東日本大震災から14年。
ご病気であの日に急逝された川崎の鈴木敏一調教師宅にうかがってお線香を供えるのが恒例。
奥様は今でもあたたかく迎えてくれる。

2011年3月11日関連のメモが出てきたので掲載する。
わたしは大井競馬場のスタンド5階の記者席で震度5強の揺れを感じた。

■第8Rには3時ジャスト発走のユースフルステッキ賞が組まれていた。
デビューから10年未満、50勝未満の騎手だけが騎乗できる限定戦。
余震が続くなか5分遅れで発走し早田功駿騎手(現在は引退)が勝利ジョッキーとなった。
「パドックから地下馬道をくぐると周囲が騒がしくなっていて、地震があったことを知りました。馬にまたがっていると普段から車の振動などを感じるので、これが地震の揺れなのかというのはその時よくわからなかった。それでも本馬場入場で馬場に入るとまだスタンドが大きく揺れているのでいかに大きな地震なのかがわかりました。自分が乗ってた馬はそうでもなかったんですが、誘導馬など暴れている馬もいましたね。ゲート前で輪乗りをしながらレースが遅れることを告げられましたが、自分は人気馬乗っていたので走らせてほしいという気持ちも正直ありました」と地震の瞬間を馬上でむかえた早田功駿騎手は語っていた。

■この日は大井競馬最終日。
第9Rは20分遅れで発走したが、余震も続き交通機関に支障が出始めたことから第10レース以降は取りやめになった。
「最終競走に騎乗予定があったので待機していると地震の揺れが只事ではない。みんなを誘導して馬場に出て安全確保をした。主催者には騎乗するのに危険な状態であることを訴えました」と(当時)騎手会長だった吉井竜一騎手の話。

■大井競馬場のスタンドや馬場には損傷はなく、中止になった次の朝も通常通りに調教が行われた。
しかし前日の交通機関ストップで帰ることができなかった他県の騎手や職員たちが避難所さながらに仮眠を取っている状態を見て、被災にあった現地の避難所はこれ以上の過酷な状況にあるんだとあらためて胸が痛みました」と吉井騎手会長。

■翌週に開催されるはずだった船橋競馬は馬場の一部に液状化現象が起き開催中止。のちにこの開催で行われるはずだったダイオライト記念が5月2日に代替実施されることが発表された。

■21日からの浦和競馬、28日からの大井競馬、4月4日からの船橋競馬が中止に。桜花賞、マイルグランプリ、マリーンCは中止となり、京浜盃は4月18日に変更して実施予定。

■「自分たちに今できることは何か」と立ち上がった南関東競馬関係者による募金活動が盛んに行われたが、勝負服を着て街頭に立ち、募金箱を手に支援協力を呼びかける騎手たち。その中には福島県相馬市出身の高野毅騎手の姿もあった。
「父親は無事だったんですが、行方がわかっていない親戚や友人もたくさんいます。今の段階で避難所にいないということは存命が叶わないかもしれない。せめて弔いたいと思っても原発の影響で収容作業が進まない状態です。避難所にいる親戚から助けてほしいと連絡があるとすぐにでも飛んでいきたい気持ちになります」と曇る表情を隠しながら被災地支援への協力を呼びかけていた。

■大井競馬場では3日に「~今、私達にできること!~ 」と題したチャリティーイベントが行われた。計画停電が続くなかナイター開催は難しいとはいえ、競馬を再開して被災地を支える復興競馬への第一歩を踏み出すこと。復興支援は地方競馬の歴史の根幹でもある。