今週号の週刊競馬ブック「海外競馬ニュース」には今春から米国で供用される新種牡馬の一覧が載っている。最後の行にあるヴェラザノは3歳の昨年春にウッドメモリアルSを3/4馬身差で、夏にはハスケル招待Sを9 3/4馬身差で制したG1・2勝の強豪。今春からはアシュフォードスタッド(米国クールモア)で種牡馬入りするはずだった。ところが、「海外競馬ニュース」を校了すべき土曜日にサラブレッド血統センターの秋山響さんから「ヴェラザノがいつの間にかアシュフォードスタッドのリストから消えているんですよ。現役復帰のニュースも今のところ見つからない」との連絡があった。「どうしましょう?」「どうしましょうか?」「不確かなら消すよりは残す方がいいでしょう」と、とりあえず繋養地未定、種付料未定のままで掲載してお茶を濁したのだが、米国時間の2月2日午後にブラッドホース誌のウェブサイトで、2月3日にはクールモアのサイトで「欧州に移籍しての現役続行」が発表された。もうちょっと早ければと言いたいところだが、そういうわけなのでお手元に週刊競馬ブックがあれば、お手数ですが88ページ「北米新種牡馬」の表のヴェラザノの行は消しておいてください。
今回の突然の進路変更の理由は主にオーストラリアでのシャトル供用を見越して芝で実績を作るためと説明されている。米国でのG1・2勝で不足とはなかなかシビアな判断だが、これからの時代の種牡馬には、フランケルのようにずば抜けたナンバーワンでなければ、それを補う価値が求められるのかもしれない。このような突然の種牡馬入り撤回からの現役続行とは別に、実際に種牡馬として供用された後に現役に復帰する例もある。近年のクールモアグループでは2006年の英2000ギニー馬ジョージワシントン、オーストラリアの名スプリンターで英国でも2010年のゴールデンジュビリーSやジュライカップに勝ったスタースパングルドバナーが種牡馬から現役復帰を果たした。いずれも生殖能力の問題などがあったためだが、1頭だけ産駒を残したジョージワシントンは欧州のG1で4、3、3着とそこそこの好走を続けたあとブリーダーズCクラシックに遠征して予後不良という悲劇で生涯を閉じ、スタースパングルドバナーも引退前の輝きを取り戻すことはなかった。
ただ、芳しくない結果ばかりでもない。今から20年ほど遡ると、ジェネラスの同世代にインヴァイアロンメントフレンドという1991年の英G1エクリプスS勝ち馬がいて、こちらは1993年から1995年まで春は種牡馬として供用され、5月ごろから競走に復帰するという二足のわらじを履いた。4本脚だから履けるよねということではなく、その間、コロネーションCは1993、1994年の2年連続2着、キングジョージ6世&クイーンエリザベスSにも3年連続出走し、英国の中長距離G1戦線では欠かせない脇役となった。種牡馬としても初年度産駒の英国産馬グリーンジュエルが米国に渡って4歳時にG3ルイスR.ローワンHに勝った。牝馬の場合はディープインパクトの母ウインドインハーヘアが種付け後に現役に復帰し、妊娠したまま独G1アラルポカルに勝った例が有名だろう。そのときお腹に入っていたアラジ産駒のグリントインハーアイは自身未勝利に終わったが、産駒のジェレミーは英G1クイーンアンS2着など活躍した。ほかにもインディアンクイーンは1991年の英G1ゴールドCを、カサンドラゴーは2001年の英G1キングズスタンドSに妊娠したまま勝った。インディアンクイーンのそのときの産駒プリンスオブインディアはフランスで準重賞に勝っている。これらの例は競走生活が繁殖能力に、あるいは繁殖生活が競走能力に悪い影響を与えるものではないということを示しているのではないだろうか。もちろん馬によるんでしょうけどね。
日本の場合は繁殖に供された馬(繁殖牝馬でも種牡馬でも)は競走に復帰することはできない。中央競馬の場合は乗馬など競走以外の用途に用いられた馬も同様だ。地方競馬も繁殖入りするとダメだが、昨年のホッカイドウ競馬では13歳で再デビューを果たして話題となったロングチャンピオン改めマーチャンダイズの例がある。これは2歳で大井に入厩しながらデビューをあきらめ乗馬として活躍していたが、競走馬として再登録。2度目の能力検査で合格して実戦デビューとなった。昨秋の2戦はいずれも先頭から4秒以上離れたしんがり負けだったが、ウマの生きる道に新たな可能性を示したという点では貴重なチャレンジだった。繁殖から競走馬に復帰できない日本のルールはこれまで誰もが当たり前と考えて議論されることもなかったと思うが、そのルールに合理的な裏付けが特にあるわけでもない。それならば、ドアは開けておいた方がいいのではないだろうか。
栗東編集局 水野隆弘