毎週毎週、ほぼ同じような行動を取って、週末にはお楽しみの競馬が待っている。

 これはこれで非常に刺激的で、魅力的なのだけれど、それ故に同じルーティンでずっと何十年も過ごしてきたことは間違いない。

 そんなある意味、無駄に年を取ってきたような自分でも、やはり老いはやってくるわけで、体も頭も確実に衰えているような気がする。

 そして、厄介なのは気持ちの問題かもしれない。

 先がある程度見えているだけに、ふとした瞬間にどうしようもない不安にぶち当たる。体の問題なら運動をして多少、維持できて、頭の回転もある程度の努力をすれば老いのスピードを落とすことはできる。しかし気持ちの問題だけは、うまい対処の仕方が分からない。

 この気持ちの問題。基本的にはやや悲観的で、感傷的になるのだけれど、こと、映画を見たり、音楽を聴いたりするときにはプラスになる面もあるような気がする。

 1988年公開のハリウッド映画の「ミッドナイトラン」

 ネットで検索すると「アクション・コメディ」と選別されている。こういう表示になると、何だか軽薄な印象しかないが、勿論、当時からただの痛快娯楽作品とは思ってはいなかった。

 元警官で逃亡犯を捕まえる賞金稼ぎの話なのだけれど、別れた元妻に合いに行く場面。以前はあまり気にならなかった護送されている逃亡犯の目線などがもすごくよくて、今まで以上にこみ上げてくるものがあった。

 作品全体の感想も以前とは違って、ひとりの人間の意地のようなものが、うまく描かれているのだとようやく気が付いた。

 ただ好きな映画というだけではなく、確実に墓場まで持って行きたい作品のひとつ。そんな風に思えるようになったのもここ数年のこと。

 感受性は全体的に見れば若い人よりは劣るのかもしれないが、ある部分では若い人が感じることのできない感受性が身についたと言えるのではないだろうか。

 そして、こと勝負ごとに関すると経験値がプラスに出ることよりも、マイナスに働くことが多いような気がしていた。

 どうしても苦い思い出が先立って、若い時の振り切る思い切りがなくなっているように感じていたのだ。

 しかし、これも考えようなのかもしれない。苦い思い出も突き詰めれば生きるために必要なスキル。それをもっと研ぎ澄まさせば、若い鋭い冴えではなく、まったく違う視点からいい勝負ができるのではないだろうか。

 そんな風に思えば、年を取ることも決して悪いことだけではない。

 芸術に関していえば、今の映画、音楽を違う視点から存分に楽しんで、評価することができるのではないだろうか。

 どちらにしても元気でいられる時間は限られている。

 悲観して、寂しく生きても仕方がない。もともと、深く考えること自体も得意ではない。

 それならばまずは現状を受け入れて、前向きに生きることはできるのではないだろうか。

 何より、競馬の場合、次から次へと世代が変わって、傾向も常識もどんどん変わっていく。

 それを肌で感じて、選別できるのは経験あってこそかもしれない。

 どちらにしても考え方ひとつで世界の見え方は変わる。

 幸い、膝も足の付け根も痛いけれど、まだまだ体は動きそうだ。

 6月で2022年の前半も終わる。

 後半戦からは気持ちを入れ替えて、もう少し行動的になればいい心持で過ごせそうだ。

 前半の競馬がダメだった人も、きっと後半は違う流れになるはず。夏競馬、1週目からしっかりいい流れを作っていきましょう。

美浦編集局 吉田幹太

吉田幹太(調教担当)
昭和45年12月30日生 宮城県出身 A型
道営から栗東勤務を経て、平成5年に美浦編集部へ転属。現在は南馬場の調教班として採時を担当、グリーンチャンネルパドック解説でお馴染み。道営のトラックマンの経験を持つスタッフは、専門紙業界全体を見渡しても現在では希少。JRA全競馬場はもとより、国内の競輪場、競艇場、オートレース場の多くを踏破。のみならずアメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、フランス、イギリス、マレーシア、香港などの競馬場を渡り歩く、案外(?)国際派である。