競馬の語り部(宇土秀顕)

 私は常に美浦勤務なのであくまでも伝え聞いた話ですが、7月7日の福島競馬場は土曜日としては異例の盛り上がりだったようです。勿論、その主役はJ・GⅠ馬としてはアポロマーベリック以来3年7カ月ぶりに平地競走に出走し、見事に勝利を飾ったオジュウチョウサンに他なりません。
 今回の平地挑戦に対しては、ファンや関係者の間でも様々な意見が飛び交いました。障害王者が平地に姿を見せることを純粋に喜ぶ声がある一方で、石神騎手の胸中を慮る声も少なくありませんでしたし、ずっと以前からオジュウチョウサンを応援してきた人の中には、あまりの騒がれ方に一抹の寂しさを覚えた人もいたようです。予想にしても、「500万なら勝って当然」と黙って◎を打つ人もいれば、あくまで平地未勝利なのだからとノーマークを決め込む人も……。
 いずれにしても、オジュウチョウサンがこの夏の福島の話題をさらっていったことは間違いないでしょう。

 ところで、もしオジュウチョウサンの挑戦がなかったら、今夏の福島の主役はどの馬だったでしょうか。ラジオNIKKEI賞優勝のメイショウテッコンか? あるいは七夕賞で金星を挙げたメドウラークか? いや、それ以上に、福島競馬場100周年記念企画「思い出のベストホース大賞」に選ばれたツインターボだったのでは……、そんな思いが強く残ります。
 これもやはり現場に赴いたスタッフからの伝聞ですが、お昼休みに行われたトークショーでツインターボの大逃げが映し出されると、場内は大いに盛り上がったとのこと。四半世紀前のあの七夕賞、あるいは、あのラジオたんぱ賞を熱く語るファンの姿がそこにあったことでしょう。
 今回の「思い出のベストホース大賞」は、2013年の中京競馬場60周年に続いて2度目の企画だと記憶していますが、その中京のベストホースに選ばれたのもやはり、逃げ馬のサイレンススズカでした。逃げ馬、追い込み馬というのは、実際の戦績以上にその走りが人の心を惹きつけ、そして、人の心に深く刻まれるものなのでしょう。小器用に立ち回れない、いや、小器用に立ち回ることを潔しとせず、徹頭徹尾、自らの美学を貫く……。そんな求道者のような競走スタイルが、多くのファンの共感を呼ぶのかもしれません。

ターフビジョンに映し出されたツインターボ

 ツインターボの走りを回想しながら私自身が感じたことは、競馬を後世に伝えていくこと、語り継いでいくことの大切さ。それは私たち競馬マスコミにとっての重要な使命でもあります。ただ、私たちがどんなに頑張っても敵わない相手がある……。最近、そんな思いが私の中で大きくなりつつあります。
 その敵わぬ相手というのが、生の言葉で競馬を語り継ぐファンひとりひとりなのです。「あの時のツインターボはさあ……」目の前で、生の言葉で、そして、食べることも忘れ、飲むことも忘れ、いや、まばたきすら忘れて熱くそう語る人々がいたとすれば、これに敵うものなどないでしょう。私にもそんな瞬間がないことはありません。でも、その時の自分は〝マスコミの一人〟ではなく〝ひとりのファン〟に戻っているのです。
 今回の福島の「思い出のベストホース大賞」は、単に競馬の魅力を伝えるというだけでなく、多くのファンに〝競馬の語り部〟になってもらうキッカケになったはず。その意味で、本当に素晴らしい企画だったと思います。
 このように、多くの人々が身近な所で競馬を語り継いでいくという、そんな文化、そんな気運がより深く根ざすため、私たちができることは何なのか? 「思い出のベストホース」は主催者であるJRAの企画でしたが、これは私たち競馬マスコミに課せられた宿題でもある、私はそう考えます。

美浦編集局 宇土秀顕

宇土秀顕(編集担当)
昭和37年10月16日生、東京都出身、茨城県稲敷市在住、A型
昭和61年入社。内勤の裏方業務が中心なので、週刊誌や当日版紙面に登場することは少ない。趣味は山歩きとメダカの飼育。
早朝に茨城県日立市にある高鈴山に登った帰り、ふと気が向いて大洗海岸へ。一日のうちで山歩きと海水浴(膝までですが)を楽しんだのは初めての経験でした。〝絵日記の宿題が出ていれば今日一日で片付いた〟そんなことを車の中で考えていましたが、ケイバブック社には残念ながら絵日記の宿題はありません……。