ポンコツ(吉田幹太)

そばアレルギーになったのが6年前。

あまりにも突然で、よりによって昼食に十割そばを食べに行った直後に発症。始めは持病の喘息かと思い吸入などをしてみたが、一向に症状が良くならない。

そのうち、鼻水は出るわ、涙は出るわ、呼吸がどんどん苦しくなるわで……。

会社の先輩にお願いして診療所まで連れて行ってもらったが、診療所では対処しきれなかったらしくて大騒ぎに。

結局、応急処置をしてもらったあとに救急車で大きな病院へ運ばれたのですが、ことの重大さにまったく気がついていなかったせいで多くの人に迷惑をかけてしまった。更に命を落とすこともあるのだと、回復してからはとうとうと説教を。

しかし、なによりもショックなのは、今後、一生、そばを食べられないという事実。

好きで好きで仕方がない、というほどではないにしても、以前はそば目的で出かけることもあり、そもそも独身の自分にそば屋は入りやすい店のひとつ。旅に出たときの食事の選択肢もうんと狭まったような気になってくる。

ドラマや映画で旨そうにそばをすするシーンなどが出てくるともうたまらない。うどんでごまかしても、やはり、ノド越しが違う。年に何回かはもどかしい思いをすることになりました。

後天性そばアレルギーは例外中の例外かもしれないけれど、年齢を重ねることによっていろいろなところにガタが出てきた。

主に肥満から来る症状ではあるのだけれど、中には純粋に加齢によってではないかと思われる症状もいくつかある。特に目がうんと悪くなったのは結構、応えた。

昨年ぐらいから細かい字がぼやけるようになり、新聞を見るときなどは自然と顔をしかめて微調整していることに気がついた。各先輩方に聞いてみると、それがいわゆる老眼らしい。

調教中やレースを見るのには双眼鏡を使っているから平気なのだけど、とにかく予想をするのには時間がかかってしまう。あきらめて老眼鏡を使おうか、しかし、使ってしまうと悪化の一途のような気もして……。

せめて、年を取れば精神的には成長するのだろうと思っていた。これくらいのことに動揺することなどなく、迷うことなく対処できるだろうと。

実際には優柔不断ぶりには磨きがかかって、より決断力は鈍くなっているような気がする。失うものなど何もないはずなのに、苦い経験ばかりが鮮明に残っていて、より臆病になってきたような感じがある。

まったくポンコツだ。真剣に将来を考えれば真っ暗になってしまう。

ところが真のポンコツにはそれなりに救いがある。お先真っ暗な人生でも、それほど深刻に悩むことはない。すぐに限界に達してしまう程度の能力しか持ち合わせていない、という事実……。

しかも、こちらの感覚はどんどん鈍くなっているので、瞬間的に落ち込んでも、それほど長く引きずることもない。

こんな自分の人生にとって、一番、救いがあるのはやはり競馬だろうか。競馬に関して言えば、苦い経験が多いせいか、成功経験が鮮明に体にしみ込んでいる。もっと言えば小さな成功経験はそれなりの頻度であり、少しずつでも気持ちを満たしてくれている。

どんどん競馬場は若返っているが、一角には老練な競馬ファンが大勢いる。雨の日も寒い日も、雪で中止になりかねないような日にも、朝から最終レースまで楽しんでいる。

まだまだ、自分がその領域を語るのには早過ぎるけれど、多くの人の楽しみだけではなく、救いにもなっているのかもしれない。

老いと競馬、そして、自分の立ち位置を確認しながら、この1年を充実したものにしたいと思い始めました。

美浦編集局 吉田幹太

吉田幹太(調教担当)
昭和45年12月30日生 宮城県出身 A型
道営から栗東勤務を経て、平成5年に美浦編集部へ転属。現在は南馬場の調教班として採時を担当、グリーンチャンネルパドック解説でお馴染み。道営のトラックマンの経験を持つスタッフは、専門紙業界全体を見渡しても現在では希少。JRA全競馬場はもとより、国内の競輪場、競艇場、オートレース場の多くを踏破。のみならずアメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、フランス、イギリス、マレーシア、香港などの競馬場を渡り歩く、案外(?)国際派である。