抑止力?何のための?(和田章郎)

 10月30日にJRAから発表された「降着・失格のルール(判断基準)の変更」。概要については、前回の当コラムを担当した水野編集員が詳細に、わかりやすく解説してくれてますので、なるべく重複は避けつつ、私なりに感じたところを書いてみようと思います。

 まず、いたるところで指摘されている「降着、失格が極端に減るだろう」という点。
 日本で降着制度が導入されたのが91年。まさにその年から香港ではカテゴリー1が採用されたそうなのですが、JRA広報部の勉強会で聞いたところによれば、それからのおよそ20年間で“失格”の事例は「0」。ゼロです。一方、“降着”の方は正確な数字はわからないとしながらも、年間に数度程度、とか。
 現在の感覚からすると、「極端に減る」というより、「起きることが珍しい」ぐらいになるかもしれません。
 この「ほとんどセーフ」の考え方。変更に際した議論の中で、「失敗(ミス)や不正に厳しい日本の国民性、土壌には、受け入れられにくいのではないか」というやりとりはあったよう。「より国際基準に合わせて、と言われても…」と。
 例えば“被害を受けた馬がハナ差で4着になり、加害馬が1着に入線しておとがめなし”。このケースで4着馬の馬券を買った人が納得できるのか、といったようなことが出てきます。従来の、カテゴリー2の考え方としては「1着入線馬が審議対象となり何らかの制裁が科される」のが通例。こっちの方がしっくりくるのでは、と。

 しかし、こういう判断は、以前も書きましたが、どっちに転んでも収まりがつきにくいことではあります。片方に利すれば、片方は割をくうのですから。

 この時に、「ルールなのですから」と強要されたとして、それでは済まされない、という意見もあるでしょう。もっともです。だから、より理不尽さがあるのはどちらなのか、を考える必要があります。
 上記のケースでは、騎手のミスか馬の癖かはともかく、仮にレコードで大差で圧勝した馬のちょっとした動きが他馬の走行妨害につながったとして、その1位入線馬を4着に降着する場合に、その馬の馬券を買っていた人がどう感じるのか…。
 いかがでしょう。どちらが理不尽かと問われれば、それこそ人それぞれ、ですか?となるとやっぱり、どこかで線を引かなくてはなりません。今回の変更は、大差圧勝馬のパフォーマンスの方に重きを置いた考え方、ということです。
 91年の降着制度導入の際も、当初は戸惑いがありました。それが今日では(稀なケースは除くとしても)違和感なく受け止められています。今回の変更も、時間はかかるかもしれませんが、徐々に浸透していくんでしょう。
 ま、馴染まない、というのであれば、それこそまた見直せばいい。必ずしもこれがゴールってわけではないのかもしれませんし。

 で、次はそういった制度の中身の解釈の仕方というより、もっとストレートに見る側にとって気になること。
 ルール変更によるレースへの影響についての言及で、よく目にしたり耳にしたりするのが「少々のことをやってもセーフになるというルールでは、ラフプレーが増えるのではないか」という意見。“一世一代の大勝負”みたいなケースで、少々のことは厭わない、と考える騎手がいるのではないか、と。
 なるほどもっともらしい意見ですが、でも今回のルール変更に際して、抑止力として制裁をより厳しくする、という話。「馬セーフ、騎手アウト」のペナルティパターンを増やしてラフプレーを防止する、ということになりそうです。
 ただ、少し話が逸れるのですが、この件で少し疑問に感じたのは、抑止力としてペナルティを厳しくするとの姿勢を打ち出しながら、何故、制裁規定そのものは見直されなかったのか、ということ。何年か前の、飲酒運転に関した道路交通法のように、騎乗停止期間の延長とか罰金の上限を引き上げるとか、そういう改正がなされなかったのは、一連のルール変更における不備のような印象を受けます。
 でもまあ、罰則がどこまで抑止力として機能するかは、結局のところ何とも言えない部分もあります。上記の“一世一代の大勝負”だった時、騎乗停止1年、罰金500万円でも「構わない!」と考える騎手がいないとは限らないのですから。
 罰則を抑止力として適用するなら、別のところに、もっと効果的に適用するべきなのでは。そんなふうに思えてなりません。

 いやまあそれはさておき、もっとも気になることに話を戻しましょう。
 「ラフプレーが増える」ことを防止するため抑止力として罰則を厳しくする。この流れに正反対のことを書くようですが、もし殊更「ラフプレーを許さない」という思想が広がるとすると、そうでなくとも攻防が減っていてレースそのものの魅力が失われつつある日本の競馬において、益々つまらなさが加速するのではないか、という不安が生じてこないでしょうか。
 もしも、の話。上記の“一世一代の大勝負”がかかった騎手が苦節20年、何度も落馬事故を繰り返して不遇をかこっていたような騎手だったとしたら…。ダービー制覇を目前とした彼が少々のラフプレーを厭わなかったとしても、心情としては理解できなくもない。

 だから何をしてもいい、と言ってるのではありません。

 ちょっと厳しいかと思える馬と馬の間に入るタイミングが瞬間的にあったとして、そこで“ラフプレー”と判断されることを避けるべく仕掛けを待って外に立て直す。結果、猛然と追い込んだものの2着に終わるようなケースはしばしば見られますが、馬券を買っている方としては、「何故そのスペースに入らなかったのか」とついつい繰言を言いたくなります。「仕方ないよフェアプレーが重要なんだもん」と無理やり納得するとしても、「そのスペースを突く騎手のファイトぶりを見たかったなあ、そのスペースを与えまいとする騎手のしたたかさも見たかったなあ」という思いは消せない。そういうことの繰り返しが、レース全体に対する物足りなさにつながったりしないでしょうか。

 勝ち馬のパフォーマンスを最優先する今回のルール変更。これに伴って、「やり得」を防止するため抑止力として制裁を厳しく科す、という方針。その結果として、上記のような風潮が蔓延しないかどうか。その点が、個人的にはもっとも気になる部分。

 わかりやすいのが最大の特徴と言っていい“カテゴリー1”ですが、その適用のされ方は勿論のこと、レースの中身にどう影響していくかについても、外部のチェック機関として皆さんとともにしっかり機能していかなくては。新しいルールが採用される転換期に臨んで、そんなふうに思っているところです。

美浦編集局 和田章郎