阿部牧郎さんの天皇賞観戦記を初めて読んだのがいつだったか、もう遠い昔のことなので忘れてしまいました。まだ高校生だったか、あるいは大学生になっていたか……。いずれにしても、『優駿』1975年6月号に掲載された観戦記ですから、私が読んだ時点で既に数年が経っていたことは間違いありません。タイトルは『今日のよき日は』でした。
その観戦記が、私には強く印象に残っています。勿論、阿部牧郎さんのことを直接存じ上げている訳ではありませんが、今回はあくまでも、40年ほど前の一競馬ファンという立場で書かせてもらいます。
阿部牧郎さんは1933年(昭和8年)京都・北白川のご出身。戦時中は秋田に疎開されていたそうです。その後、京都に戻った阿部さんは京都大学に学んだのち、当時最新鋭の事務機器だった会計機のセールスや、食品業界紙の記者、更には、建材会社勤務を経ながら作家の道を歩まれました。1968年から1974年にかけて7度も直木賞候補に挙がり、最後の落選から実に13年の歳月を経た1987年、8度目の候補作となった『それぞれの終楽章』でついに直木賞を受賞されています。
少年期を秋田で過ごされたとはいえ、阿部さんはやはり生粋の関西人。『今日のよき日は』も実にストレートで分かりやすい関西贔屓の話が展開されています。当時の天皇賞における東高西低の勢力図を、ひたすらボヤき続けるという形で……。
しかし、関西馬の不甲斐なさを終始ボヤきつづけているはずのこの観戦記、どこかカラっとしていて、どこかユルくて、そして妙に面白い……。〝妙に面白い〟は直木賞作家の阿部さんに対していささか失礼な物言いかも知れませんが、とにかく、そう表現したくなる内容なのです。読み進めていくうちに自然と頬が緩んでしまう、そんな爽やかな読後感がありました。
何と言うか、ボヤいているのだけれど、ボヤいている自分を楽しんでいるような……。意気揚々〝今年こそは〟と淀に足を運んだはずなのに、頼みのキタノカチドキでも駄目だった、関東から来たイチフジイサミにやられてしまった。そんなふうに嘆きながらも、おそらく阿部さんはこの古馬の祭典を心ゆくまで楽しまれたのではないでしょうか。
阿部牧郎さんは1972年の菊花賞でも優駿誌上に『馬になる気で』という観戦記を書かれています。優勝したイシノヒカルをパドックでチェックしていたはずなのに、馬券を買う段になってその存在を失念してしまった阿部さん。「なんとかして、もう一度菊花賞をやってもらうすべはないだろうか。もう一度やれば、馬券はきっととれるのである」と、その観戦記を結んでいます。ユーモア溢れる表現の中にも、この時の観戦記では、何というか、勝負事への執着心というものが強く感じられます。
しかし、『今日のよき日は』にはそれがありません。少なくとも私はそう感じられます。もっと〝ユルい〟のです。阿部さんは自伝の『大阪迷走記』(新潮社・1988)のなかで、1973年頃に巻き起こった空前の競馬ブームを機に、自身の競馬へのスタンスに変化があった、そんな述懐をされています。そう、あのハイセイコーが活躍した頃です。
なるほど、その結果として『今日のよき日は』があったのかもしれない。私はそんなふうに考えます。勿論、これは一ファンである私の勝手な想像ですが……。
今年の5月、埃を被っていた当時の優駿を引っ張り出して、久しぶりに『今日のよき日は』を読み返してみました。いま読んでもやはり、それは徹頭徹尾、関西馬に肩入れした観戦記のままでした。そして、楽しい観戦記のままでした。東高西低の話題は競馬だけではなく、「万事に中央集権の恩恵に馴れたゆとりで──」と、東京人がチクリとやられるくだりがあります。しかし、やられた側のひとりである私でも(今は茨城人ですが)、それがなぜか心地よいのです。こんなことを書くとまた、「それこそ恩恵に馴れたゆとり」とチクリとやられそうですが、そうではありません。東京人だった私でさえ、そこに爽快感を覚えるのは、決して私の心にゆとりがあるからではなく、それが〝阿部牧郎さんの文章〟だからなのだと思います。
長い長い時を経て、私は再びその魅力に惹きつけられました。
ただ、そんな緩やかな空気が流れる『今日のよき日は』のなかにあって、軽い衝撃を受けたくだりがひとつだけあります。それは、本題の天皇賞のことではなく、阿部さんが桜花賞前夜祭に出演された時の回想です。
1975年(昭和50年)の桜花賞。あの大本命馬テスコガビーに◎を打たなかった予想家がどれだけいたか私には分かりませんが、阿部さんはそのひとりだったそうです。〝テスコガビーは関東馬だから〟ただそれだけの理由で本命から外した阿部さん。場内からは万雷の拍手が送られたと綴られています。目を瞑り、この場面を想像するだけで、私はある種の高揚感を覚え、大きなうねりのなかにわが身が投げ出されたような、そんな錯覚に襲われるのです。そして、その錯覚がとても心地よいのです。
中央競馬は東西が鎬を削る状態が一番面白い、私はそう思います。おそらく、多くの競馬ファンが同じ思いでいることでしょう。ただしそれは、いついかなる時でも東西が拮抗状態にあるのではなく、東の時代、西の時代が繰り返されて、それぞれが雌伏の時を過ごしたり、逆に、わが世の春を謳歌したり……。つまり、〝泣いたり笑ったり〟があるから面白いのです。「関東馬だから」だとか、「関西馬だから」だとか、まるで小学生のような理由で万雷の拍手が巻き起きる……。そんなシーンを想像するだけで、本当に楽しくなってくるじゃないですか。それでいいのです、なぜなら遊びなんだから。
『今日のよき日は』が、私にそんなことを語りかけてくるのです。
長いこと続いてきた中央競馬における西高東低の勢力図。このところ関東が盛り返してはきましたが、それでもまだ、完全に肩を並べるまでには至ってはいません。ここ何年も、いや十何年も、関東人は肩身の狭い状況に置かれてきました。〝関東は馬場を貸すだけ〟そんな声が聞こえてきたこともあります。
遠いあの日、関東馬の勝利をボヤき、関西の大将の敗戦を嘆いた阿部さんもそんな思いだったのでしょうか。勿論、たとえそうでも、凡人の私はあんなに軽妙で、あんなに楽しくて、あんなに明るくボヤきながら〝よき日〟を語れるほど、感性も、才能も、そして遊び心も持ちあわせてはいないのですが……。
昭和どころか平成も終わり、〝今日のよき日〟も、もうはるか昔の〝遠いよき日〟になりました。
阿部牧郎さんはこの5月11日に鬼籍に入られました。
美浦編集局 宇土秀顕
宇土秀顕(編集担当)
昭和37年10月16日生、東京都出身、茨城県稲敷市在住、A型。
昭和61年入社。内勤の裏方業務が中心なので、週刊誌や当日版紙面に登場することは少ない。趣味は山歩きとメダカの飼育。
『大阪迷走記』には「競馬ブック」の名前も出てきます。ほんの一言ですが。