あの時のダービー(宇土秀顕)

 

 

▼サンデーの血が席巻!

 今月の15日(日)に第78回日本ダービーの登録馬が発表されました。未曾有の大災害があったこの春ですが、とにもかくにも競馬の祭典はやってきます。
 登録馬は22頭。改めて思うのは、サンデーサイレンスの血がこの晴れ舞台を席巻しているのだなあということ。「何をいまさら」のツッコミが飛んできそうですが、それに しても現段階(18日)で、サンデー3世の出走占有率は88%に達する見込み。勿論、これは今回のダービーに限ったことではなく、生産界の現状をストレートに映し出してい る現象といえそうですが……。
 そのサンデーのパワーに牽引される格好で、ダービーにおける父内国産馬の出走数は増加の一途。今年などは全出走馬が父内国産という事になりそうです。父内国産馬に対 する優遇措置がなくなった現在、それを意識すること自体が時代遅れなのかも知れません。でも、“父親の姿が見える”ということが以前よりも遥かに大きな競馬の魅力にな っている、それは間違いないことです。ちなみに、父内国産に関する規定が改められ、マルゼンスキーやヤマニンスキーなどの産駒が、いわゆるマルチチ扱いとなったのが 1984年の3歳世代(当時は4歳)。その1984年以降、ダービーにおける父内国産馬の出走数と出走占有率を見てみると……。(下表)
 このように父内国産馬の出走数の推移を辿っていくと、現在のブーム(?)以前にその出走占有率が50%に達していたのが1990年と翌91年。また、1年置いて88年にも11頭 の出走があったように、この時期に父内国産の出走はひとつのピークを迎えていたことが分ります。特に1991年は、断然の1番人気に応えて勝利を飾ったトウカイテイオー以 下、上位10頭のうち実に9頭までが父内国産馬という、当時としては極めて異例といえるダービーでした。

頭数 占有率
84年 3頭 14.3%
85年 6頭 23.1%
86年 7頭 30.4%
87年 6頭 25.0%
88年 11頭 45.8%
89年 7頭 29.2%
90年 11頭 50.0%
91年 10頭 50.0%
92年 6頭 33.3%
頭数 占有率
93年 5頭 27.8%
94年 6頭 33.3%
95年 3頭 16.7%
96年 6頭 35.3%
97年 4頭 23.5%
98年 4頭 22.2%
99年 2頭 11.1%
00年 2頭 11.1%
01年 1頭  5.6%
頭数 占有率
02年 6頭 33.3%
03年 4頭 22.2%
04年 2頭 11.1%
05年 5頭 27.8%
06年 4頭 22.2%
07年 10頭 55.6%
08年 12頭 66.7%
09年 14頭 77.8%
10年 13頭 72.2%

▼バラエティーに富んだ顔ぶれ

 さて、その1991年をもう少し詳しく振り返ってみましょう。父内国産馬の出走占有率という点では近年のダービーに一歩譲りますが、特筆すべきはバラエティーに富んだそ の顔ぶれ。ちなみに、今年のダービーで出走が予想されるメンバーと、1991年の出走馬20頭のサイアーラインを一覧にしてみましたが、両者を比較するとその違いは瞭然。サ ンデー3世同士の争いともいえる今年のダービーも興味津々ですが、あちらこちらの“枝(サイアーライン)”から父内国産馬が集結して覇を競った1991年のダービーもまた 、違った趣きがありました。それら内国産種牡馬の生年を見ても、1965年生まれのタケシバオーから1980年生まれのミスターシービーまで実に15歳の年齢差。その中から9頭 の内国産馬+1頭の持込馬が産駒を送り出してきたのですから、それはまさに時空を超えた争いともいえるものでした。更には、トウショウボーイとミスターシービー、マル ゼンスキーとホリスキーは父仔同時に産駒を同じ舞台へと送り出しているのですから、この年のダービーには二つの“父仔対決”もあった訳です。
 この他、1978年のダービー馬であり種牡馬としてもサクラスターオーを送り出していたサクラショウリ、1980年の2歳(当時は3歳)チャンピオンのサニーシプレー、この コラムを書いている私も実はよく知らない(笑)ヨドヒーロー。また、現役時は圧倒的な強さで道営競馬に君臨したコトノアサブキも、日本ダービー出走馬の父としてはかな り異色の存在だったといえるでしょう。 そして前述の通り、この年の優勝馬は“七冠馬”の血を引くトウカイテイオー。父内国産馬同士のこの争いを統べるに、最も相応し い存在でした。

▼SSの大軍に立ち向かうBT一騎
 あの1991年のようなダービーがまた見られるでしょうか? サンデーの血がターフを席巻する現状を振り返れば、それは不可能にも思えてきます。しかし、ほんの十数年前 までわが世の春を謳歌していたノーザンダンサー系も、一昨年はついにダービーの晴れ舞台から姿を消しました(昨年は2頭が出走)。種牡馬界の勢力図が比較的短いサイク ルで興隆と衰退を繰り返すことは、歴史が物語るところです。
 さて、今年のダービーに話を戻しましょう。ここまでサンデー一色になると、その偉大な血にちょっと反抗してみたくなるものです。判官びいきではありませんが、ごく少 数派の非サンデー系でどんなものでしょうか?クレスコグランドは父系祖父がサンデーサイレンス(SS)と覇を競ったブライアンズタイム(BT)。父タニノギムレットは ダービー馬で、種牡馬としてもダービー馬ウオッカを送り出しています。その経歴を思えば“判官びいき”の表現はいささか失礼だったかも知れませんが、とにかく、この馬 の走りに注目してみることに決めました。

 

 1995年6月、種牡馬1年生当時のトウカイテイオー。同馬にとって初めての敗戦だったのが92年春の天皇賞だが、その時の優勝馬が柵の向こうにいるメジロマックイーン。何 か思うところがあるのか、単にボーッとしてるのか……。

美浦編集局 宇土秀顕