“ギョエテとは俺のことかとゲーテ云い”
という有名な明治期の川柳(?)があります。作者は斎藤緑雨とのことですが、真偽のほどはわかりません。が、とにかく、維新後の性急な西洋文明輸入の有り様に疑問を持ち、やたらと西洋通ぶる輩を笑いに包んで痛烈に皮肉った、のかな、とは推察されます。まあ作者にそういう意図があったかどうかは、それこそわかりようがありませんが。
しかし、どうしてまたこんな川柳を思い出したかについてはハッキリしています。
今年のテニス全豪オープンの準々決勝。錦織圭選手と対戦した相手選手の名前を“バブリンカ”としてNHKが中継しました。そのスイス出身の選手は、それまで“ワウリンカ”と表記されていたように記憶していたのです。
彼の場合、比較的発音のリズムが似ているのでおそらく別人ではないだろう、と思いましたが、ひと昔前のテニスプレーヤーの“エドバーグ”と“エドベリ”にはめちゃめちゃ戸惑った記憶があります。「もしかして別人か?」と。
一緒にその中継を見ていたテニス好きの後輩と、そんな話の流れの中で、先の「ギョエテとゲーテ」の句を思い出したわけです。
カタカナの表記が難しいのは今更ながらのこと。それこそギョエテではないですが、西洋文明が入ってきたその瞬間から、日本社会に厄介な問題として横たわっている(大袈裟ですか?)わけですから。
いや真面目な話、口語の発音はもともと曖昧なものですし、そういう性質のモノを文字にすること自体、本質的に大変な作業。その対象がまったく違う言語圏の、まったく異文化のモノであればあるほど難しくなって当たり前です。またそれを日本語のカタカナ表記にしようってんですから、ねえ。
現代においては、別表記による混乱というのは、要するにメディアの考え方に左右されるのでしょう。出身国の母国語の読み方にするのか、英語読みにするのか、といったようなこと。前述のワウリンカとバブリンカや、エドバーグとエドベリもそうでしょうし、その他のスポーツ選手は勿論、スポーツに限らず様々なジャンルで生じている問題なんじゃないかと思います。
そんなことから思い出したことがもうひとつ。
JRAでは20年以上前、5年間だけ施行されていた「ヤングジョッキーズワールドチャンピオンシップ」という国際若手騎手招待競走がありました。
当時JRAは、ワールドスーパージョッキーズシリーズでもジャパンCの出走馬についても、参加する騎手、または馬を紹介する小冊子を製作してファンに配っていて(無料!)、「ヤングジョッキーズワールドチャンピオンシップ」用も毎年、作られていました。
その第3回(1994年)目の小冊子が手元にありますが、初来日した21歳のフランス人騎手について『オリビエ・ペスリエ』と表記されているのです。そう、言うまでもなくペリエ騎手のこと(翌年に同大会に参戦した時はペリエになってます)。それに従って我が社の新聞、週刊誌にも“ペスリエ”騎手が騎乗してますが、後日、「ペスリエとは俺のことかと」とペリエ騎手が言った、なんてことは伝わってきていません。
この「ヤングジョッキーズワールドチャンピオンシップ」ですが、上記ペリエももとよりデットーリだのナカタニだのプラードだの、今にして思えば…、というスーパースター達が“若手”として参加しています。国内でも大井から内田博とか園田の小牧とか。
僅か5年間ではありましたが、こういう地味な交流も、その後の国際化の一助になった側面があるのかもしれません。いや、なっているでしょう。
今年、ついにJRA所属の外国人騎手が2人、誕生しました。外国人騎手が免許を取得したのは、かつて例がなかったわけではないそうですが、現行ルールの下で、となると初めて。しかも、2人とも世界を股にかけて活躍するトップジョッキーです。今後、彼らに続く騎手も出てくるでしょうし、騎手以外の人的交流が進む可能性だってあります。いずれにしても、ひとつの契機、転換点として意識しておくべきでしょう。
無論、名前の表記が業務として求められる我々も、日々、勉強勉強。学ぶことを怠れません。
そう、いよいよそういう時代になった、ということで。
美浦編集局 和田章郎
和田章郎(編集担当)
昭和36年8月2日生 福岡県出身 AB型
1986年入社。編集部勤務ながら現場優先、実践主義。競馬こそ究極のエンターテインメントと捉え、他の文化、スポーツ全般にも造詣を深めずして真に競馬を理解することはできない、をモットーに日々感性を磨くことに腐心。そして固定観念に縛られないよう、様々な要素を織り交ぜつつ競馬と向き合い、理想と予想の境界線を超えられればと奮闘中だが、なかなかままならない現状。