先日、柳家喬太郎さんの高座を観る機会がありました。演目は新作(?)でしたが、そのマクラで何と“ゴジラ”を取り上げてました。今年はJRAだけでなく、ゴジラ生誕60周年であり、先週末の7月25日にはハリウッド版の新作が公開されるタイミングとあって、まあ違和感なく聞けましたが、よくよく考えてみたら筆者と同世代(私が年長ですが)で、ゴジラに対する想いが似ている部分があったようです。
と言うのも、「私が映画館で観た頃のゴジラは、いいモンになっていたんです」という紹介をしたから。だから「私はどちらかと言えばガメラの方が」という言い方はしなかったかもしれませんが、そんなニュアンスが感じ取れたのです。
この“いいモン”という言い方、よくわかるんです。昭和29年版の深いテーマを継承しつつも、いつからか超娯楽化していった過程というんでしょうか。怪獣という恐怖の対象ではなくなっていて、昭和40年代に初めて観た子供たちにとっては、もうひとつ面白みを感じることができない部分もあったように思います。それで筆者も一時敬遠し、昭和29年版も遠ざけていたのです。
そんなようなことを同世代の落語家さんが思いもよらず話してくれて、何だかスッキリした気がしました。
勿論、「だからガメラの方がいい」と言おうとしているのではありません。今では第一作について「絶対に観るべき」と言っているくらいですから。
さて、マクラはこれくらいにして。
本題は“両雄を比較する”行為、その楽しさについてです。
以前、週刊誌のコラムとブックログで『対決の構図』なるタイトルで似たようなことを書きました。フィギュアスケートの浅田真央とキムヨナを比較するところから始めて、テニス、ボクシング、またサッカー、ラグビーといったチーム競技でも、“ライバル”と呼ばれる対戦は注目を集めることになる、と。
別に難しく考えることではなくて、例えばMLBのオールスター戦。きっかけは野球ファンの少年による「別々のリーグに所属する強打者と好投手の対決を見たい」という趣旨の投書だったという伝説(事実かどうかはわからない)がありますが、そういう単純で純粋な、ちょっとした興味から思わぬアイデアが浮かぶことがあります。それが後世に残るビッグイベントになるかどうかはさておき、その対決を細かく見ていくと、対決そのもの以外のさまざまな事象に気づかされることは確かです。
これはスポーツに限りません。
先に挙げたゴジラとガメラを取ってみても、マニアにかかると大変な枚数のレポートになりそうですし、いちいち例は挙げませんが、アイドルやタレント、ミュージシャン、役者さん。アカデミックな分野でも、学者や作家、画家、音楽家とか、対象になるライバル達はいくらでもいます。いや、ごく身近なところでだって、例えば職場の上司をライバルの構図で比較してみてもきっと面白くなるはずです。
要するに勝手に、ある対象をライバルと想定し、様々な考察を進めるわけです。強い弱いだけでなく、良い悪いでもなく…。
この作業のメリットは、対象の理解を深めることと、観察力を養えること。両者をこと細かく比較することで、単なる優劣を超えた深層部について、より理解が深まります。それには優れた観察力が必要になることは言うまでもありません。それに伴って当然、知見も広がるでしょう。
いやしかし、より理解するためとか、観察力を養うとか、そういうのは結果としてついてくること。最初は興味半分に、対象を面白おかしくネタにして笑いとばしてやれ、くらいの気持ちで十分です。そもそも、ライバルを設定すること自体が、それだけでも面白い作業なんですから。
この『ライバル設定』でひとつ不思議に思えるのは、3強とか4強よりも、一騎打ちの対決ムードの方が盛り上がること。このあたり、ちょっと考察が足りていません。またまた怪獣モノで恐縮ですが、次から次に怪獣がたくさん登場してくると、どうにも食傷気味になってしまう。これ、筆者だけの感覚かな?
でも、競馬を例にとっても、3強だ4強だというよりは、「両雄が雌雄を決する」みたいなレースの方が、気分が高まるような気がするのですがいかがでしょうか。
それから『ライバル設定』に関して、不思議なのではなくて、別の話として脇に置いておきたいこともあります。
ボクシングにおけるパウンドフォーパウンド…つまり階級を超えた最強ボクサー論争とか、競馬の場合ですと、歴代最強馬探し。勿論、これはこれで十分に面白いですが、一度企画を立て(?)て、ひと通り材料が出尽くすと、そこで一旦議論が終了してしまう。それは対象の多くが現在進行形ではないからで、つまりは机上の空想ばかりになりがち。空想も結構ですけど、そればっかりじゃあ、ねえ。
どうせならもっと突っ込んだ空想…東京の芝1800mでサイレンススズカとディープインパクトが戦ってどうか、とか…。やっぱり一騎打ちの方が面白そうです。そう考えると、やっぱりライバル不在の名馬というのは残念な感じがしますね。
あ、上記の対戦は鞍上の問題があって成立しない仮定でしたか?。この鞍上の問題に関しても、残念というか、どう捉えたらいいんでしょう…。
話が逸れました。
とにかく『ライバルの設定』。身近なところで、個人的な興味の対象で結構ですから、試しにやってみてください。
それにしても、よくよく考えてみたら一昨年の春、朝日新聞の天声人語と読売新聞の編集手帳の『読み比べ』を当コラムで取り上げたことがありました。これも、ありふれてはいますが、『ライバル設定』のひとつ。相変わらず同じようなことを考えているんだなあと、我ながら呆れてしまいます。
でもでも、懲りずに最近マイブームになっているライバル設定を紹介しましょう。
『司馬遼太郎対吉村昭』
ご一緒にどうでしょうか。
美浦編集局 和田章郎