夏競馬真っ盛り。北海道開催は舞台を函館から札幌へと移しているが、札幌開催が始まると定期的に話題に上がり、記事となるのが厩舎地区内にある通称「のぞみ橋」だ。

 

 競馬場のひと区画内に厩舎がすべて収まっている函館競馬場と違い、札幌競馬場は車が往来する一般道(環状通)を挟んだ反対側にも厩舎が広がっている(通称・西厩舎)。勿論、調教やレースが行われる馬場と行き来するのに、その都度車通りが多い車道を通るわけにはいかない。そこで車道の上に架けられたこの橋を渡って厩舎と馬場を行き来している。

上空から見た函館競馬場 赤枠内が厩舎地区(Google Earth)
上空から見た札幌競馬場 赤枠内が厩舎地区(Google Earth)

 アーチ状となっている橋だけにその勾配はなかなかきつく、夏の暑い日に橋を渡ると西の厩舎地区に着く頃には汗ばむくらい。運動不足のトラックマンにとっては鬼門・・・いやいや、いい運動になり、オイシイ話(?)までもらえる打ってつけの場所だ。運動に関して言えば、それは人間に限った話ではない。かつてロジユニヴァースがこの勾配のある橋を往復し、足腰を鍛えて後にダービー馬となった・・・そんな逸話も残されている。決して多くはないが、今でも稀にこの橋を往復して運動している馬を見ることがある。

ふたつの厩舎地区をつなぐ橋(7月17日撮影)
平成16年6月に竣功された「のぞみ橋」(7月17日撮影)

 毎年札幌に滞在しているM厩舎のM厩務員に取材をすると、「平坦な道をただ運動するだけより、勾配のある橋を利用することでストレッチ効果があるのは間違いないね」と教えてくれた。また「何より橋の向こうの厩舎地区(西厩舎)の一番のメリットはとにかく静かなこと。競馬が開催していても大きな声や音が届かないから、馬にとっていい環境だよね」とも言っていた。こちらも毎年札幌に来ているS厩舎のY助手も「自分の厩舎の馬のレースがないと土日でも一瞬競馬開催日だと気がつかないくらい」と言っていただけに、音に関する違いは相当大きいのだろう。

東厩舎側から見た橋の入り口 左手側を人や車が、右手側を馬が通る(7月17日撮影)
きつい勾配のてっぺんを越えると西の厩舎地区が 奥の山々が美しい(7月30日撮影)

 こうして書くと、ではどの厩舎も馬も橋の向こうに居を構え、この橋を利用すればいいのでは?と思ってしまうが、勿論、建物の数には限りがあるし、そこには様々な厩舎事情や戦略もあり、一概にそうとばかりは言えない。M厩務員によると「コースだけでなく検体や検疫があるのも内側の厩舎地区(通称・東厩舎)だから、何をするにも橋を渡らなくてはいけない。それに馬によってはレース前や調教前に橋を渡ることで少なからず消耗してしまうし、場合によっては馬が橋を渡るのを嫌がるようになってしまうケースもある」と時としてデメリットもあるよう。これに関してはY助手も同じことを述べていた。それぞれの陣営が優先すべきことを考慮しながら厩舎地区を選んでいる。

 

 以前からこの橋を運動に利用している小島茂之調教師に話を聞くと、「効果はあると思います。ただ、入厩したばかりの体力のない2歳馬などは、なかなかうまく登れなかったりしますね。それに最近は馬の入れ替えが激しいですからね。どの馬もまず初めての競馬場やトレセンに入厩すると環境に慣れさせることから始めます。札幌競馬場の環境に慣れて、いろいろと追い切りをやった後にようやく、では橋の運動をやってみるかとなるわけですが、最近は追い切って→レースに使って→放牧に出して→別の馬を入厩させて、となるので、なかなかそこまでじっくりじっくり時間をかけられないのが現状ですね」と、以前に比べて橋で運動をする馬が減った背景にはそんな事情もあるようだ。

調教を終え、のぞみ橋を渡って厩舎地区へ帰るトップナイフ(7月18日撮影)

 とはいえ、競馬開催日は当然この橋を渡って装鞍所、パドックへ。レースに臨み、勝っても負けてもまたこの橋を渡って厩舎に帰っていく。凱旋となるのはほんのひと握り。それでも、橋を渡った分だけ強くなると信じ、今日も多くの人馬が栄光を掴むために馬場へと向かう。

人馬は今日も馬場へ(7月26日朝撮影)

赤塚俊彦(厩舎取材担当)

1984年7月2日生まれ。かに座。千葉県出身。2008年入社。美浦編集部。

X(旧Twitter)やってます→@akachamp5972

 この「のぞみ橋」は平成16年に竣功となっていますが、M厩務員や弊社のベテランTMによると、これは橋として2代目だそう。それ以前は「もっと狭くて勾配がキツかった」(M厩務員)、「今のように車は通れなかった」(弊社TM)橋だったそうです。

 では、更に遡ってその前はどうだったんだろう?と疑問に思うとM厩務員や弊社TMでも分からず。大ベテランであるN厩舎のA厩務員が「昔は道路そのものがなく、川と土手が間にあって小さい木の橋がかかっていただけ。奥の電車(今のJR学園都市線)も高架ではなく地べたを走っていて、電車の走るすぐ脇を馬を引っ張って運動していたよ」と教えてくれました。そう言われて昔の航空写真を見ると、確かに川と土手が確認できます。それを埋め立てて車道になったタイミングで今のような橋が架けられたのだと推測できました。

 今回のトレセン通信は何を書こうかと悩んでいたんですが、取材をするうちにドンドンとその事情や歴史が紐解け、辻褄が合うことが面白くなってきました。忙しい合間に取材に応じて下さった小島調教師、3人の厩舎スタッフにこの場を借りてお礼申し上げます。

日中は車通りの多い環状通 まさか上を馬が歩いているとは思わないかも(7月24日撮影)