必要なのは「双方」の努力(坂井直樹)

 こんにちは、栗東の坂井です。

 先週は、通信機器の不適切使用に関して、競馬それ自体とは別のところでの話題が多い一週間でした。週刊誌コラムの文字数(200字くらい)ではちょっと触れ切れないなと思っていたところ、今週たまたまリレーコラムの当番だったので、この件についてこの場を借りて個人的に感じたことを書くことにしました。

 

 「ルールは守る」は大前提ですから、(過去も含めて)そのルールに反した行為があったことについては擁護の余地はありません。定められた手続きによって何らかの制裁を受けるのは当然でしょう。制裁の軽重、またルールの中身を見直すべきなどいろんな意見があることもわかっていますが、それはルールを守れなかったこととはまた別の話で、切り離した議論をするべきでしょう。

 さて、「公正が確保された競馬」の実施には何が必要なのでしょう。そもそも何をもって「公正」とするのでしょうか。

 あくまで私の考えですが、公正な競馬を成立させるのに必要なのは、プレイヤー(騎手や厩舎関係者)が定められたルールを守ることと、主催者(=JRAなど)が定めたルールを守らせること、そしてそれらが健全に実施されていると第三者(=馬券購入者などのお客さん)が認めることだと考えます。当事者が「守っている(守らせている)」と宣言したところで、それが第三者に認められなければただのアピールでしかありません。馬券購買者である私たちがそれを認めたとする意思表示は「馬券を買うこと」になるでしょうか。

 一連の通信機器の不適切使用に関して私が抱いたのは「主催者が、ルールの順守をプレイヤー側に任せすぎなのではないか」。少なくとも通信機器の管理について主催者側のスタンスがかなり緩いという印象はぬぐえません。調整ルーム内に通信機器の持ち込みが禁止されたのは昨年の6月ですが、今年5月に持ち込みが発覚した水沼騎手の件の時に受けた説明は「スマホケースのみを預け入れていたが、その時に立ち会った職員はケースの中身を確認していない」。ここには「通信機器を持ち込ませない」という管理する側の意思が感じられません。守らない側が悪いのは当然ですが、ルールを守らせる側も「公正を確保する努力をしていると言えるのか」と。通信機器の管理について、プレイヤー側の良心に任せると言えば聞こえはいいですが、丸投げと言われても仕方ないでしょう。

 施設内で通信ができない設備を置いている公営競技団体もあります。先日の説明会では「ルームがある場所によっては近隣住宅への影響や、競馬開催への影響が気がかりなので、調査が必要」とのことだったようですが、それが理由であればルームの場所を変えることもあわせて検討すればいいでしょう。昨年の6騎手の不適切使用から1年半近く、水沼騎手の件からでも4カ月ほど経っていますが、どうにも腰が重い印象を受けます。

 競馬学校騎手課程におけるカリキュラムで従来以上にコンプライアンス順守の授業に厚みを持たせる、という方針もあるようですが、これも「騎手だけが悪い」と言っているようにしか見えず、主催者側から直接的に働きかけていくような対策は今のところ窺えません。公正確保が双方の努力があって初めて可能になるものだとすれば、今後もっとも求めたいのは、守る側だけでなく、守らせる側の積極的なアプローチです。守らせる側がどのように動いていくのか、これから注視していきたいと思います。

 

栗東編集局 坂井直樹

坂井直樹(調教・編集担当)
昭和56年10月31日生 福岡県出身 O型
 競馬を実施する者を監視する役目である第三者(=馬券購買者)が現状を甘んじて受け入れて良かったのかという思いもあります。特に先週は週の中間、「馬券を買う側は『公正な競馬が実施されている』と信じて今週の競馬を見られるのだろうか」という思いにも駆られました。公正確保に必要な三要素(と勝手に設定しましたが)からいえばひとつ欠けているわけで、その点では競馬が開催できる状況にはないのではないか、開催するべきではないのではないか、などとも考えました。もっとも、開催が止まれば競馬しかコンテンツのない私たち競馬専門紙は死んでしまうわけですが、それくらい、この一連の出来事は深刻な問題であるという意識は持っておきたいものです。