サイアーラインで見る日本ダービー80年(水野隆弘)

 昭和7(1932)年に創設され、今年で第80回を迎えた東京優駿=日本ダービー。主要競馬国のダービー相当レースが開始したとされる年は以下の通り。

  イギリス:ダービー1780年
  フランス:ジョッキークラブ賞1836年
  カナダ:クイーンズプレート1860年
  オーストラリア:オーストラリアンダービー1861年
  アイルランド:アイリッシュダービー1866年
  ドイツ:ドイツダービー1869年
  米国:ケンタッキーダービー1875年
  アルゼンチン:ナシオナル大賞1883年
  イタリア:ダービーイタリアーノ1884年

 これらに比べると日本ダービーはまだまだ若い競走だが、あと20年で100回ですよ。それまで生きていたいもんですね。区切りを迎えるに当たって、父系系統別の勝ち馬一覧をまとめてみた。大きなものなので外部サイトに置いた。→ 東京優駿勝ち馬の父系。PC推奨です。すみません。

 黎明期は下総御料牧場のトウルヌソルと小岩井農場のシアンモアの争いで、第1回ワカタカ、5回トクマサ、6回ヒサトモ、8回クモハタ、9回イエリユウ、12回クリフジの6勝をトウルヌソルが挙げたのに対し、シアンモアは2回カブトヤマ、3回フレーモア、4回ガヴアナーと食い下がり、カブトヤマの産駒マツミドリが昭和22年の14回に勝った。このあたりは現代のサンデーサイレンスとブライアンズタイムの争いを見るようだ。戦後すぐは同じ下総御料牧場に繋養されてトウルヌソルより10歳若い月友が台頭し、13回カイソウ、15回ミハルオー、22回オートキツの3頭を送った。同時期の小岩井農場にはプリメロがおり、こちらも11回ミナミホマレ、16回タチカゼ、17回クモノハナ、19回クリノハナと直仔から4頭のダービー馬を送り、ミナミホマレは21回ゴールデンウエーブと25回ダイゴホマレを、戦争によりダービーがなかった世代のトビサクラは23回ハクチカラを送り、16回で本命となって19番人気のタチカゼに敗れたトサミドリは26回のコマツヒカリを出して孫にも4頭のダービー馬を得た。余談だが、故内炭重夫氏が大レースで大穴が出ると「タチカゼや…」と呟いていたので、タチカゼは50年に1度クラスの衝撃的な穴馬だったと想像される。

 24回ヒカルメイジ、28回ハクシヨウ、31回シンザンといったボワルセル系の時代を経て1960年代から1970年代にかけてはフェアウェイ系やプリンスローズ系に活躍馬が固まった。フェアウェイ系からはソロナウエー直仔の32回キーストン、33回テイトオー、ハロウエーの仔の35回タニノハローモア、フェアトライアル系イーグルの仔の36回ダイシンボルガードが現れ、それをオーバーラップするようにプリンスローズ系が台頭する。特にシカンブル系はシーフュリューが34回アサデンコウを、ムーティエが37回タニノムーティエを送り、ファラモンドが42カブラヤオーを出すなど異才を示した。

 昭和46年の38回ヒカルイマイがナスルーラ系最初の日本ダービー馬となった。リーディングサイアー・テスコボーイの系統からはトウショウボーイを経て50回ミスターシービーが出たのみだが、44回ラッキールーラ、48回カツトップエース、59回ミホノブルボンを経て、トニービン直仔の60回ウイニングチケットと68回ジャングルポケットまで、30年にわたって存在感を示した点は特筆される。ナスルーラに続く波は当然というべきかノーザンダンサーで、この系統の最初の勝ち馬はリファール系モガミの仔の52回シリウスシンボリだった。翌53回はリーディングサイアー・ノーザンテーストの産駒ダイナガリバーが社台ファーム初の日本ダービー馬となった。その後も54回メリーナイス、55回サクラチヨノオーとノーザンダンサー系が続き、56回ウィナーズサークル、57回アイネスフウジンのシーホーク直仔の連覇、58回トウカイテイオーによる51回シンボリルドルフとの父仔制覇、59回ミホノブルボンの逃げ切りという転調を経て、61回ナリタブライアン、62回タヤスツヨシの登場により、ブライアンズタイムとサンデーサイレンスの現代へとつながることになる。

 駆け足でこうして見てくると、ダービー馬の血統にはリーディングサイアーとはまた違った時代ごとの流行があるのが分かる。牧場の勢力図でもあるだろう。ダイナガリバーやメリーナイスが走っているころ、サンデーサイレンスはようやく誕生したばかりだった。その父ヘイローの名を知っているひとはいても、その子孫が日本でこのような一代父系を築くとは当時思いもしなかっただろう。とすると、第100回東京優駿ではどんな血統の馬が走るのだろうか。それを想像するのも楽しいだろう。あ、しかし、その前に目前に迫った第80回を考えなくては。

栗東編集局 水野隆弘