早いもので11月下旬。当コラムの担当は6週置きなので、今回が〝今年最後〟の担当回になります。
というわけで、ちょっと早いのですが、この一年の印象深かったことについて、書き記しておこうと思います(業務を離れた案件に特化して、ですが)。
まずは自分にとって、大きなプラスになったことから。
2月に石牟礼道子さんが逝去され、今更ながら重い腰を上げるようにして『苦海浄土』の第一部を読みました。「どうして今まで読んでなかったのか」と、ひどく後悔したそのうえで、到達させてもらった感があるのは、
「もうこの人の書いた物だけ読んでいればいいんじゃないか」
という境地。
その昔、読もうと思ったものだけ読めた時代がありましたが、ネット社会の現代、特に読みたいと思っていないものまで目にするようになりました。
それによって不快にさせられたり、よせばいいのに、くだらないと思いつつ、記事(ページ)につけられたコメントを追ったりなんかして、ハッとした後、我に帰って無駄にした時間に呆然とさせられることもあります。
ですから余計に、あまり好ましい傾向ではないのですが、読みたいものだけ読めりゃいい、と思うようになっているところがありました。
そんな流れの中で〝吉村昭〟に行き着いたのが数年前。
なにしろ歴史物、時代物、戦記物(これらはザックリとアーカイブ物と括れるかもしれません)を筆頭に、純文学系作品も少なくなく、中でも動物を軸にした作品群などは虚実入り混じった緊迫感に満ち満ちて飽きがきませんし、前記アーカイブ物の執筆ノート的なサブストーリー物もあれば、それぞれにちなんだ紀行物やエッセイ等も珠玉のモノばかりで…って、今更何を言ってるかっ、とお叱りを受けそうですが、とにかく「自分の読書を楽しもう」という場合の外せない作家さんとして私の中で君臨(?)していたのです。
そこへ登場したのが〝石牟礼道子〟でした。
20世紀の終わり頃、比較的マイナーな作品である『天湖』で入って文体に痺れたのがファーストコンタクト。その後は晩年(になってしまったわけですが)のエッセイをちょろちょろと読んだ程度で、代表作『苦海浄土』は後回しにしていたのです。
それを亡くなられたのを機に手にして激しく打ちのめされ、「わかった気になっていた自分」に向けて、それこそ「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と罵ったのでした。
石牟礼氏が『苦海浄土』での第一回大宅壮一ノンフィクション賞の受賞を辞退したというのは有名な話。
これ、吉村氏が第一回ナントカ賞を拒否したという〝噂話〟をスムーズに納得できたこととは対象的に、長い間「何故?」という思いを抱いていて、実際に読んでみて益々その思いが強まったのですが、何度か読み返しているうちに身体に電気が走ったような気付きが来て、〝受賞辞退〟に力強く頷くことになりました。〝ノンフィクション〟といったカテゴリーを超えているのだ、という意味で。
そう考えると、「自分は〝受賞拒否〟なんて天の邪鬼的な性質を抱えた作家、あるいは権威ある賞を取っていない作家を好む傾向にあるのかしらん?」みたいな自己分析をしてみたり、「いやいや、受賞拒否はそれなりに事情があってのことだろうし、受賞そのものの行為全般を一概には言えんわな」とかの視点も出てきたり。
なんにしても、今更ながら大好きな作家さんができたというのは大きなことでした。
ボーっと生きてちゃいけません、な。
更に〝そんなような話の流れから〟になりますが、文学を楽しむ場合は、ほとんど最初から最後まで個人の問題に収束しますので構わない(教養として知見を広めようとする場合は別)ですが、これが昨今の、SNSの世界だとあまり好ましくない状況に陥るように感じられます。SNSを利用するのが多くの場合、〝情報〟の取得、共有、そして意思の疎通が目的だからでしょうか。
ちょっとした調べ物をする際などに、検索ワードから様々なページがヒットしますが、たまに面白い内容の記事に行き当たります。興味深く読むうちに、過去の記事もチェックしたくなって、その都度、共感を覚えたりすると、その書き手のページを自分の〝お気に入り〟に入れたりなんかするようになります。
こういった突然出会ったページというのは、競馬には直接関係がなくて、ですから当然どこの誰だか知らない書き手さんばかりです。
まったく素性を明かしていない方もいれば、中身を読めばどういう仕事をされているのかおぼろげにでもわかるケースもあるし、それらしい職業をプロフィール欄に書いてあることもあります。でもそれらが事実かどうかはわかりようがありません。
ともかく、そのどこの誰だかわからない彼や彼女らの主義主張、趣味の傾向、といったものに、自分と同じような匂いを感じると、単純に嬉しくなったりします。で、その世界に耽溺しかねない。
〝狭量なものの捉え方〟を嫌悪し、「多様な価値観を標榜しつつ真の価値観を養う」なんてことを理想に掲げている身としては、上記の傾向は芳しくないどころか、危険な、恐ろしい状況、との捉え方ができます。絶対によろしくない。
このような状況を〝エコーチェンバー現象〟とか呼ぶんだとか。
「なんだ、やっぱり問題になってるんだ」
と思いましたが、それだけSNSによって偏った考え方のコミュニティが生まれ、集団となり、いずれ大きな潮流、うねりになって社会に広がり、それがいわゆる「分断」につながる。つまりSNSが、社会全体を覆う「分断」の要因のひとつと捉えられているってことでしょう。
しかし、よくよく考えると、例えば社会全般の見方について、年齢を重ねるにしたがって自分の経験則に頼りがちになる、というのは、必ずしもネット社会になってから起きた現象ではありません。てことは、ネットがなかった時代を生きてきて、ネットを手にした世代、つまり我々のような世代の方が、より偏り方が尋常ではなくなりやすい、のかもしれない。よくよく注意しなければ。
そんなような気付きがあったことも、今年の大きなプラスのひとつ、でしたか。
ところで「年齢を重ねるにしたがって自分の経験則に頼りがち」云々の話から、ガラッとくだけた中身になってしまいますが、年齢を重ねたからこそ、ちょっとしたことでハッとさせられたり、ふと疑問に思うようなことが出てきたりすることがあります。それがやっぱり何かの弾みに解決した際に、しばしば感じることが、
「なぜ今まで気づいてなかったのだろう…」
といったようなこと。
ごく個人レベルの例え話になりますが、普通の本屋さんには置いていないような競馬関連書籍が、美浦公民館の図書室には揃っていたりするわけです。読者の皆さんに「そんなの当たり前じゃないの?」と思われるとすれば、まったくお恥ずかしい限り。
そういう時に、CGの5歳の女の子に、
「ボーっと生きてんじゃねーよ」
とか言われると、
「はい、すみません」
と、つい素直に謝ってしまう。
このあたりが、あの番組の人気の理由なのではないかと(無論、他にもありますが)。あの番組へ好意的な意見をしているのは、年配の方に多いようにも思えるので。
その『ボーっと生きてんじゃねーよ!』が、今年の新語・流行語大賞にノミネートされました。
自分の中では予期していなかったですが、なるほど福島や沖縄を始めとして、海外に目を向けても北朝鮮、ロシア、アメリカ、中国とかの政治的な問題とか、プロアマ問わないスポーツ団体に生じた構造上の問題やら、パワハラだの待機児童だの一般社会的な問題などについてもそうですが、「しっかり考えなきゃね」といった警句として使えそうですから、ノミネートされること自体は不思議でもなんでもなかった。
ただ、上記のことは、それこそ今年限りのことではありません。そう考えると、厳密に言えば〝今年の新語・流行語〟の大賞にはそぐわないでしょう。
警句を〝警句〟として象徴的にするためには意味があるのかもしれませんが、それはそれとして、マイブーム的に胸に閉まっておきたい気もしている…かな?
最後に、話を戻して冒頭の石牟礼道子作品についての余話を。
今年の宝塚記念当日。上半期終了日にしては珍しく打ち上げ等の予定を入れず、まっすぐ帰宅する途中のことでした。
府中本町駅で武蔵野線の発車時間を待っていると、目の前に自分よりも明らかに年長の親父さん(失礼)が乗ってきたのです。上下黒、サイドに白いストライプの入ったジャージ姿で、顔色はホロ酔い加減でした。膝の上に乗せたリュックのポケットから見慣れたスポーツ紙がのぞいてましたから、まあ多分、競馬帰りだったのでしょう。
その先輩、リュックからおもむろに文庫本を出して読み始めたのです。目の前でしたから、ハッキリと表紙タイトルが私にも読めました。
『椿の海の記』
とありました。石牟礼道子の代表作のひとつです。
これ、実話ですよ。
『苦海浄土』を読み返している段階で、パソコン等を入れたバッグにしのばせてありましたが、負けじと引っ張り出して読む、なんてことはせず、「そうか、競馬帰りに一杯ひっかけて、ホロ酔い加減で帰りの電車内で石牟礼作品を読む、なんて先輩が居るのだなあ」と軽い感動を覚え、嬉しい気分になったのも今年の印象深かった思い出のひとつ。無論、その後、『椿の海の記』は読みましたよ。ジックリと、ゆっくりと…。
まだまだ、いくらでも学べることはあります。
さて、今年最後の『週刊トレセン通信』。業務を離れて、と限定して、まずは自分にとってプラスになったこと、なんて書き出しましたが、何気に感じたことをダラダラ書き連ね、マイナス面の方はうっちゃることになってしまいました。
いや勿論、ウェブ上の原稿ですから文字制限などなく、この先を書き続けるのは可能なのですが、読んでいて暗くなりかねない話題を続けるのは決して趣味ではありませんし、今年はここらあたりで失礼させていただこうかと思います。
かえすがえす、今年もお世話になりました。
ありがとうございました。
美浦編集局 和田章郎
昭和36年8月2日生 福岡県出身 AB型
1986年入社。編集部勤務ながら現場優先、実践主義。競馬こそ究極のエンターテインメントと捉え、他の文化、スポーツ全般にも造詣を深めずして真に競馬を理解することはできない、がモットー。来年こそは、もう少しボーっとしてる時間を減らそうと思っているところ。