うつろな輪郭(和田章郎)

 物心ついて半世紀になろうとしていますが、昔から不思議でならないことのひとつにテレビの視聴率モニターの存在があります。
 一般的に、当たり前のように話題に上がるテレビの視聴率ですが、自分も含めて、そのモニターを経験したことがある、という人に出会ったことがないのです。新聞や雑誌などの世論調査についてもそう。
 「君は世間が狭いから」という謗りは、まあ甘んじて受けるとしても、案外、私と同じように感じている方も少なくないようにも思えます。もしかすると法的に守秘義務があったりするんでしょうか?いや仮にそうだとしても、どこからか漏れ伝わってよさそうなものですが…。

 以前、ブックログの方で紹介した東京、赤坂にある会員制の老舗バー。そこを教えてくれた20年来の友人、というか先輩は、かつて大手のテレビ制作会社に勤務してドラマのプロデュース、演出等を手がけ、現在はフリーランスで活躍している人物。
 その彼も競馬ズキとあって、必ず年に1、2度は顔を合わせて近況を報告し合う会があるのですが、そこでいろいろなやりとりをする中で、たまに話題に上がるのが、その“視聴率”の話です。
 私は民放の帯ドラマはあまり観ないため、彼が手がけてシリーズ化された『大好き!五つ子』や『サラリーマン金太郎』(ともにTBS)などの作品群を、きちんと観てるわけではないのですが(すみません)、何せシリーズ化されたくらいですから高い評価を得たことは間違いないでしょう(観ていないとはいえ、友人として喜ばしく誇らしいことではあります)。

 テレビ番組の高い評価。それは直接、高い視聴率につながり、視聴率が高いとスポンサーがつきやすくなって…といった民放の論理は理解できます。
 ただ、その視聴率の数字。それがどのように弾き出されているのか、というシステムについては、どうにもピンとこないのです。リサーチ会社が設けた特定エリアのモニターに直接接続して集計する、と聞いても、どことなく得心がいかない。

 断っておきますが、この件は友人の関わった番組とは無関係の話、ですよ。

 要するにこれ、統計学の問題になるのでしょうか。
 全身文系の自分にはちんぷんかんぷんな分野ですが、どうなんでしょう。ひどく限定されたところからサンプルを収集して全体を見渡してしまおう、という方法で、はたして実情に即した数値が得られるのでしょうか。いや、そもそも統計の取り方として正しい在り方なのでしょうか。
 そこのところが得心がいかない理由。どうしても全体の輪郭がぼやけているように感じられてならないのです。

 そして、そこから派生する問題に、ぼんやりとですが怖い感じを持っているからでもあります。

 番組を制作する当事者達は、様々な問題点があるにしても、絶対的な格付けとして“視聴率”が存在する以上、そこに意識を向けざるを得ないでしょう。それは当然です。
 ですが我々視聴する側にしてみれば、視聴率の数字は関係ありません。本来、関係ないはずなのです。
 誰が、どのような評価をしていようと面白ければ観るし、面白くなかったら観ない。それでいいはずですから。

 ところがです。大衆心理というか群集心理というか、マスコミが「高視聴率」を喧伝すると「評判になっている」という実像のないモノが更なる評判を呼ぶことになります。対象の中身については置き去りにされ、細やかに検証されることもなく、“評判”そのものが一人歩きを始めるわけです。
 「昨日見た?」、「見た見た」、「お前、見てないの?」
 この傾向は、筆者が学生だった当時も確かにありました。が、世代を問わずに“つながりたい症候群”が大流行している昨今では、より強まっているように感じます。
 
 ぼんやりとした怖い感じ、というのは、この現象に目に見えないところからの“扇動”や“洗脳”をイメージさせられてしまうから。
 新聞、テレビの報道番組の“世論調査”にも同じ匂いが感じられてしまいます。
 例えば選挙前の“政党支持率”。
 「全国の無作為に選んだ2000人を対象に」なんて言われても、そういう質問にきちんと答える人には、ある種共通の、似たような価値観を持つ人が多いのではないかと推察されますし、そもそも2000人って、サンプル量として妥当なのかどうか。
 大体、政党支持率って、世論調査で発表する必要があるのでしょうか。少なくとも選挙前に。

 ぼんやりと怖い感じがするもうひとつは、統計と称して出された数字が大衆心理を動かして、更に高まる評判が必ずしも“良い評判”ばかりではない、ということでしょう。ネガティブキャンペーンとか、ヘイトスピーチなどの横文字をよく見かけるようになりましたが、要は誹謗中傷、罵詈雑言の類。

 これはまったく個人的な意見になりますが、視聴率の話題で言えば、例えば昨年、今年と伸び悩みが報じられているNHK大河ドラマ『平清盛』と『八重の桜』。ともに無茶苦茶面白い、と感じて欠かさず観ている者としては戸惑うばかり。
 先にも書いた通り、評判には関係なく面白いので観るわけですが、作品の内容をよく知らない方達にとって、この“低視聴率”の評判の流布。視聴番組を選択する際に、影響ないとは言えないように思えるのですが…。

 このほど、選挙活動にインターネットの利用が解禁されました。もしも対立候補に巧妙な手口で負のイメージを流されたら、有権者の意識からそれを完全に払拭するのは容易なことではありません。一方で、それだけ効果的だとすると、対立候補同士でネガティブキャンペーンの応酬になりかねない。そういう争い、見たいですか?できることなら私は遠慮したいですけど。
 ともかく、テレビ番組と違って選挙は直接的に生活に関わってくる政治の話。呑気に笑って済ませられるようなことではありません。

 輪郭のぼやけた現代社会ですが、輪郭をはっきりさせようとしたはずの“数字”までが混乱を生みかねないとなると、ますます全体像がつかめなくなります。
 実像は、自分で見て、触れて、肌で感じないことにはわからない、ということ。
 いよいよ六感すべてをフル稼働させて、“虚”と“実”の見極めをしていかなくてはならないようです。

美浦編集局 和田章郎