終わりよければ(吉田幹太)

 クライマックスシリーズが始まったボートレース。

 いよいよ年末だな~

 そして来週は早くも有馬記念。更に東京大賞典、競輪グランプリ、オートレースのスーパースターフェスタと続く。

 この1年、ろくなことがなかった。逆説的に言えばこの2、3年は悪いことがそれほどなかったのかもしれない。コロナと反比例しているのは恐ろしいが、それも終わりよければすべてよし。何とかいい締めにしたい。そのためには地力で頑張るしかない。

 まずは反省から。先週のジュベナイルフィリーズもそうだが、直前で予想を変えてこの秋だけで2つのGIレースで大きな失敗をした。よほどのことがない限り、目を瞑ってそのまま押し通していたのにそれができなくなった。

 失うものなどないはずなのに、漠然とした不安を感じている。どこか、守りに入っているのだろうか。そんな認識はないが、状況はそういうことを指し示している。

 この1年のもっとも象徴的なこと。

 共感、一体感。世の中ではそれなりに必要なのかもしれないが、こと競馬においては不要なのではないかと思っている。

 勝負はあくまでも自分一人。みんなと一緒に勝つことなどおそらくない。

 ただのひねくれものなのかもしれないが、少なくても高配当を望んでいる自分にはこの方針はおおよそ間違ってはいないのではないか。

 それがちょっとずつずれてきた。

 細かいことに自分が気がつかなくなっているのではないかと思う。そうすると他の人が知っていて、自分の知らない大事な情報があるのではないかと不安になる。その結果、人の意見を気にするようになる。

 そして、最終的には大方の意見におもねって、皆と同じ印になっていることに安心していたのではないかと。

 やはり老いなのだろうか。

 認識しないのはまずいが、意識し過ぎるのは却ってよくないのかもしれない。

 これは勝負事だけの問題ではない。

 大衆の意見が前よりは気になっている。どこかその意見を気にしながら行動しているような気はする。

 マスクなどはその最たるものか。自分がするかしないかだけではなく、していない人を見るとどこかで白い目で見ている。

 散歩しているときでも、外していていい状況なのになぜかマスクをしてしまう。

 周りの目が怖いのだろう。

 やはり、どこか事なかれ主義で周りと同じことをしている自分に安心しているのかもしれない。

 もちろん、もともと自分にはそんな面もあった。しかし、この一年で一気に気持ちが弱気になった。

 他の人と同じことをやっていることに安心する。つまりは自分で考えることを停止させることに他ならない。この年になって、そんな方向に向かったら大変だ。

 残り何年、元気にやれるのか分からないが、何かを変えなければ結果的にいい人生にならないのではないか。

 精神的なことだけではなく、環境を変えるのもひとつの手か。

 災い転じてではないけれど、この1年があったからと思えるような1年にしたい。

 本当に今年は馬券が当たらなかった。けれど、あと2週あれば復活できるのも競馬のいいところ。

 こんなに関東馬がGIを勝っているのに、まったくそれを生かせていないとは……

 幸い、有馬記念もホープフルSも関東馬に有力馬がいる。

 そして今週の朝日杯も……

 そうすれば里帰りにもたっぷりとお土産を買って、暮れは他の競技を楽しむことができるはず。

 終わりよければを目指して頑張ります。

美浦編集局 吉田幹太

 

吉田幹太(調教担当)昭和45年12月30日生 宮城県出身 A型

道営から栗東勤務を経て、平成5年に美浦編集部へ転属。現在は南馬場の調教班として採時を担当、グリーンチャンネルパドック解説でお馴染み。道営のトラックマンの経験を持つスタッフは、専門紙業界全体を見渡しても現在では希少。JRA全競馬場はもとより、国内の競輪場、競艇場、オートレース場の多くを踏破。のみならずアメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、フランス、イギリス、マレーシア、香港などの競馬場を渡り歩く、案外(?)国際派である。