7月から週刊誌誌上で編集後記の執筆に加わっています。といっても、この『トレセン通信』と同様、6週に1回のペースですが……。
 自分の最初の担当となったのが7月20日発売号。この号で掲載されたのが、新企画『GⅠプレイバック』の関東担当分(3歳牡馬編)でした。対談に立ち会ったこともあり、せっかくなので、その『GⅠプレイバック』に触れてみましたが、何しろ13字×22行しかない編集後記。伝えられなかったことが多く、ここで改めて『GⅠプレイバック』をプレイバックしてみると……。

 6月中旬、栗東より「春のGⅠをTM対談で回顧する企画をやります。ドゥラメンテが出た3歳牡馬編は当然、美浦でしょ」との通達が。人選は私に任されましたが、「ドゥラメンテ2冠の回顧なら、当然、堀厩舎担当の吉岡哲哉でしょ」と、一人は即座に決定。担当TMであるとともに、当日版の本紙予想、そして、週刊誌で『観戦記』を担当している、いわゆる〝関東ブックの顔〟。それだけでなく、今回、個人的にもドゥラメンテのこと、堀厩舎のことを吉岡に語ってもらいたいという強い思いが自分にあったから。
 さて、もう一人ですが、こちらも林茂徳(以下、林茂)でスンナリと決定。当日版では新馬戦・障害戦の本紙、そして、1面の一番目立つところで『林茂徳の買い目』も担当。また、吉岡不在の際は『観戦記』の代打を務める、こちらもベテラントラックマン。この企画、シリーズ化されるかどうか分かりませんが、もしされるとしたら、やはり、記念すべき第1回はそれに相応しい配役を、との思いが働いたのでした。
 一方、原稿は誰が起こすのか? 今回、2人には喋るだけ喋ってもらうという趣旨。行きがかり上、これは自分の役目かな?との思いもありましたが、いろいろあって、編集部の若手・山下に「ちょっとやってみなさい」と話を振り、結局、私は〝見てるだけ〟の係に。

 ところで、社内に保存されているバックナンバーをひっくり返すと、かつて、大レース前にトラックマン座談会が企画されていたことが分かります。昭和40~50年代のもう大昔。その顔ぶれを見ると、現在は退職された人ばかりで、中には面識すらない大先輩も。つまり、誌上で自社トラックマンが語り合うという企画、間もなく入社30年目を迎える私でさえ、新鮮なものだったということです。

 話は戻って7月某日、水曜夜の競馬ブック美浦事務所兼寮で対談が決定したのでした。他に適当な場所がなかったため、何と寮内の食堂で。テレビでナイターを観ながら一杯やってる他の社員の傍らで、対談はソロッとスタート。
 出だしこそ手探り状態といったムードでしたが、ビシっと資料を抱え、ヤル気満々で臨んだ林茂が、同じ2冠馬サニーブライアンの担当だった頃の話を切り出すと、そこからはもう一気にハミが掛かって〝次から次へ〟の展開に。吉岡にしても林茂にしても、やはり、メディアに出て解説している立場ですから、話すのは手馴れたもの……。
 開催日まで美浦勤務の私も、テレビを通してなるべく丁寧にレースを観ているつもりですが、やはり、現場でナマ観戦している吉岡や林茂の話には、うんうんと引き込まれるものがあります。そんなクラシック戦線の徹底分析の合間にも、なんだかんだと〝書けない話〟も挟まって、本当に密度の濃い1時間。編集後記でも書いたように、編集部の山下が苦労しながら、この密度の濃い1時間を指定行数にまとめ、無事掲載となったのです。

 ところで、〝書けない話〟は当たり前のことですが、ここでも書けません。後日、原稿を起こす前の〝対談ほぼ完全版〟資料を山下から受け取りました。この資料、すべてを公表したら面白いことだろう、そんな衝動にも駆られますが、さすがにそれだけの勇気はありません。裏話はあくまでも裏話。この資料はおそらく未来永劫、封印されることになるでしょう。まあ、そこまで大げさな内容でもありませんが(笑)。

美浦編集局 宇土秀顕

宇土秀顕(編集担当)
昭和37年10月16日生、東京都出身、茨城県稲敷市在住、A型。昭和61年入社。内勤の裏方業務が中心なので、週刊誌や当日版紙面に登場することは少ない。『リレーコラム』から『週刊トレセン通信』と改題され、内勤編集員という立場で執筆者に残ることは肩身が狭いが、競馬の世界、馬の世界の面白さを伝える、そんなコラムが書けたらと考えている。趣味は山歩きとメダカの飼育。
 いいオジサンが集まって、みんなで一杯というのが寮の食堂の夜(毎週必ず)。私と安中は、これを「居酒屋美浦」と呼んでいます。