重要な構成要素(和田章郎)

 “ナカノコール”が起きたのが平成2年のダービー。その3年後、平成5年のダービーでも、ウイニングチケットで悲願のダービー制覇を飾った柴田政人騎手への“まさとコール”が起きました。
 この時の心境について、柴田政人騎手は当時の一般週刊誌のインタビューで以下のような興味深い答えをしたそうです(原本が手元にないので要約です)。
 「自分の名前をコールして称えてくださるのはとても嬉しい。その時にレースから引き上げてきたウイニングチケットの血管が浮き上がっている姿も見て貰えたらいいんだけど」と。これ、なかなか言えないんじゃないでしょうか。
 5月26日発売の弊社週刊競馬ブックのダービー号。その誌上の特集記事用に、柴田政人調教師にお話を聞いていて思い出したことです。

 思い出したのは、一昨年のロンドンオリンピックが終わった際に、『競技者の発信力』というタイトルで当コラムを書いたこともです。そこでは“若いアスリート達のインタビュー上手”をテーマにしたのですが、多くの場合はカメラマイクを向けられた状況――つまり映像用のインタビューについて、でした。
 その競技者の発信力こそが、見ている人を惹きつける大きな要素になるのではないか、という仮説とともに。そして、競馬も報じる側、報じられる側が担っていることがあるはず、なんてことも。

 柴田政人騎手に話を戻しますと、冒頭のインタビュー記事に限らず、弊社の特集である『東京優駿の記憶・騎手編』でも紹介した「世界中のホースマンに、第60回日本ダービーを勝った柴田政人ですと伝えたい」を筆頭に、「これからはミホシンザンの柴田政人と呼んでください」だとか、「ダービーを勝てたら騎手を辞めてもいいくらいの気持ちで乗る」ですとか、何しろ大きなレースの前後には、巧みな表現を用いて話題を提供してくれていました。
 厩舎内で徒弟制度が定着していた昔は、「勝負師は余計なことはしゃべるな」なんて言い方がまかり通っていたような気がします。寡黙な方がかっこいい、みたいなね。ところが、そういう時代を生きてきたはずの柴田政人騎手が、今よりもよっぽど気の利いたコメントを出してくれていたんじゃないか、という印象があるのです。

 いや実際、よくよく考えてみると、文字になった言葉として話題になって、記憶に残っているものには、他にもたくさんあるようです。
 有名なところでハイセイコーに対したタケホープ陣営の「相手が四本足ならこちらも四本足である」だとか、ルール上、出走権のなかったマルゼンスキーの中野渡騎手の「賞金も何もいらない。大外枠でいい。決して迷惑はかけないからダービーを走らせてくれ」とか…。
 すでに伝説になっているコメントであり、現在の常識でもって中身についての是非を云々するのは無理がありますが、言葉として純粋に捉えると、やっぱり強く印象に残るのではないでしょうか。

 それらと比較してみると、近年はなんかピンと来ない気がしませんか。レース前に景気のいいコメントや、グッと惹きつけられるコピーなどになかなかお目にかかれない。しっかりと記憶して、物語を話そうとする際に、その材料が不足気味なのです。これ、インターネットの普及で“言葉狩り”の風潮が出てきたことの影響なんでしょうか。バッシングを恐れて「あまり下手なことは言えない」みたいな。或いは、どこにでも簡単に手軽にアップされることで生じた“オリジナリティーの喪失”なども関係があるのかも。
 そう、ですから今もいろいろと発信はされていて、受け手である私の感性が鈍っているだけ、という可能性もあるでしょう。だとすれば問題はありません。私自身が反省して対処すればいいだけのことですから。でも、そういう側面が多少はあったとしても、それだけではないような気もしてなりません。

 物語としての競馬を思う時、関係者の“言葉”は絶対に不可欠。それがなくてはドラマは成立しないと言っても差し支えないくらいです。もっともっと関係者の皆さんには言葉を発して欲しいですし、我々はそれをしっかりと活字にしていくべきなのでしょう。

 まずは馬のニックネームを考える作業から始めてみますか。2月に引退して、調教師顕彰を受けた松山康久元調教師も、「毎年のダービー馬は自分でつけたニックネームで覚えておくようにしている」と言っておられました。
 「ニックネームがついて初めて超一流」になるのはサラブレッドに限りませんが、敬意と愛着を込めた呼び名は、その対象をより魅力的に輝かせるもの。たとえ競走成績が悪かったとしても、思い入れのある馬は何かしらのニックネームで呼びたい感じもします。
 それに慣れたら、様々なシチュエーションにおけるキャッチコピーの練り直しをしてみてもいいかもしれません。1200m戦を「電撃の6ハロン」って、いい加減にしてよ、と思う反面、じゃあどう表現しようか、と。

 こういう地道なことの繰り返しが、おそらく日本の“競馬文化”を作り上げていくのでしょう。この春やりとりさせて頂いた先達から学んだことは少なくありませんが、改めて「言葉の持つ力」と、それを活字にする重要性に気がつかされたのも、その中のひとつです。

美浦編集局 和田章郎