長年購読している毎日新聞で、最初にチェックをするのが『仲畑流万能川柳』欄。そんなことだから国際情勢やら経済やらに疎い人間になってしまうのですが、僅か17字の言葉を操って鋭く世相を突いたり、「う~ん」と考えさせられたり、そんな作品に出合うことが朝の楽しみになっています。少し前にも印象に残る作品がありました。ここで紹介させてもらうと……。

 今もってなじめぬ「ぜんぜん大丈夫」

 そう、言葉の誤用例としてしばしば取り上げられる「全然大丈夫」、つまり、全然+肯定の言葉です。ただ、誤用の定番とされる一方で、「本来の使い方から外れるが一般的になりつつある」とか、「もともと誤用ではない」といった指摘も……。〝否定派〟は特定の世代に偏る傾向にあるようですが、いずれにしても諸説入り乱れ、最も頼りになるはずの辞書にさえ「俗な用法で肯定的にも使う」といった消極的追認のスタンスを取られてしまうと、益々もって頭を悩ますことになります。

 自身を振り返ると、文章に起こす際はともかく、日常会話では「全然大丈夫」を〝全然抵抗なく〟使っており、この川柳の作者さんからお叱りを受けることは確実。
 しかし、キャスター出身の東京都知事が「私は全然OKです」と議会で答弁しているのを聞いたりすると、言葉としての正誤はさておき、全然+肯定の用法が世の中に広く馴染んでいるのだということを改めて認識させられます。

 言うまでもなく、言語は時代を超えて継承されていくものですが、その過程で誤用とか俗用とされていたものが徐々に市民権を得たり、俗語や若者言葉と呼ばれていたものを多くの人が抵抗なく使うようになったり……。だからこそ、「言葉は生き物」と言われるのでしょう。少し前のニュースで、ついに〝ら抜き言葉〟を使う人が多数派になったと報じられていましたが、これなどもまさに「言葉は生き物」の典型と言えそうです。

 しかし、曲がりなりにも編集部に籍を置いて言葉を扱う仕事に就いていると、この「言葉は生き物」という道理が実に厄介。時として議論を呼ぶことになります。
 原稿に「矛先」と書いたところ、ほこさきは本当は「鋒」と書くのだと指摘を受けたのは入社して間もない頃の話。逆にその数年後、後輩が書いた「がっつり出遅れ」の表現にはこちらが、???

 勿論、最も頼りにすべき判断基準が辞書であることに間違いありません。ただ、辞書と睨めっこしながら、何もかも「○か×」で判断したり、もともとの意味や用法と違うものを完全否定する姿勢を貫くとどうなるか? 結果として、出来上がった商品が今の時代感覚と乖離してしまう、そんな危険を含んでいることを忘れてはなりません。分かった風な物の言い方をしましたが、これは私自身への戒めでもあります。

 正しい言葉というものを意識する一方、「多くの人に受け入れられるか」とか、逆に、「多くの人が自然に使っている言葉を頭から否定していないだろうか」といった意識も持たなければいけない……。
 ひとつの川柳に出合ったことで、色々なことを考えさせられました。

 ただ、時代とともに変わりゆく言葉に対し、「本来は間違いだ」といった指摘が不要かと言えば、それは否。誰だって一度くらい、「なんだ、その言葉は」と年長者から叱られた経験があると思いますが、多くの人がそうやって、叱られながら物を学び、世の中の道理を少しずつ理解できるようになったはずですから。

 『仲畑流万能川柳』にはこんな作品もありました。

 叱りつつ叱られた日を思い出し

美浦編集局 宇土秀顕

宇土秀顕(編集担当)
昭和37年10月16日生、東京都出身、茨城県稲敷市在住、A型。昭和61年入社。内勤の裏方業務が中心なので、週刊誌や当日版紙面に登場することは少ない。趣味は山歩きとメダカの飼育。
 高倉宮御所から高倉通を北へ、近衛通を東へ。東山を越えて大津の三井寺へ落ち延びた平安末期の以仁王。この秋、かねてより計画していた、この〝都落ち〟の忠実な再現をついに実行に移しました。やんごとなき天皇の第三皇子がこの山道を深夜によく歩いたものだと、琵琶湖を眼下に感心。私の場合は、木漏れ陽の中、追手の心配もない長閑な〝都落ち〟でしたが……。