ではありません。全21戦中、ある意味、最も強烈に記憶に残る阪神大賞典での敗戦、そして、春の天皇賞では1秒8差の11着と、まさに〝一敗地に塗れる〟ような大敗も味わいました。ちなみに、3冠馬の3冠達成以降の大敗経験を調べてみると、着順ではナリタブライアンの12着(秋の天皇賞)、着差ではミスターシービーの1秒9差(ジャパンCと春の天皇賞)という記録がありますが、オルフェーヴルの春の天皇賞はこれらに次ぐ記録的な負けっぷりということになります。
 しかし、その一方で、日本中の競馬ファンの視線を秋のロンシャンに釘付けにしたのも、やはりこの馬でした。しかも1度だけでなく、2度までも……。そして、冒頭で述べたあの金色に輝く花道。オルフェーヴルの3年あまりの競走生活は、次々に場面が移り行く回り舞台のようでした。

 ところで歴代7頭の3冠馬の最終戦を振り返ってみると、「これがラストラン」と決まっていたレースで勝利を飾れたのは、今回のオルフェーヴルを含めて、ディープインパクト(2006年有馬記念)、シンザン(1965年有馬記念)の計3頭。これに、3冠を達成した1941年の菊花賞が結果的に最終戦となったセントライトを加え、7頭中4頭がその競走生活を勝利で終えたことになります。
 一方、花道を飾れなかった馬は3頭。皇帝シンボリルドルフは遠いサンタアニタでの無念の敗戦(1986年サンルイレイS6着)が引退レースに。また、ミスターシービーはそのシンボリルドルフが勝った1985年の春の天皇賞で1秒9差の5着。このあまりに厳しい敗戦が、19年ぶりの3冠馬の最終戦でした。そして、ナリタブライアンはスプリントGⅠの高松宮杯(1996年)で4着。1200m戦という、3冠馬にとっては少々場違いともいえる舞台で、淋しいラストランになったのです。
 こうして振り返ってみると、同じ3冠馬といっても、3冠を勝ち取るまでの過程も、そして、競走生活の幕の引き方もそれぞれ。史上8頭目となる次の3冠馬は、いつ、どんな形で私達の前に現れるのでしょうか?

 それでは、2014年も多くの競馬ファンにとって良い年でありますように。

美浦編集局 宇土秀顕