東北関東大震災が発生して1カ月が経とうとしています。大自然の猛威の前に、人間の無力さを痛感させられるばかりの大災害。「戦後最大の国難」と首相や経団連の会長、他にもいろんな方が言ってましたが、太平洋戦争は遠い昔。つまりは私どもも含め、多くの国民にとって初体験の国難。この先、何をどうするのか。また、どうあるべきなのか。しっかりとした見識と行動力が求められている感じですね。

 競馬の世界でも、ご存知の通り中山競馬は地震翌日の3月12日2回5日目から4月17日までの3回開催の全てが中止に。また競馬場の被災状況が甚大なため、1回福島競馬も中止に。計画停電がどうなるのか不透明な部分もあって、今後の開催日程についてもまだまだ不透明な状況です。
 馬主さんの中には、取引先や工場、倉庫などを被災地に多く抱えていて、本業の方に多大な損害が出たという方がいらっしゃるようですし、そうなるとセリ市場はどうなるのか?という心配が出てきます。馬のことを言うと、相馬と言えばブックログの方でも取り上げたことがある野馬追いの地。被災した馬も少なくないようです(NPO法人・引退馬協会の“被災馬INFO”というサイトを参照ください)し、そしてまた、遺伝子に影響を与えるという放射性物質の問題。競馬の根幹である血統に関わることですから、「ただちに影響がない」としても、いずれ影響があるのなら、本格的に深刻な問題をはらんでいるのでは?考え過ぎならそれに越したことはありませんが。
 まあ暗い話題はこれくらいにして、気持ちを切り替えたい。そうは言っても、どう行動するかとなると、いざ考え始めると結構難しい。過剰な自粛ムードはよろしくないでしょうし、といって、何事もなかったかのように振舞うのもどうなのか。復興に向けて「被災していない地域では普段通りの経済生活を」と言いますが、それは通常ケースでの当たり前。“戦後最大の国難”である今回は、より効率的な方法を捻り出して経済生活を送らなければならないでしょう。それこそ戦後すぐの話をするなら、全国各地で競馬場が建てられたのは地方都市の復興資金を捻出するためで、それが地方自治体の有効な財源になったとか。こういう未曾有の大災害が起きて、復興に気が遠くなるような資金が必要な今、支援競馬のスタイルは“一定期間以上”継続されるべきかもしれません。日本の競馬の存在意義は、そういうところにもあるはずです。
 で、そういう直接的な経済面の話を考えると同時に、将来的な競馬の可能性ということにも意識を向けて、この機会にレースの中身そのものを見直す必要はないか、と思ったりもします。ソフト面での魅力がなくて、上に書いたような社会的貢献を、はたして競馬はし続けることができるかどうか、はなはだ不安も感じるもので。大量の処分者が出て、とりあえずの決着を見た相撲の八百長メール問題ですが、この件が気になって仕方がなかったのも、同じように閉鎖された社会特有の構図、空気が感じられたから。前回のコラムの繰り返しになりますが、ファンの目線も含めて、業界全体がチェック機能を果たさねばならない。言うまでもないですが、八百長とは関係なく、ですよ。
 先週号の一筆啓上欄では阿部珠樹さんが「対岸の火事ではない」とストレートな見出しを打ち、その前週には野元賢一さんが別の視点から「無謬神話」という絶妙の語句を用いて同じような論を展開していました。えも言われぬ漠然とした危機感として、同じような感覚を持っている人は恐らく少なくありません。近年の国技館と同じく、ファンが離れ、馬券の売上が下げ止まらない現状というのは、“一般競馬ファンのチェック機能が働いている”、その表れかもしれないのですから。
 地震発生直後から、新聞、テレビその他でよく耳にする「今できることをする」。この言葉には「将来を見据えて」という前提も含まれているでしょう。本当にこの機会、ルールなど構造上のことも含めて、業界全体でレースのあり方、競馬のあり方を見つめ直し、更なる発展の好機にしなくては。それが競馬の世界に居る人間が「今できること」なんじゃないかなと。そんなふうに思う今日この頃です。
美浦編集局 和田章郎