震災直後の先週、予定していた内容を急きょ変更させて頂きました。多大な犠牲者が出てしまった今回の震災。それを競馬出版社のホームページ上でどう扱うべきなのか……。自分にとっては非常に難しい問題でしたが、とにかく被災された方にお見舞いを申し上げるとともに、美浦編集部内の様子をお伝えしよう、そう判断した次第です。

▼馬券は外れ
 さて、気を取り直して本題に入りましょう。今回の話のキッカケとなったのは、ひと月前に行われたフェブラリーS。馬券はフリオーソからの馬単のみで見事に撃沈。ですが、馬券でやられてもなお、実に爽快なゴールの瞬間でした。ついてきた馬を自らのスピードで潰したうえ、我が(?)フリオーソの追撃も1馬身半差で楽々と完封。こんな勝ち方をされると、見る側もついつい気が大きくなってしまうものです。で、その結果がこの見出し→  トランセンドという馬、本当はもっと謙虚な性格なのかも分りません。真っ向勝負に出たマチカネニホンバレもその名の通りアッパレなレースぶり。賞賛に値するものでした。それでも、これくらいの大見得切って許されるような勝ちっぷりだったと思いませんか?
▼却下された“小僧”
 実は、このレースで自分が勝手に大見得を切らせてしまった馬がもう1頭。←それがこれ。ちょうど1年前のことです。4歳馬や芝路線組の挑戦が話題となる中、終わってみればエスポワールシチーの独壇場。汗のひとつもかかずに(そう見えた)後続を突き放し、最後は流してWin by Canter!!抜け出す時に見せた脚はまさに異次元のモノでした。この馬にとって4歳馬なんかハナタレ小僧なんだなあ……。そんな思いが頭を過ぎった刹那、この横柄とも取られかねない見出しが沸々と湧き上がってきたのでした。  しかし、この時はさすがにチェックがかかりました。勿論、“ハナタレ”とは最初から書いてませんよ。でも、“小僧”は“若僧(若造)”に直されました。いささか過激だったようです。まあ、自分の感覚では、若造よりもむしろ“小僧”の表現にこそ、愛情がこもっているようにも思えるのですが……。
▼GⅠはこうでないと
 それにしても、暴走気味(?)になってしまった最近2年の見出しが物語るように、このフェブラリーSというレース、自分にとっては妙に気持ちが入り過ぎてしまう傾きにあります。中央に限ればダートのGⅠは2つだけ。しかも、時期的にも芝のGⅠシーズンから外れたピンポイントの頂上決戦。自ずと、そこに気持ちが集中するのでしょう。先週もGⅠ、今週もGⅠ、来週もGⅠ、その先もGⅠでは、さすがにこうはいきません。
 ところで、予想スタッフから外れたいま、一番楽しんでやっているのが実はこの仕事。この機に、過去のフェブラリーSで自分がどんな感想を抱いていたのかを振り返ってみました。それにしても、その時々で色んなことを考えていたんですねえ……。と、他人事のような感想を述べたところで今回は終わりです。

 2009年 山の頂に立った時、光の輪の中に自分の影が浮かぶのがブロッケン現象。限られた気象条件でしか現れない光学現象なので、自分もまだ実物を見たことはありませんが……。この時は3頭の大激戦の末、最後の最後でこの馬に後光が射したというようなイメージでしょうか。


 2008年 前日に猛烈な春一番が吹き荒れました。当日も強風は続き、砂塵舞う中で地力の違いを見せつけたのがこのヴァーミリアンです。漆黒の馬体と黒地の勝負服に映えるヴァーミリアン(朱色)、それだけで強そうです。勿論、本当に強かったんですが。

 2006年 ヒキリとはハワイ語で雷の神のこと。このあとのドバイ遠征では4着に終わりましたが、その後、実に2年4カ月もの闘病生活を乗り越えてGⅠ・JpnⅠを3連勝。再び1年2カ月のブランクを克服し、8歳での重賞制覇も記録しました。激烈な夏の雷というよりも、遥か彼方まで低く鳴り響く、まさに早春の雷鳴のような競走生活でした。


 2002年 この時すでに、芝中距離、芝マイル、ダートマイルでそれぞれ頂点を極めていたのがアグネスデジタル。自分の土俵で戦うという前時代的なアナログ思考を打ち破り、ジャンルを越えて強さを見せる。そんな新たな時代の先駆者が5つ目のタイトルを獲得したレースでした。

 1999年 最後は水沢のメイセイオペラが地方馬初の中央GⅠ制覇を達成した1999年です。当時の地方にはアブクマポーロという絶対王者が君臨していましたが、この勝利はそのアブクマさえ越えた快挙といえるでしょう。水沢から東京へという地理的な観点からも、この時の遠征は文字通りの“阿武隈越え”だったわけです。

美浦編集局 宇土秀顕