まだ上信越自動車道が開通する前、東京方面から信州に入るために越えなければならなかったのが、かの有名な碓氷峠でした。徳川の治世までは関所があって、文明開花の 波と共に赤レンガの鉄道橋ができて、昭和に入ると大女優が麦わら帽子を投げたあの峠(本当のロケ地は北信の小谷村だけど)。勿論、上信越自動車道でも碓氷峠は通るので すが、“峠越え”の感覚などまるでありません。なぜなら、気がつかないうちに峠の上を通り過ぎてしまうから……。 |
▼望月の駒は逢坂の関を越え…… |
東国から都へ入るための要衝だった逢坂の関では、毎年8月に信州から引かれてきた貢馬をここで引き渡す行事があったのですが、平安の歌人・紀貫之がその様子に思いを 巡らして詠んだのがこの歌。逢坂の関に湧き出る泉に月の光が射し込み、望月の駒もその水面に姿を映しながら都へと曳かれているのだろうか、という意味らしいのですが、 名神高速を馬運車が走る現代とは大違い。ゆったりと時間が流れる平安期の、何とも優雅な光景が想像されます。 |
ところで、東国の各地に点在していたこれらの御牧ですが、その後、律令制度の崩壊と共に官営牧場としての使命は終焉を迎えます。以降は地方豪族、そこから派生した武 士団の私有の牧へと姿を変えていったとのことですが、この望月牧を支配していた望月氏の支流が近江の国に移って発展したのが近江望月氏。甲賀忍者の筆頭格「甲賀の望月 」となったのでした。 |
▼色深まる牧の跡 |
望月牧の存在を知ったのはそれから間もなくでしたが、同時に、史跡として残る物がほとんどないことも知り、この望月の地を訪れることはありませんでした。 |
美浦編集局 宇土秀顕 |