自宅のパソコンの周囲に、思いついた時にちょこちょこ開いて読み返せるようにと、書籍を並べているスペースがある。そうでなくとも狭いリビングの、その隅っこなもので、新しい作品が加わるたびにラインナップを変更しなきゃいけなくなるのですが、愛着のある書物というのは傍に置いてこそで、なかなか思い切ることができません。まあ新たに加わる作品がしょっちゅうあるわけでもありませんが。
 ところが、それが昨年から今年にかけて、パタパタパタと3冊ほど加わることになったのです。

 『人は成熟するにつれて若くなる』(草思社文庫・ヘルマン=ヘッセ)
 『幕末史』(新潮文庫・半藤一利)
 『知の逆転』(NHK出版新書・吉成真由美)
 の3冊。

 1冊目は、前に当コラムで紹介した読書好きの友人に教えてもらったヘッセ晩年の書簡集。2冊目は、テレビなどに出演されると“歴史探偵”なんて紹介されることがある日本近代史の生き字引みたいな方の講義を収録したもの。3冊目は、NHK教育テレビでも放送されてましたが、世界的な科学者6人に筆者が直接インタビューした内容をまとめたもの。
 好みの問題もあるかもしれませんが、どれも刺激的。それは間違いありません。

 どこが刺激的かと言えば、一般に“常識”のように定着している思想、歴史的認識、理論などが、いかに凝り固まった観念でしかないか、とか、微視的というか狭い視野から見たものに過ぎないか、などを、これでもかと突きつけてくれるから。
 新しい発想から生まれた価値観を吸収する作業は、頭が柔らかい若い時分なら難しくないかもしれませんが、それなりに人生経験を重ねた年齢になると、そう容易なことではなくなってきます。いい悪いは別にして、現実に自分が信じてきた価値観で社会を捉え、実際に生きてきたのですから。
 そこへ、「でもね。ちょっと待って」と、発想を逆転することの重要性を説いてくれている、という点で3冊は共通するのかなと思うのです。著名な脳科学者ではないですが、「脳が活性化される」気がしてきます。いやまさに“気のせい”かもしれませんが。

 仮説込みで一例を挙げると──。
 上の『幕末史』の“はじめの章”。そこでいきなり「反薩長史観となることは請負いであります」と書かれています。その部分を読んで、前回書いた大河ドラマの視聴率の話に気持ちがジャンプしたのです。前年の『平清盛』と今年の『八重の桜』の視聴率が伸び悩んでいる、という。
 ともに、いろいろな原因が指摘されてますね。画面が薄汚れているだの主人公の強さに共感しづらいだの、と。けれど、本当にそういった手法だけが原因なんでしょうか。そんな疑問をずっと抱いていました。

 そこで、の仮説。

 “長く語られてきた歴史認識だけでなく、個人個人が実際に習って、信じてきた歴史観とは、別のアプローチの仕方をしているからではないか”。

 「近年の研究で、平清盛は実は傑出した時代の革命児であったことがわかってきた」と言われても、「でも、おごれる者も久しからずの平家のトップでしょ」という固定観念が拭えないとしたら…。
 また「明治維新という世界に類のない革命を成功させた英雄たる倒幕派」という意識の前には、別の捉え方──わかりやすく言えば、あの幕末のスーパースターを登場させないようなストーリー展開というのは、その時代を描く作品としては“信じられない愚挙”になるかもしれない…。
 善と悪を逆転させたとまで言うと言い過ぎになるかもしれませんが、要するに「自分達が信じている歴史観とはかけ離れた物語になっていて、そこに多くの人が拒絶反応を起こしているのではないか」ということです。これは、どこまで歴史に精通しているかどうかは関係ありません。当事者達にとっては迷惑極まりないイメージの固定化でしょうけど、観ている側としては、やっぱり染みついている感覚、発想の逆転を強いられるのは苦痛を伴いそうな気がします。
 勿論、これはあくまで仮説に過ぎません。視聴率の伸び悩みについては、まったく別の見方、理由づけがあって然るべきとは思います。

 寄り道はこのへんにしておくとして。

 ある対象を考察する際に、「片方から見るのでは全体を見ることにはならない」とか、「俯瞰して見たつもりでも裏からは見えていない」といった捉え方、発想の仕方は重要なはず。手間のかかる作業ではありますが、何かを突き詰めて考え、そして見極めようとすれば必要なこと。
 これは歴史物の小説やテレビ、映画などに限りません。世の中で起きている様々な事件や、或いは社会的な現象。いや、ごく身近なことですら、いろんな角度からの考察、検証がなされていいはずなのです。

 “多数意見”がはたして“正しい意見”と同義であるのかどうか。
 “常識”は“真理”を指すのかどうか。
 “ルール”は“絶対”なのかどうか…。

 挙げ出すとキリがありません。
 そして、こういった議論が生まれる対象は、往々にして「必ずしもそうではない」ケースが多いもの。

 だから余計に、ひとつひとつについて様々なアプローチの仕方で向き合う、という行為が重要になると思うのですが、知らず知らずの内に凝り固まった意識を打ち破ることは容易ではありません。そもそもが、自分の意識が凝り固まっているかどうかなんて、なかなか自覚はできないでしょうから。
 ですからね、上記の3冊は、そのことを常に、ストレートに訴えかけてくれそうな気がするのです。視聴率の話題から『幕末史』だけを例に取りましたが、他の2冊はタイトルからして既に“発想の逆転”を示していますもんね。間違いなく、どれも何度も繰り返し読むことになりそうです。

 かくして、短い間に3冊が加わって、パソコン周辺の書棚は益々散らかることに。いずれ家人の厳しい突っ込みが入るのは時間の問題のようです。どうやって整理するタイミングを引き伸ばしますか。
 これも発想を逆転させて対策を練ることに…って、ほら、やっぱり難しい…。

美浦編集局 和田章郎