当欄を担当するにあたって、題材に悩まされる時もあれば、スムーズに書くことが決まることもあります(正確には、数週間前から決まっている、のですが)。
悩まされるケースというのは、往々にして「内容に時節を入れたい」といった、自分の主義(?)みたいなものが原因になることが多いのですが、必ずしもそういうケースばかりではないこともあります。
今回がまさにそうだったのですが、要するに、書きたいことが2つ以上あって、どちらを〝今〟に落とし込むか、の決定に悩むケースです。
まず、先週の週刊競馬ブック誌上で扱った〝筑波大学馬術部の取り組み〟について。
大学馬術部の存在意義、或いはその価値、といったことが、大学の部活動の在り方として、どこまで理解され、どのように認められているのか…。そのことに今回のプロジェクトがどう影響するのか、といったこと。
例えば、競技(試合)を中心とした部活動、ということであれば他のスポーツ部と同様ですが、他のスポーツ部のほとんどが、競技そのもので結果を出すことの意義が、全体意識として認められるのに対して、馬術の場合は若干、希薄な印象があります。部員さんの中にも、競技志向の学生さんと、そうではない学生さんがいるからです。
その、そうではない部員さん達がどういう部活動を送っているのか。
一方で、競技志向の学生さんが、仮に全国レベルで活躍したからといって、卒業後の進路がどうなるのかについては、多くの場合、現状では不透明です。父親からそう諭されて競馬の世界に入った、という現役の調教師さんもいらっしゃいますが、皆さんが皆さんJRAの調教師だとか獣医さんだとかになるわけではないですし、馬産につくというわけでもありません。
そんなようなタイプの違った部員さん達の活動の在り方というのが、他のスポーツ部からみると、今ひとつわかりにくい部分があるようです。
その突破口として、競走馬のセカンドキャリア支援はひとつの「大きな意義」になりうるのではないか、という仮説によるプロジェクトが始まったわけです。
課題が山積みなのは当然です。
セラピー用の馬にどうやってリトレーニングするのか。身体に障害のある人、精神疾患を抱えている人達を、どうセラピーに参加させるのか。そもそも馬を使ってのセラピーの効用をどう認識させるのか、といったようなこと。
そう考えていくと、馬のセカンドキャリアもですが、馬を介在させた療育のための、人材育成の場として機能させよう、という試みにもなるのかもしれません。
簡単なことではないと思いますし、おそらく試行錯誤が続くでしょう。しかし、こればっかりは、やらないよりもやったほうがいいことには違いありません。たとえうまくいかなかったとしても、ひとつの実際的な〝事例〟として残せるのですから。
ですから、改めてまたレポートする機会があるのかな?と思えるので、ここではごく簡単に、このあたりまでにしておきたいと思うわけです。
(と言いつつ少し長くなりましたが)
で、話を戻しますと、取り上げたいことの2つ目が、『競走馬リハビリテーションセンター』のこと。
7月2日に、恒例のJRA主催の施設見学会がありまして、2年ぶりに参加させていただいた際に訪れたのでした。
もともと〝JRA競走馬総合研究所常磐支所〟としてスタートし、「馬の温泉」の愛称で定着した感がありましたが、昨年の5月に改称。疾病を発症した馬を預かり、適正な調教を施して復帰を後押しする、といった性格上、〝リハビリセンター〟の方が確かにしっくりきます。「馬の温泉」だと、なんとなくのんびりと療養している印象ですもんね(そういう意味合いで入所していた馬がいなかったわけではないでしょうけど)。
しかし、知らないでいてビックリしたのが、JRAの施設でありながら、一般に開放されているという事実でした。
かつてオグリキャップやトウカイテイオーといったスターホース達が利用していて、最近こそ民間施設の充実でトップクラスの馬の数は減っているのかもしれませんが、それでも福島競馬の帰りにチラッと立ち寄ったら、そこにGⅠ馬達がいたりするんですよ。
もちろん観光牧場ではなく馬の症状が最優先ですから、無茶ぶりはできませんし、そのあたりはわきまえる必要があるのですが、調教風景が見れたりもするようですから、機会があれば是非一度。
ということで、思い切り端折ってしまいました。すみません。
そして3つ目として急浮上したのがオジュウチョウサンの話題です。
かねてから噂…じゃないな、陣営から発表されていた通り、7月7日福島競馬の開成山特別に出走。武豊騎手を背に、悠々と3馬身ち切って約4年8カ月ぶりとなる平地戦出走で、平地戦の初勝利を挙げました。
これによって晴れて有馬記念への出走が可能になりました。可能に、というのはファン投票で上位の票を獲得するであろうことが、ほぼ確定的に想像できるからです。
ルールですから何の問題もありません。また、ファン投票による出走馬の決定、という有馬記念のもともとの特性が最大限に生かされることにもなります。
このことについて、障害レースファンの一部で侃々諤々があったようです。「障害戦の魅力を広く一般のファンに知ってもらう好機」、「今年こそ胸を張って年度代表馬に選出される布石」とか、一方で「障害界のスーパースターが平地で走って結果を残せなかったら」といった不安材料や、センチメンタルっぽく「障害戦に帰ってこなくなるのが寂しい」とかとか。
ただ、これにちょっと物足りなく思ったのは、障害レース愛を熱く語るファンの皆さんから出てきたであろう上記の声が、やや小さく感じられたこと。というよりも、どこか違和感もありました。
オジュウチョウサンが平地レースに出走する、そして勝つとなると、有馬出走は規定路線でしょう(出られないはずの宝塚記念の得票数が優にクリアしてたとか?)。
私なんぞは、これから障害戦を使わないとなると、結局〝二刀流〟ではないんだな、なんて脱線したことを思ったクチですが、ともかく今の状況では、オジュウチョウサンの平地挑戦の〝同調圧力的ムーブメント〟には乗ろうという気にはなれない、というのが率直なところ。
理由は単純かつ明快。石神騎手が乗らないから。
「今の状況では」と注釈を入れたのは、彼が今後の平地戦に乗る可能性がゼロかどうかはわからないからです。
障害ジョッキー(誤解を恐れずこう書きますが)達が口を揃える〝障害レースの魅力〟のひとつに、「自分の手で馬を造っていく過程、そして走らせて結果につながった時の喜び」みたいなことがあります。
無論彼らの多くは自分達の立場を熟慮し、なかなか本音を声高には言わないといった慎ましさがあるのですが、ジョッキー達ではない〝障害レースを愛する〟ファンの皆さんから、「なぜ石神を乗せないのか」という声があまり聞こえてこなかったのが…、ね。
いちいち乗り替わりについて文句を言うべきでないことは重々承知していますが、今回のケースは別でしょう。「障害レースの魅力を広く一般に」と願うのなら、そういった意思表示はあってしかるべきだったかな、と思えます。
そしてまた、逆に「平地では違うジョッキー」を容認するのであれば、本格的に意識を別のところに持っていくべきではないのか、と思ったりもするのです。
それは要するに、障害レースを単純に盛り上げましょう、ではなく、いかにして盛り上げるか、どうするべきなのか、といった創造的な部分に踏み込む、ということ。それがない限りは…という気がしてなりません。
オジュウチョウサンは突出した競走成績だけでなく、ブームを生んだことにも留まらず、障害レースの在り方、見方、将来、みたいなところにまで意識を向けさせた、稀有な競走馬であることは間違いありません。
私個人としては、障害レースを愛するか否か、の次元ではなく、〝同調圧力的ムーブメント〟からは一線引いたところで、今後を見守りたいと思っているところです。
そして西日本豪雨災害…。
あ、いや、オムニバス形式(?)を取ると、恐れてはいましたが、際限がなくなるというデメリットがあるようです。
上記の3件は、まだまだ続きがあることはハッキリしていますので、また改めて、ということで、今回は失礼させていただきます。
毎度とりとめなく申し訳ございませんでした。
和田章郎(編集担当)
昭和36年8月2日生 福岡県出身 AB型
1986年入社。編集部勤務ながら現場優先、実践主義。競馬こそ究極のエンターテインメントと捉え、他の文化、スポーツ全般にも造詣を深めずして真に競馬を理解することはできない、をモットーに日々感性を磨くことに腐心。今夏の北海道遠征プラン、完全な私的理由で往復の航空券、レンタカー等すべてをキャンセルせざるを得なかったのは痛恨のいたり。リベンジへ向けて馬券をどうするべきか、暑さで判断が鈍っている頭を悩ませているところ。